社会資本主義
近著で私は、マルクス、ウェーバー、シュムペーター、パーソンズ、高田保馬などの核心を融合した経済社会学を応用し、「ポスト資本主義」論に決着をつけるべく一歩踏み出し、それに「社会資本主義」と命名した。
現今の資本主義の構造と機能はそのまま受け継ぎ、新しい試みとして経済資本と社会学に完全に定着した「資本」概念である社会的共通資本、社会関係資本、人間文化資本を統合した経済社会システムの「適応能力上昇」を重視した。さらに、全国民の生活安定と未来展望を可能とする世代間協力、及び教育による人間文化資本の彫琢を通した社会移動が容易な開放型社会への途を示そうと試みた。
非西洋社会の近代化・産業化
この判断には2つの背景があった。一つは、明治以降の日本では、「脱亜入欧」や「和魂洋才」をスローガンにした西洋への「追いつき追い越せ」が国是となってきたことがある。
確かに、手本とした西洋流の産業化により、実質的には近代資本主義社会が日本でも誕生して、今日まで続いてきた。結果として日本社会もまたWEIRD、すなわちW(Western)、E(Educated)、I(Industrialized)、R(Rich)、D(Democratic)が統合された社会となった注1)。
この西洋流の資本主義化の一般的な原動力には通常ウェーバーの「プロテスタンティズムの倫理」が位置づけられ、「資本主義の精神」が世界的に語られてきた。
ところが、日本近代史が「プロテスタンティズムの倫理」とは無縁だったことにより、
日本を含む「非西洋後発社会」では別の理由として「文化伝播」が産業化の説明に使われるようになった(富永、1996:56)。すなわち、普遍化された産業文明は「いろいろな要素」の集合体という認識の登場である。
雑種文化
そこで二つ目には、このいろいろな要素の「融合」をかつて加藤周一が日本文学に名付けた「雑種文化」概念を活用して、日本の資本主義の成立史を再解釈し、そこから一気に直感的な「社会資本主義」の名称を得た。
「見透しをたてる上に、純粋に実証的な推論以外のものが必要になる。それは事態の直感的な把握以外にない」(加藤、1974:24)。この方法に依拠したわけだが、都市化、コミュニティ、高齢化、少子化、児童虐待、環境問題などの実証的な研究に長期間従事しても、その経験からは近未来の経済社会システムの見透しが得られなかったからでもある。
4大資本の融合
換言すれば、2020年以降にハーヴェイやシュトレークなどの新しい文献研究の中で社会学への「資本」概念の延伸に気が付いたので、社会資本主義下の社会システムでの政策の優先順位をこれらの4大資本の充実と融合に求めたことになる。
このうち資本主義特有の経済資本は市場、投資、合理性、利益極大指向に象徴される企業活動に体現して、社会的共通資本は「自然資本、道路、港湾、鉄道、公園などの社会的インフラストラクチャー、教育や医療などの制度資本」(宇沢、2010:21)などに象徴される。
また、社会関係資本は個人間で縁があり、義理があり、人情も残る関係を保ち、それらがお互いの生活や仕事のうえでも支援や協力の支えになり、問題解決にも有効な役割を果たす機能をもつことを重視した。そして、人間文化資本では「氏より育ち」とはいえ、「氏」としての家族が伝えてきた伝統や家風が次世代につながり、経済社会システムの価値をも規定する条件になることを想定してきた。
いわば、雑種性に富む「4大資本」の融合を今後の資本主義に組み込んだのである。
雑種文化に積極的な意味を認める
認識論的にも加藤は、「自国の文化にとって欠くことのできない原理を外国に求めるということではなく、外国との接触によって本来の原理の展開を豊かにする」(同上:30)とした。さらに「ほんとうの問題は、文化の雑種性そのものに積極的な意味をみとめ、それをそのまま生かしてゆくときにどういう可能性があるかということであろう」(同上:44)とのべた。
そこで、これは文学だけではなく社会学でも同じだと解釈して、日本の資本主義は「近代化」という「普遍的な社会的溶剤」(富永、前掲書:53)による「雑種文化」であると認識して、「社会資本主義」を構想したわけである注2)。
以下では、6月16日に政府が発表した『経済財政運営と改革の基本方針2023 加速する新しい資本主義』(以下、『骨太の方針』と略称)と厚生労働省が7月4日に公表した「2022年国民生活基礎調査」(以下、「国民生活調査」と略称)の結果を使って、「社会資本主義」が大きな課題とした「全国民の生活安定と未来展望」を考えてみたい。
