強盗をする若年者の心理:なぜ考えない人間が生まれたのか?

10代や20代の若者が無謀な強盗事件を起こし、社会問題化しています。背景には組織犯があるともされますが、一部は模倣犯もあるのかもしれません。なぜ、今更強盗なのか、考えてみたいと思います。

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強盗と言われると私が若い時に強いイメージを植え付けたことが2つあります。1つは映画「明日に向かって撃て」でポールニューマンとロバートレッドフォードが主演をした1890年代の南米ボリビアの実在したとされる銀行強盗の話で印象的でした。強盗の明白なイメージが備わったのはあの映画のおかげだと思います。多分、5回は観たと思います。

次に3億円強奪事件。1968年、現金輸送車に近づいた白バイ警官に扮した男に3億円を強奪されるという事件で私はまだ小学校2年生でしたが鮮烈な印象があります。白バイ警官役は悪い男なのですが、お見事な手口でした。犯人は捕まりませんでした。

一方、あまり関わりたくない身近な強盗、略奪、詐欺はかなりあります。小学校にも上がらない幼少の頃、両親が経営する店で強盗盗難があり、警察が指紋を取っているシーンは明白に覚えています。住み込みのお姉さんが夜逃げしてついでに家のお金も盗んでいったこともありました。会社に入ってからは労働組合の金を横領したバカな男もいました。バンクーバーでは管理する駐車場での車上狙い被害と商店のガラスを割って侵入し、盗みを働こうとした事件はたぶん40回では済まないでしょう。もう日常茶飯事なのです。(対策を相当強化したので今はかなり減りました。)

ですが、カナダの強盗/窃盗の犯人は基本的にドラッグ関係者かプロの窃盗、はたまたよほど金に困っている奴か、冬の寒空で耐えられなくてお縄になって温かいところで寝たい奴といった具合で社会に同化できない人が主体です。家もない、社会的ステータスもないそんなケースがほとんどです。

このところ、日本で話題になっている強盗犯は狛江の事件のように個人宅狙いから堂々と貴金属店で無謀な強奪の仕方をするケースが増えてきています。個人的想像ですが、指示者が強盗の目標の傾向を見ているのだろうと思います。そろそろ貴金属店から違うターゲットを目指す気もします。

一方、実行犯ですがSNSあたりの闇バイトで応募した若者が主体のようです。捕まっているニュースを見ても反省の顔色が見えない若者もずいぶんいます。

私が高校の時、盗みが好きな男がいました。彼は戦勝品を学校に持ってきて「これ、昨日やったぜ」と自慢げに皆に見せます。それはエスカレートしていきます。ある時、皆が通学の際に通りかかるある店からテレビを盗んで成功したという話を聞いた時はおったまげました。彼の家は決して金銭に困っていたわけではありません。むしろ相当裕福な家に育ったのですが、学業の成績が悪かったのです。常にクラスでビリ。面白くなかったのでしょう、故にストレス発散と自分に注目を向けたいからか、そのような阿呆な行動を繰り返したのです。彼はその後、退学になります。

もう一例、印象深い話があります。私が秘書の時、ある取締役が自分の息子のことで悩んでいました。要は品行方正が悪いのです。それも知能的です。その役員氏一家の住まいのマンションでその息子が電気の配線をどうやったか知りませんが、廊下の電源から取り、家の電気を賄っていたというのです。それが見つかり、「電気の窃盗」扱いで相当トラブっていました。上場会社の役員の子息なら生活に困ることはありません。満たされない要求がそこにあったのだろうと思います。

強盗をする心理は本当に金がないケースと面白半分、愉快、ストレス発散といった内面的な動機と2通りあると思います。今回の一連の事件では内面的動機のケースは少ないかもしれませんが、一部の人にとって社会生活の居心地の悪さはあったのかもしれません。

一方、金が無いから強盗をするケースですが、この心理状態は専門家の意見を聞いてみたいと思いますが、私が考えるのは短絡的行動の末だとみています。つまり、金がない⇒うまいバイトがある⇒うまくやった話を聞いた⇒一回だけやってみようといった流れではないかと察しています。

短絡だと考えるのはものの善悪がその行動心理にないのです。つまり、とても動物的行動なのです。以前から私は何度もこのブログで指摘している「思考できない人間」が大量に生まれている公算を見ています。考えない人間が生まれた理由は社会全てがそうしたのです。便利なスマホで自分の好みまで探してくれる、SNSのチャットは動物的反射行動をテキストに落としただけ。会社に行けば厳しいマニュアルと規範で狭い枠組みの中でロボットと同様の業務しかない…と言った感じです。

つまり若年層の強盗は怒るべくして起きた現代社会の当然の帰着ではないでしょうか?

それは強盗に留まらず、元首相の暗殺や現首だ相への爆弾投げ込みといった事件も同じ範疇であり、その行為をすることで厳罰が下されることを何とも思っていない、つまり自身の中に個の尊厳とプライドと存在価値の認識がないように見えます。その上、共同生活という共同体思想もなく、何処にも所属せず、常に一人ということが一因だったりします。

一連の強盗事件については二方面から捉える必要があります。まず、行為としての強盗、そして組織による脅迫で半ば抜けられなくなって強盗に走るというゆがみを絶滅させること、もう一つは短絡的な若者を共同生活を通じて守り、善悪を知り、道徳がわかるようにさせることです。

強盗そのものは歴史的に件数け見れば相当減っています。故に今回のような事件はむしろ異様に目につくとも言えるのでしょう。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年5月14日の記事より転載させていただきました。