怒れ!日本の勤労者

増田 悦佐

こんにちは。

約1週間前7月7日、総務省の「家計調査2023年5月分」が公表されました。その内容があまりにも悲惨だったにもかかわらず、大手マスメディアでもSNSでもほとんど議論されていません。

今日は勤労世帯の実質可処分所得が、前年同月比で7.5%も下がっていた件について書きます。

yaophotograph/iStock

おとなしすぎる日本の勤労者

まず次のグラフからご覧ください。


可処分所得とは、所得の中から税金とか社会保険料とか国民が義務として払わなければならない金額を差し引いて自由に使える金額のことです。

そして、実質というのは、もちろんインフレ率を割り引いて、貨幣価値がまったく変わらなければいくらになっていたはずかということを示しています。

アメリカほどの大盤振る舞いではありませんでしたが、日本政府も2020年の初夏にはコロナ対策としていくらか勤労所得を増やす政策を実施しました。

その2020年でさえ、5~7月だけは突出していたものの、年間平均で見ると日本の勤労世帯の可処分所得は大して高水準にはなりませんでした。

でも、その程度のささやかなゲタを履かせてもらった2020年の実質可処分所得に比べて、2021年中はなんとかプラスを維持していたものの、2022年以降となると一貫してマイナス、つまりこの指数で言うと100を下回る水準が続いていたのです。

それだけでもとんでもない低迷なのに、今年5月は前年同月比で7.5%も低下し、2020年の年間平均に比べると、10%も低い水準に落ちこんでしまったのです。

この間、日本の勤労者はまじめに働いていなかったので、自業自得なのでしょうか? とんでもありません。さすがに1950~70年代の高度成長期や1980年代のバブル期ほどではありませんが、日本の全要素生産性はG7諸国の中で平均値よりやや下程度には伸びていたのです。


全要素生産性とは、労働力の投入量も投下された資本の量と質もまったく同じだったとしても、生産高がどれだけ増えていたかを測る指標で、技術進歩や社会全体の働きやすさなどを示していると考えられています。

その全要素生産性で言えば、1995年からの四半世紀(25年間)で、日本はアメリカ、イギリス、カナダ、ドイツには負けるけれどもフランスやイタリアよりはいい年率0.5%の成長を維持していました。

過去30~40年の先進諸国の全要素生産性はめったに年率1%を超えることはなかったので、これは、それほど悲観すべき水準ではありません。

ただ、実質GDP成長率になると、日本は全要素生産性では勝っていたフランスにも負けてしまい、毎年0.2%ずつ全要素生産性が下がっていたイタリアの0.2%成長に比べるとややマシ程度の0.6%の年率でしか伸びていなかったのです。

全要素生産性は毎年0.5%ずつ伸びていたのに、GDPは0.6%ずつしか伸びていなかったという事実は、生産性の伸びがGDPの伸びにつながらないような経済政策の間違いや、政治・経済・社会全般にわたる障害が存在していたことを示唆しています。

大きすぎる労働生産性と実質賃金のギャップ

問題の根源がどこにあるかは、意外にあっさりわかってしまいます。勤労者が稼ぎ出したはずの労働の成果をほとんど全部だれかに横取りされてしまって、過去四半世紀にわたってまったく実質賃金が伸びず、当然消費も停滞していたことです。


いかがでしょう。日本の勤労者は稼いだ分の賃金給与をもらえず、過去25年間にわたってまったく賃金給与が上がっていなかったことがはっきり出ているとしか言えない6枚のグラフではないでしょうか。

勤労者がほぼ労働生産性に見合った賃金給与をもらえていたら、過去25年間日本の賃金給与はアメリカの次に大幅に上昇していたはずなのです。そうなっていれば、消費も活性化していて、GDP成長率だってずっと高かったに違いありません。

でも、実際にはG7からカナダを除いた6ヵ国の中で最低、25年間ちっとも増えず、2015年まではかなり落ちこんでいたのを2016~20年で取り返してやっと1995年水準に戻っただけでした。