2022年「国民生活基礎調査」の結果の公表
「国民生活調査」は、保健、医療、福祉、年金、所得等国民生活の基礎的事項を調べて、厚生労働行政の企画及び立案に必要な基礎資料を得ることを目的とする。1986年を初年として3年ごとに大規模な調査が実施され、中間の各年は簡易な調査が行われてきた。
今回発表された2022年は、13回目の大規模調査に当たる。
調査方法
実査では、全国の世帯及び世帯員を対象とし、世帯票及び健康票については、2020国勢調査区のうち後置番号1及び8から層化無作為抽出した5530地区内のすべての世帯(約30万世帯)及び世帯員(約67万4千人)が選択された。
介護票では、前記の5530地区内から層化無作為抽出した2500地区内の介護保険法の要介護者及び要支援者(約7千人)が選ばれた。
また所得票・貯蓄票については、5530地区に設定された単位区のうち後置番号1から層化無作為抽出した2000単位区内のすべての世帯(約3万世帯)及び世帯員(約7万人)が調査客体とされた。
「国民生活調査」は統計学的手法を厳密に守りながら、個人研究者が科研費により行う調査とは隔絶した規模を持ち、その結果は日本社会の最新の断面を描き出すために、問題意識に応じて専門家が活用する貴重なデータベースになってきた。
有効回収率
例外はあるが、基本的には調査員が配布した調査票に世帯員が自ら記入し、後日、調査員が回収する方法により行われる。そのためネット調査とは異なり、ランダムサンプリングにより得られた母集団がしっかりしていて、有効回収率が60%を越えればいちおう満足できるデータとみなせる。
今回の調査票配布世帯と有効回収率は表1の通りである注3)。
ここでは主に「世帯」関連のデータをまとめ、『骨太の方針』での「包摂社会」や「共助社会」との関連で「生活安定と未来展望」を論じてみたい。
世帯構造の推移
実際に調査票が配布された2022年6月2日の全国の世帯総数は5431万世帯であり、それまでに日本の世帯構造は図1のように推移してきた。ここでは調査結果を7回分だけ取り上げて、世帯構造を「単独世帯」「夫婦のみ世帯」「夫婦と未婚の子のみの世帯」「その他の世帯」に類型化した。
顕著な傾向は、「単独世帯」の着実な増加と「夫婦と未婚の子のみの世帯」の減少である。とりわけ2022年の結果にはこの両者が鮮明に出た。
ちなみに実数でいえば、「単独世帯」が1785万2千世帯、「夫婦と未婚の子のみの世帯」が1402万2千世帯、「夫婦のみ世帯」1333万世帯となった。
今後の「社会資本主義」下の「少子化する高齢社会」でもその動向は変わらない。なぜなら「夫婦のみ世帯」はやがて「単身世帯」になるからであり、時代の基調としては「単身化」が続く。
「世帯総数」と「平均世帯人員」
次に「世帯総数」と「平均世帯人員」を見ておこう。取り上げる年次は図1と同じであり、「世帯総数」はほぼ一貫して伸びているが、逆に「平均世帯人員」は着実に減少してきた(表2)。この逆相関の原因には少子化と単身化を挙げることができる。
この30年間では、世帯総数で約1.4倍、平均世帯人員は0.85人の減少を示している注4)。いうなれば、日本社会はますます細分化され、粉末化されてきたことになる注5)。
世帯類型の推移
第三に、「世帯類型」の推移を見ておこう。調査票では「高齢者世帯」(1693万1千世帯)、「母子世帯」(56万5千世帯)、「父子世帯」(7万5千世帯)、「その他の世帯」(3673万8千世帯)として類型化されているので、図2では「母子・父子世帯」として一括して、3類型の推移をグラフ化した。
ここにいう「高齢者世帯」は65歳以上の人がいる世帯の総称であり、内訳は「単独世帯」が873万世帯(51.6%)、「夫婦のみ世帯」が756万2千世帯(44.7%)になっている。
社会システム全体の傾向としては、「高齢者世帯」の増加に伴い高齢化も進展して、その分だけ「その他の世帯」が減少したことになるが、この中で「母子・父子世帯」は過去30年間で一定の比率を示してきた。
高齢者世帯の構造
高齢者世帯で過半数を占めた男女別「単独世帯」と「夫婦のみの世帯」「その他の世帯」をまとめると、図3が得られる。
「単独世帯」の内訳は男が35.9%、女が64.1%であり、高齢女性が多い。グラフから分かるように、男の一人暮らしは高齢者世帯全体では20%に届かなかったが、女の一人暮らしは33%を超えた。人生の終末期に「一人旅」を余儀なくされる男女が今後とも増えるから、『骨太の方針』にいう「包摂」や」「共助」がどこまで具体化するかでも、「新しい資本主義」の成否が判断できる注6)。
