ヒトラーの「アイヤーノッケルン」

アドルフ・ヒトラーの誕生日は4月20日(1889年生)だった。ヒトラーのお気に入りの料理はアイヤーノッケルンにグリーンサラダ付きだった、といわれてきた。アイヤーノッケルンはベジタリアン向きの料理で、卵、小麦粉、牛乳、バターなどで簡単に作れる。ヴィーナーシュニッツェルやターフェルシュピッツと共にウィーン子が好きな伝統的な料理だ。

アイヤーノッケルンとサラダ(スタンダード紙電子版4月20日から)

オーストリアのレストランではそのアイヤーノッケルンをヒトラーの誕生日にはお客には出さない。一種のタブーだ。ヒトラーの誕生日にアイヤーノッケルンを出せば、極端な場合、ヒトラーの誕生を祝うと受け取られ、ナチス禁止法に違反するからだ。

ところが、ブルゲンランド州のXXXLルッツの支店が4月20日、昼のメニューによりによってアイヤーノッケルンを定食メニューに入れる予定だったのだ。店の関係者が気がついて土壇場になって中止され、難を逃れた。オーストリア日刊紙スタンダード(電子版)にその経緯が掲載されていた。ハンガリー出身の料理人が忘れていただけで、イデオロギー的なバックグランドはないという。

ヒトラーの大好きな料理を彼の誕生日には出さないという“伝統”は、極右政党「自由党」の政治家が1990年代、「ヒトラーはアイヤーノッケルンが大好きだった」と語ったことからだといわれる。その結果、彼の誕生日にはアイヤーノッケルンを料理しないようになった。アイヤーノッケルンとグリーンサラダをレストランが定食に出せば、ネオナチの「認証コード」と受け取られる危険性が出てくる、というのだ。

ヒトラーの誕生日とアイヤーノッケルンの話が掲載されると多くの読者からさまざまなコメントがスタンダード紙に掲載されていた。大反響だった。「4月20日がヒトラーの誕生日とは知らなかった」という読者から、「アイヤーノッケルンはネオナチの隠されたコードだ」といったその筋の専門家の声がある一方、ある人は、「スターリンはジョージアのクルミを、毛沢東は豚の赤肉を中国風に料理したものが大好物だった。ヒトラーはアイヤーノッケルンが好きだっただけだ」と冷静に受け取り、ヒトラーの誕生日にレストランがアイヤーノッケルンを出さない慣習を「意味がない」と切り捨てていた、といった具合だ。

ヒトラーはオーストリアのオーバーエスタライヒ州西北部イン川沿いのブラウナウ・アム・イン(Braunauam Inn)に生まれた。ヒトラーはその後、ドイツに行き政治家として台頭。ヒトラー率いるナチス政権は1938年3月13日、母国オーストリアに戻り、首都ウィーンの英雄広場で凱旋演説をした。オーストリアはその後、ドイツに併合され、ウィーン市は第3帝国の第2首都となり、ナチス・ドイツの戦争犯罪に深く関与し、欧州を次々と支配していった。同時に、欧州に住むユダヤ人600万人を強制収容所に送り、そこで殺害した。

ちなみに、オーストリアがヒトラーの戦争犯罪の共犯者だったことを正式に認めたのはフラニツキ―政権が誕生してからだ。同国は戦後、長い間、ナチス政権の犠牲国の立場をキープし、戦争責任を回避してきたが、フランツ・フラニツキー首相(在任1986年6月~96年3月)はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス・ドイツ軍の戦争犯罪の責任がある」と初めて認めた。そこまで到達するのに半世紀余りの月日を必要とした。

スタンダード紙のコメント欄には、「われわれは21世紀に生きている。ヒトラーは1945年に死去した。ヒトラーの悪夢にいつまでも拘ることはない」、「われわれはいつになったらアイヤーノッケルンを心やすらかに堪能できるのか」といった嘆き節が多かった。

興味深いコメントとして、「XXXLルッツのアイヤーノッケルンとグリーンサラダの昼食が8ユーロ90セントという。余りにも高い」と、アイヤーノッケルンとヒトラーの関係には全く関心を払わず、定食の値段の高さに驚いていた読者がいた。このコメントこそ、物価の高騰で苦しむ21世紀の現在に生きている国民の偽りのない声だろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年4月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。