人間の徳性の根本

私は郷学研修所・安岡正篤記念館(@noushikyogaku)さんのツイートの中でひと月程前、次の言葉をリツイートしました――人間の徳性の中でも根本のものは、活々(いきいき)している、清新溌剌(はつらつ)ということだ。いかなる場合にも、特に逆境・有事の時ほど活々していることが必要である。その人に接すると自分までも気が爽やかになるという、これが人物の最も大事な要素だ。そしてかくのごとき人であれば必ず役に立つ。

溌剌とした明るさというものには、人を感化する上でも人を元気にさせる力がありましょう。取り分けリーダーシップを執るような人は発光体であり続けねばならず、明るくなければその責任を果たし得ないと言えるのかもしれません。そしてリーダーのみならず人間にとって常に喜神を含む(…どんなに苦しいことに遭っても、心のどこか奥の方に喜びを持つ)、明るい心を常に持つとは非常に重要なことだと思います。

『論語』に、「君子固(もと)より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る…小人は窮すると取り乱すが、君子は窮しても泰然としている」(衛霊公第十五の二)という孔子の言があります。君子というのは恒心(…常に定まったぶれない正しい心)で乱れることなく、恒心を保っていればこそ発光体であり続けることが出来るのです。また同時に、全体の雰囲気を和に持って行くことも出来ましょう。

そもそもが造化(…万物の創造主であり神であり天)は人類社会をより良くして行くよう此の世のあらゆる物を創り、人智では計り知れぬ知恵を結集し素晴らしい人間という存在を創りたもうたわけです。即ちその人間をして天自らの心を開くと共に、人間界に益益繁栄が続いて行くよう創りたもうたということで、人間というのは結局のところ「日に新たに」(『大学』)、昨日より今日、今日より明日と絶えず新たなる創造を繰り返し、常に自己革新を心掛け良き方に進んで行くことを志向する存在なのです。

であればこそ、溌剌とした明るさというものが必要なのです。清新溌剌でなしに、陰気でてきぱきしないような状況であれば、より良き世界を創るのは難しいと思います。だから安岡先生は、「人間の徳性の根本は清新溌剌である」とされているのでしょう。つまりは自分自身の生き方として、新たな境地を切り開いて行く等と、溌剌たるものが良いと述べておられるのだと思います。

徳(德)という字は、行人偏(彳)と直と心に分解されます。「直(なお)き心で行う」ということで、真実の心と言えましょう。自分が徳と特段認識しなくても、そういう真心というものを大切に思い、他者をどうやって幸せにするかを第一に考えるということです。その心の持様が此の世の中をより円滑に発展させて行くことに繋がります。人間が不朽の価値を持つべくは、此の徳性すなわち良心を天の意のままに実践し自らを育てて行かねばならないのです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年5月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。