児童のいる世帯の状況
一方、今回の調査では「児童のいる世帯」が全世帯のわずか18.3%にまで低下した(図4)。
「児童1人」が9.0%、「児童2人」が6.9%、「児童3人以上」が2.3%であり、「国民生活調査」が始まった1986年の「児童の有無」半々、「児童2人」が22.3%とは隔絶した結果となった。特に2007年からは「児童1人」が第1位を続けてきたことで、ますます少子化が進む現実が鮮明となった
児童のいる世帯での母の仕事の状況
調査票では「児童のいる世帯における母の仕事の状況」として表現されているが、文脈からすると、「家事という仕事」は除外されて、家族外からの報酬がある「仕事」の有無を尋ねている。そのために「仕事なし」はいわゆる専業主婦を表わすと考えられる。
また、「その他の職員」とは、「会社・団体等の役員、自営業者、家族従業者、内職、その他など」を総称する(「国民生活調査」:8)。この結果を図5でまとめた。
「正規の職員」の比率は2004年段階では16.9%であったが、徐々に増加して2022年では30%を超えた。一方で「非正規職員」の比率も36.4%と高く、「その他」を含めると、「仕事あり」が75.7%、「仕事なし」=「専業主婦」が24.3%になった。
専業主婦が大幅に減少
2004年段階では、「児童のいる世帯」での専業主婦は43.3%であったが、この20年近くで半減に近いところまで下がった。
この間、「共働き・共育て」という表現もマスコミでは定着したし、40年以上続く政府の「両立ライフ」、「ワークライフバランス」、「両立支援」(『骨太の方針』)に示されるように、「多様で柔軟な働き方の推進」こそが重点項目になっている。
最終的に『骨太の方針』(:19)でも言われたように、「女性が尊厳と誇りをもって生きられる社会を実現」は正しいが、今回の「国民生活調査」でも、「児童のいる世帯」における25%余りの母親が「尊厳と誇りをもって生きている」「専業主婦」であることへの理解は進んだのか。
「包摂」と「共助」社会づくり
さて『骨太の方針』は、第1章「マクロ経済運営の基本的考え方」、第2章「新しい資本主義の加速」、第3章「我が国を取り巻く環境変化への対応」、第4章「中長期の経済財政運営」、第5章「当面の経済財政運営と令和6年度予算編成に向けた考え方」に分かれている。
包摂社会
ここで取り上げるのは、第2章の「4.包摂社会の実現」である注7)。
そこでは、「包摂社会」や「共生・共助社会づくり」そして「孤独・孤立対策」が高らかに謳われた。すなわち、「一人一人が生きがいや役割を持ち、助け合いながら暮らせる包摂的な共生社会づくりを推進する」(『骨太の方針』:19)。この文章の意味は鮮明であり、これからの「社会づくりの理念」としても有効であろう。
なぜなら、「人が、有意義な人生を送っていると感じるのは、思いやり、協力、コミュニティや人とのつながりを体現している時」(ヒッケル、2020=2023:187)だからである。
誰一人取り残さず、確実に支援を届ける
であれば、「誰一人取り残さず、確実に支援を届けるため、こどもや家庭への包括的な支援体制づくりを推進する」(『骨太の方針』:18)はどのように具体化されるか。
とりわけ、「国民生活調査」結果のうち、
(1)全世帯の31.2%を占める高齢者世帯を取り残さない「包摂」の方法
(2)「児童のいる世帯」18.3%の「包摂」の方法は「児童のいない世帯」81.7%のそれと同じか違うか
(3)児童のいる世帯の母のうち「仕事あり」75.7%と「仕事なし」(専業主婦)24.3%
の「包摂」方法が特に重要になるであろう。
決意表明を越えて
(1)については、「高齢者世帯」全体の「包摂」はもちろんだが、その内の過半数の「単独世帯」の「孤独・孤立対策」も重要になる。『骨太の方針』では10行ほど書いてあるが、実際には「実態調査結果等を踏まえ、全省庁で孤独・孤立対策の視点を入れて施策を推進する」(:21)ということで、決意表明に終わっている。
(2)については、「異次元の少子化対策」がらみで、「児童のいる世帯」の包摂をどのように優先するか。これは「社会全体」の定義にも直結するが、「児童のいない世帯」がいかに「児童のいる世帯」を支援できるかが、ラストチャンスとしての「異次元の少子化対策」の成否を分ける。