なぜこんなにバカげたことが起きるのでしょうか。私は、過去25年間ほとんどぶれずに日本政府と日銀が追求してきた円安、インフレ歓迎、超低金利政策がすべて製造業大手の株主や経営者と金融業界にだけ優しく、勤労者には冷酷な政策だったからだと思います。

自国通貨安は国民全員の購買力を下げる

過去10年間にかぎって見ると、日本円の為替レートは世界各国の通貨の加重平均値に対して約25%も下がっています日本国民がモノでもサービスでも輸入するとき、10年前に比べて約25%多額の円を払わなければ同じ量を買うことができなくなっていたのです。

次の2枚組グラフの上段が世界各国の通貨の過去10年間の実質実効為替レート変動率です。


過去一貫して日本の通貨である円が弱かったわけではありません。それどころか、2011年頃まではほぼ一貫して円は上昇を続けてきました。下段の米ドルの対円レートが示すとおりです。

なお、ここでは1ドルが円に換算するといくらかを示しているので、上に行く(ドルが円に対して高い)ほど円安、下に行く(ドルが円に対して安い)ほど円安になっています。

ほぼ一貫して円高が続いていた頃の日本は、突発的な事件でもなければ貿易収支が赤字になることはありませんでした。しかし、円高への趨勢が円安へと変わった2011年頃から、日本は2005年以降のフランスと同様の慢性的な貿易赤字国に転落してしまったのです。


なぜバブルが崩壊してGDP成長率も低下してからの1990~2000年代にも貿易黒字が続いていたかは、かんたんにわかります。

日本は毎年自国で消費するエネルギー・金属資源のほぼ全部と、かなり巨額の農林水産物を輸入しています。こうした資源や物資の円建て価格は円高なら安く、円安なら高くなるからです。

なお、円安歓迎論者は円高になると日本の製造業各社の価格競争力が下がって、輸出が大幅に減少するから、円高で輸入物資が安くなることのプラスよりはるかに大きなマイナスがある」と主張しますが、まったく実証されたことのない議論です。

日本の鉱工業生産も、もう8年も前の2015年の年間平均値を過去4~5年にわたって超えたことがありません

しかも、次の2枚組グラフでご確認いただけるように、1ドルが125~135円だった2015年当時に比べてさらに円安の140円前後になってからは、ますます鉱工業生産の水準が下がっているのです。


こうした事態を鼻先に突きつけられて、ようやく鈍重な日本の企業経営者たちもエネルギーを始めとする原材料価格が国際市場で暴騰しているときに、わざわざ円安政策をとるのは大間違いだとわかってきたようです。


それにしても、2021年には設問の選択肢にさえ入っていなかったエネルギー価格の暴騰が、2022年に初登場していきなり2位で78.4%の得票率となったのには驚きます。

何に驚いたかと言えば、2022年度での得票率の高さではなく、2021年にはもうヨーロッパ中で天然ガス価格の爆騰に大騒ぎしていたというのに、そのときまだ選択肢にも入っていなかったという調査会社の時代感覚の鈍さなのですが。

なぜ、それでも製造業大手は円安に固執するのか

それでもなお、日銀、財務官僚、経産官僚といった人々は、強引に国民全体を窮乏化させる円安政策をゴリ押ししようとします。いったいなぜでしょうか?

もう今では優良企業とは言えない、製造業の往年の花形企業にとって円安は楽をして利益を拡大しやすい経済環境だからです。

次の2枚組グラフをご覧ください。


上段には日本の輸出数量と輸出代金の推移が出ています。2021年春ごろまでは、ほとんど一緒に動いていました。輸出数量が増えれば、輸出代金総額もほぼ同じ比率で増える、つまり輸出品の単価は日本円でほぼ固定されていたわけです。

そして、ずっと円安が進んでいた時期ですが、輸出数量が増加傾向を維持したわけではありません。ほぼ同じ水準で乱高下をくり返していただけです。

2021年の夏頃から、輸出数量は横ばいから低下気味なのに輸出代金は増える傾向が顕在化します。なぜでしょうか。

下段の輸入数量と輸入代金のグラフを見ると、この頃から資源一般、とくにエネルギー資源の価格が上がって、同じ量の資源を買うのにはるかに多額の円を必要とするようになっていたことがわかります。

