米国を「普通の国」に戻そうとしたトランプ前大統領

鎌田 慈央

米国外交の慈善事業的性格

米国の同盟国は2024年米国大統領選でのトランプ前大統領が再選する可能性に戦々恐々としているはずだ。その理由の一つは、トランプ氏が「普通の感覚」を持っている大統領だったからだ。

歴代の米国外交政策は多分に慈善事業的な性格を兼ね備えていた。第二次世界大戦後、米国は使命感に駆られて国際協調の軸となる国際機関の樹立や、戦争で疲弊した国々を外部の敵や内部から増殖する共産主義から守るために世界中に基地を設立し、集団安全保障体制を構築した。

しかし、米国の国益を考えたときに、戦後直後にグローバルでリーダシップを発揮する必要性があったかは疑問が残る。米国は今も昔も内需に支えられた国であることに変わりない。1945年から1970年の間、米国のGDPに占める貿易の割合は10%前後であり、経済のグローバル化が進んだ現在ではその数字が25%に上昇している。これらの数字は、例え国際貿易を円滑に進めるための機関が存在しても、しなくとも、内需型の米国は独自で経済を発展させ、自給自足を行う能力が十分にあることを示す。

また、安全保障についても米国は太平洋と大西洋という地理的な障壁に守られており、ユーラシア大陸の覇権国が米国本土を侵略する可能性はまず考えられなかった。それは当時の主要な政治家も共有していた意見だった。

米国が第二次世界大戦に参戦する直前、フーバー前大統領は欧州大戦で勝利した国が「1000万の兵力と航空機2万5000機の実力を持つ1億3千万人を海の向こうの3000マイル離れた国が攻撃」するわけがないとし、欧州戦線への関与を強めていたルーズベルト大統領を批判していた。

自国の繁栄や安全を鑑みた時、意外にも孤立主義という選択は米国にとって合理的なものであり、それを実行に移すだけの条件が米国に揃っていた。それにも関わらずだが、米国は自分から進んで「世界の警察」という役回りを買って出ており、その役割は皮肉にも米国にとっての弊害も生み出してきた。

超大国はどこへ向かうのか? rarrarorro/iStock

割に合わない「世界の警察」という役割

米国の国際的関与の拡大が米国の国益に反した結果を招いていることを示す代表的な実例が中東への関与政策だ。主に中東の安定を守るという地政学的な理由から米国はイスラエルへの軍事支援を続けてきたが、その行為は繰り返し、アラブ諸国と米国の関係性を険悪にする要因となってきた。実際、1970年代にアラブの国々はイスラエルを援助する米国などに制裁を加える名目で石油価格を上昇させ、オイルショックで米国経済は大混乱となっている。また、アルカイダが9.11のテロ攻撃を実施した理由の一つに中東から米軍を追い出す思惑があったことを考慮すると、中東への米国のプレゼンス自体が米国を脅威にさらしているとの見方もできる。

また、アジアの方を見ても、米国の国益にそぐわない戦争に米国が付き合わされる場面や可能性が絶えず存在した。今では中国からの侵攻が懸念されている台湾だが、一昔前は蒋介石が首班だった台湾が中国本土の侵攻を計画していた時代もあり、当時の米国は中国内戦に巻き込まれる可能性を警戒していた。ベトナム戦争もある意味では米国が同盟国の戦争に巻き込まれた一例だ。

それゆえ、負の影響がありながらも、同盟国の安全保障の大部分を担当し、ウクライナなど自国から遠く離れた国に対する攻撃を自国への攻撃と同様に対処する米国の外交安保政策に慈善事業的な性質があると言っても過言ではないだろう。

トランプが注入した「普通の感覚」

しかし、そのような慈善事業に等しい外交政策の非合理性を初めて指摘した米国大統領の一人がトランプ前大統領であった。日本などの米国同盟国の国内メディアは同盟国に防衛力の増強を求め、貿易関係の正常化を要求するトランプ前大統領を「異例」の存在として捉えてきた。しかし、それこそが米国外交が慈善事業となってしまっていること、その認識が無意識的に同盟国内で浸透している何よりの証拠だ。

トランプ氏の主張や発言が過激に聞こえる部分を取り除けば、彼が言っていることは至極真っ当であることがわかる。米国は国内だけでも様々な問題を抱えているのにもかかわらず、なぜ同盟国の問題を優先しなければならないのか?なぜ米国の同盟国は自国の経済力に見合った防衛力を整備せず、ただ乗り状態なのか?これらの問いかけは自国政府が自国民の福祉や安全を第一位に追求するべきだという、日本人でさえも共有している万国共通の概念であるはずだ。

そうであるからこそ、トランプ氏の主張が米国民に響き、彼の外交政策は一定の支持を集めているのではないだろうか?

「普通の国」に戻りつつあるアメリカ

トランプ氏が米国政界に登場して以降、米国政治は慈善事業的な外交政策を維持させたい民主党と、自国第一という「普通の感覚」を外交政策に注入したい共和党という構図が出来上がりつつある。

共和党内で際限なくウクライナ支援が継続されることに反対する意見が多数派となっている。反対意見の中身としては、「中国と比較して喫緊の安全保障課題ではないから」「核戦争に至る可能性がある」「自国の問題の方が深刻」などといった普通の感覚のアメリカ人なら直感的に出てくる懸念である。

一方、ウクライナ支援に熱心な民主党を支持するネオコンたちは、ウクライナ支援に慈善事業的な背景があることを吐露してしまっている。ネオコンの代表格であるロバート・ケーガン氏はフォーリン・アフェアズ誌に掲載した論文で、「当時も今も、アメリカ人が(欧州での戦争に参戦するために)行動したのは、自国の安全に対する差し迫った脅威に直面したからではない」と主張した。ケーガンの主張はまさしく米国外交安保政策の慈善事業的な側面があることを示しており、筆者が冒頭で指摘した米国の関与政策の非合理性についての主張を補強するものだ。

トランプ前大統領は就任前までイギリスが核保有国であったことを知らなかったエピソードに代表されるように、外交官や政府首脳と比較して、国際政治の知識は乏しい一面がある。しかし、そのような知識を欠いていたからこそ、「普通の感覚」に基づいて米国の外交安保政策の矛盾などを突くことができているのであろう。

トランプが体現する「普通の感覚」の外交安保政策が米国内でますます浸透すれば、米国は慈善事業を国外で行う国から自国の利益を第一に追求する「普通の国」に変貌を遂げる可能性がある。そうなれば、同盟国は長年にわたって忌避してきた防衛力強化という負担を強いられることになり、米国任せにせずに、地域の安定を自国が率先して維持していく必要性に迫られる。しかし、それは平和ボケをしている同盟国の国民たちにとっては苦痛であり、政治的に不人気な決定をその政治家たちもしたくないはずだ。

そのことを鑑みると、米国の慈善事業的な外交安保政策を生き長らえさせるバイデン大統領と民主党は同盟国にとって都合が良い対象であり、それを否定しようとするトランプ氏は頭が痛い存在であることが分かるはずだ。