ゼレンスキーが来日前にサウジに立ち寄った理由

ウクライナのゼレンスキー大統領が広島に来るらしいが、途中でサウジアラビアを電撃訪問して、アラブ連盟首脳会議に出席して演説するらしい。

会議を主催しているのは、ムハンマド・ビン・サルマン皇太子である。シリアのアサド大統領が復帰するのが今回の目玉だったが、主役を奪われた形だ。もっとも、アラブ諸国は必ずしもウクライナに好意的でないから、アウェーの会議でゼレンスキーの神通力が通じるかは分からない。

令和5年3月、ウクライナを訪問した岸田首相と会談するゼレンスキー大統領
首相官邸HPより

ゼレンスキーは、2014年にロシアに併合されたクリミア半島にある「ウクライナのイスラム教徒コミュニティーの保護」を訴えるらしい。

そもそも、クリミア半島には、キプチャク汗国の残党のイスラム教国クリミア汗国があったのだが、18世紀のエカテリーナ二世がこれを滅ぼしてロシアに組み込んだ。クリニア汗国のイスラム教徒たちは、残留していたが、大戦末期にナチスに協力したとして中央アジアに移住させられ、一部は戻ってクリミアで少数民族になっている。

彼らは、ロシアの支配は嫌っているから、これを保護し、権利を拡大するとするとウクライナはいっているわけである。

さて、本日は、イスラムの王様の肩書きについてその全容を紹介しておきたい。『英国王室と日本人: 華麗なるロイヤルファミリーの物語』(小学館 八幡和郎・篠塚隆)では、元モロッコ大使の篠塚隆氏が書いているが、その抜粋である。

イスラムは、アジア、アフリカ、ヨーロッパに勢力を伸ばし、現在の東欧は19世紀までオスマン・トルコの版図であったが、19世紀後半に英国の植民地となったインドのムガール帝国と第一次世界大戦後に共和制となったオスマン・トルコなど数多くのイスラムの君主国が消えていった。

第二次世界大戦後も、エジプト、チュニジア、イラク、イエメン、ザンジバル、モルジブ、リビア、アフガニスタン、リビア、イランから王室が姿を消し、現存するイスラムの君主国は、北アフリカから東南アジアにいたる地域の十か国である。

肩書きは、今日では「マリク(国王)」、「スルタン(国家元首の場合は『国王』と訳す)」、「アミール(首長)」が使用されているが、かつてイスラム世界における最高指導者は「カリフ」と呼ばれていた。預言者ムハンマドの没後、その後継者たちがアラビア語で「ハリーファ(継承者)」と呼ばれたのに由来する。

アッバース朝はバグダッドを首都として栄えた(「千夜一夜物語」が書かれたのもこの時代である)が、のちに一族がエジプトのマムルーク朝のもとに亡命し、その庇護を受けてカリフ制が存続したが、1517年オスマン帝国がエジプトを支配下においてカリフを廃位した。もっとも、オスマン帝国の後期のスルタンは、アッバース朝の末裔から譲位されたとしてカリフの称号を利用していた。

スルタンはアラビア語で「権力者」、「権威者」を意味するが、アッバース朝のカリフが11世紀にバグダッドを含む地域を支配し、庇護者となったセルジューク・トルコの長トゥグリル・ベグにこの称号を贈ったことがきっかけで君主の称号として用いられるようになり、オスマン帝国でもこれが使用された。

アミールはアラビア語で「司令官」「総督」を意味する語で、王族・貴人の称号として使われるようになった。国の支配者の場合は日本語で「首長」と訳されている。ムスリム集団の長の称号として用いられることもある。

現在はなくなったが、ペルシャやムガール帝国では、シャーという肩書きが使われた。また、中央アジア、北アジアの騎馬民族は、ハーン(汗)という肩書きを好んだ。

現在は、サウジアラビア、バーレーン、ヨルダン、モロッコがマリク、オマーンとブルネイがスルタン。クウェート、アラブ首長国連邦、カタールがアミールである。