おそらく、この頃までは多くの日本企業が自社製品の品質の良さより「価格競争力が弱まると輸出が激減する」という神話のほうを信じて、円安になったらそのまま輸出先現地通貨価格を下げていたのでしょう。

しかし、あまりにも大幅な原材料高で利益幅が圧迫されるので、こわごわ現地価格を横ばいに保つか値上げするようになったのでしょう。そうすると、価格競争力を失って輸出数量が激減するどころか、従来よりずっと高い利益率で売り捌けることに気づいたわけです。

まあ、現地通貨建て価格は円安に伴って下げ続けていた頃から、自社製品の輸出によって国民が買える輸入品の量は大幅に目減りしても、円安分だけ円に換算したの自社利益は増えていたのですから、こうなると輸出主導の製造業大手は大幅増益となります。

あまりにも不公平な円安による製造業の増益

しかし、この円安による製造業の増益は、どうにも不公平すぎます。まず国民経済全体のパイを小さくした上に、非製造業から製造業へ、そして勤労者から株主・経営者への所得移転が起きてしまうからです。


上段だけを見ていると「非製造業は横ばいだったのに、製造業はこんなに労働生産性が伸びている。きっと製造業各社は設備投資やR&D投資で労働生産性を高める努力をしたのだろう」と思ってしまいます。

ところが下段を見ると、非製造業各社の設備投資は2021年でかろうじて1997年の水準を超えたのに、製造業各社はいまだに超えていない、つまり製造業各社のほうが楽をして労働生産性を上げていたことがわかります。

輸入は多いけれども輸出が少ない非製造業各社は、円安による輸入物価上昇のマイナスをほとんど自社と国内消費者だけで吸収しなければならないけれども、輸出が比較的多い製造業では輸入原材料高の負担を、多少は海外の消費者にも吸収してもらえるからです。

また、製造業各社が日本で造った製品を輸出した場合も、賃金給与を中心とする人件費はすべて円建てで計算します。一方、輸出代金はおそるおそるでも円安に追随せずに現地価格を高く保てば、その差額はすべて企業利益に回ります。

こうして、次の2枚組グラフに見るように、国民の消費生活は低迷し、設備投資も回復しないのに、輸出主導の製造業中心に企業利益だけは異常なほど膨れ上がることになるのです。


もちろん、企業増益自体が悪いことではありません。ですが、勤労者には労働生産性上昇分のひとかけらさえ与えずに、全部企業利益に吸収してしまうのは強欲経営としか表現しようがありません。

超低金利が景気刺激にならないほんとうの理由

こうして、日本の製造業各社は「設備投資は少額で済むのに、利益は増え続け、当座は遣う予定のない内部留保がどんどん積み上がる」という夢のような経営環境に身を置くことになります。


当然のことながら、何かしら出費の必要が出てくれば、内部留保を充てることで悠々その資金をまかなえます。下段のグラフで、製造業各社はいかに資金を内部調達で済ますことが多いかがおわかりいただけると思います。

たとえ、製造業の有利さが製造業に従事する勤労者にも分かち与えられていたとしても、非製造業とのあいだであまりにも大きな収益力格差が円安政策によって人為的につくり出されているわけですが、実際には製造業経営者はこの利点をほぼ独占しています。


上段を見ると、そもそも製造業就業者は全民間部門就業者の約7分の1に過ぎないのですが、民間部門全体として就業者数は増えているのに、製造業の就業者数は少しずつですが減り続けています。

そして、下段に眼を転ずると、2000年には金融業を除く全産業と同じ70%強の労働分配率だった製造業は、その後どんどん労働分配率を下げ、直近の2021年にはここに取り上げた7業種の中で最低の54%にまで下げてしまったのです。

なぜこんな悪辣な産業を優遇するために、国民全体に円安による購買力の低下という多大な犠牲を強いるのか、まったく理解不能です。

ひとつ考えられるのは、企業内だけではなく日本社会全体にも「年功序列」的な秩序があって、1970~80年代の花形産業だった輸出主導型製造業各社の経営陣はいまだに経団連などの圧力団体を牛耳っていて、政府・日銀もその秩序に従っているということでしょう。

わかりきっているのは、製造業各社は内部留保でかなり巨額の支出をまかなえるし、非製造業各社は苦しい懐から頑張って設備投資をしても、それに見合った労働生産性の上昇を期待できないことです。

こんな経済環境で、いったいだれが「低金利にすれば景気を刺激することができる」と思うでしょうか?

ほんとうに不思議ですが、一流大学を優秀な成績で卒業した政府の官僚や日銀の幹部職員が十年一日どころか二十年一日、三十年一日でそういうムダな政策に巨額の資金を注ぎこんでいるのです。

日本のみならず世界中でそれが壮大なムダであることは、次の10ヵ国プラスユーロ圏の実証研究で証明済みなのですが。


上段は、中央銀行がいくら金融業界から金融資産を買って現金をばら撒いてやっても、そのカネは金融業界の中であぶく銭があぶく銭を追い回すバブル循環に寄与するだけで、非金融企業への融資にはつながらないことを示しています。

むしろ、本来なら非金融業への融資に回すはずのカネまで、このバブル循環に巻きこんでしまって、完全な逆効果なのです。

下段は、現金が金融業界の外に回らなければ、国内需要を活性化する効果もないことを明示しています。スイスのように国内需要が非常に小さいので、意識的に金融立国を目指してきた国ならともかく、日本のように内需の大きな国が採るべき道ではありません

結果は、世界一高い国債を日銀が一手買い

次の2枚組グラフのうち、まず上段にご注目ください。


債券の利回りと価格のあいだには、利回りが高ければ高いほど価格は安いという明快な逆相関関係があります。

同じ金額の元手で金利収入を得ようとすれば、利回りの高い債券を買ったほうが金利収入が大きくなってお得、つまり利回りの高い債券は価格が安いということです。

それにしても日本国10年債の、10年間持ちつづけても満期償還では必ずマイナスの利回りになるというのは、無限大の高値ということになります。いったい、だれがこんなにバカ高い債券を買うのかというと、もうおわかりですね。

超低金利が景気刺激になると信じ続けている日本銀行ぐらいしか、そこまで高い買いものをする愚鈍な投資家はいません

というわけで、長期の日本国債は日銀の一手買い状態が続いています。


ですが、日銀に国債を買ってもらって現金収入を得た金融業界としては、日本国内では融資先が見当たらないのです。製造業は設備投資をサボっても円安で利益が伸びる、非製造業は金を借りて投資をしてもほとんど見返りがない・・・・・・。

そこで、最近の日本の金融業界は3大メガバンクを中心に海外に投融資先を求めています


3大メガバンクが、みずほまでふくめて純金利収入で回復の兆しが見えるのは結構なことですが、超低金利が続く日本国内では安定した利ざやは稼げないので、海外投融資を増やしたからこその、収益好転なのです。

下段を見ると、日本銀行業界の対外直接投融資+有価証券保有残高が、金融片肺飛行のイギリスばかりか、世界最大の金融市場を持つアメリカも抜いてしまったことに驚きます。

ふたつ懸念要因があります。

ひとつは、今後波乱万丈が予想される国際金融の世界で日本の大手銀行はとうてい危ないところからは一刻も早く逃げるといった敏捷な行動ができる組織ではないことです。

もうひとつ、もっと大きな懸念はこうして対外投融資に回しているカネは、最低限元本が無事なまま、日本の内需を振興するために帰ってこられるのかということです。

日本の勤労者たちが無期限ゼネストでもしないかぎり、政府・日銀・往年の花形企業・金融業界の既得権益を打ち破って、円安から円高への転換を達成するのはむずかしいのではないでしょうか。

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編集部より:この記事は増田悦佐氏のブログ「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」2023年7月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は「読みたいから書き、書きたいから調べるーー増田悦佐の珍事・奇書探訪」をご覧ください。