これまでのように、社会全体の中での子育てを、産んだ親、親が働く職場、子どもが通う義務教育の学校、中央政府、自治体、地域社会の6つのアクターが支えるだけでは、「児童のいる世帯」と「児童のいない世帯」の格差は解消されない。
年末の財源論までに草案が欲しい
(3)「児童のいる世帯」の母のうち、75%の「仕事あり」と25%の「仕事なし」(専業主婦)の包摂方法をいかに工夫するか。どちらも多様な生き方として「肯定」できるのか。「共働き・共育て」はどうなのか。これらについて、それぞれの立場から主張をぶつけ合うことが可能か。
厚生労働省の大がかりな「国民生活調査」の結果が出たのであるから、これも活用して、たとえば「敬老の日」を目途に「包摂」や「孤独・孤立対策」そして(3)に関わる草案を出し、年末の財源論までにそれと整合させられるだろうか。
以下、社会学的な知見も交えてこれらに有益と思われる素材を提供する。
集合意識の衰退
社会システム特性のうち「集合体志向」が薄れ、個人主義(me-ism)の様相が濃厚な「私化」が普遍化した現代日本社会では、個性が尊ばれ自己責任が当然視されている。しかし家族でも地域でも組織でも、そこに集積する個人の人生はそれぞれに社会性を帯びた積極的関係を維持している。
同時にこの自己責任に隣接する個性重視という基本的傾向は受け入れながらも、人間は自分一人だけの生活も人生も困難だから、いわゆる「群居の欲望」(高田、1949=1971=2003:47)もまた払拭されることはない。
地域性を伴う群居
一般的にいえば、群居は地域性を前提にしても組織性に依拠しても成り立つが、65歳前後で職場という後ろ盾を失う高齢者とその配偶者は、地域性を軸とする以外には群居ができなくなる。すなわち一定の住所に定住して、地域の中の群居にならざるを得ない。
高田の表現では「接触の久しさ」となり、これは地縁、血縁、事縁(仕事利益の関係からの接触の多い事)に結びつく(同上:48)。
相違への恐怖
「群居の欲望」は、現代社会に蔓延する「相違の恐怖」(fear of difference)の予防ないしは解消にもつながる。
社会学では、性、世代、階層、コミュニティ、健康などの「相違」についての理解を進めて社会的寛容性を広げることで、「相違」を超えた信頼と協力を見出していくことが求められてきた(Cantle,2005:188)。これには社会全体の「真実」(truth)と「寛大さ」(forgiveness)の追求が基本原則になる注8)。
ただし、社会システムにおける相違、分離、住み分け、差別への恐怖の解消は簡単ではない。なぜなら、一人暮らし高齢者支援でも、子どもを育てている「仕事あり」母親と「仕事なし」母親間での「平等問題」でも、経済的支援を含めて、住宅の提供、仕事への公平なアクセス、行政サービスの確保、学校教育の機会均等を保障するところからしか解決の見通しが得られないからである。
解決方法
この「平等」や「公平」の観点からの実質的な解決方法についての議論は、学術的にも政策論的にも依然として不十分な段階にある。
一般論としては、新しい個人主義に沿う「連帯性」の存在が必要であり、そのためには寛容と相互信頼こそが、異なった背景の人びと間にある理解と伝統を促進する結びつきを創造できるという指摘はすでにある。しかし高齢者間や社会的弱者間、それに外国人と日本人との間にあるはずの「連帯性」創出の方法が実行性を持ち得ていない。
長年にわたる内外のコミュニティ研究には膨大な蓄積があるので、「コミュニティの凝集性は寛容性を増進し、異なった集団を受容し、平等と統合を促進する」(ibid.;209)を活かした理論化を進めるための補助線を次に示しておこう。
「相違の恐怖」の緩和
まずは日常生活での「相違の恐怖」を緩和する方法を、具体的な事例によって解明することである。
「相違の恐怖」は個人、家族、地域社会のどのレベルでも起きるから、周囲の支援を受け、地域社会全体の理解と寛容を促進して、相違を前提とした受け入れ活動を強化するために、血縁、地縁、住縁、職縁、関心縁などを通した接触が求められる注9)。
場面に応じた接触
このきっかけは、互いに分離する領域、たとえば教育、雇用、信仰、文化、レジャーなどでも構わない。あるいは『ミドルタウン』のように、生活費獲得、家庭生活、青少年育成、余暇時間活動、宗教活動、地域活動などでも十分である(リンド夫妻,1929=1990)。
地域における場面としての共存は、街中、近隣、小中学校、高等学習施設、病院、スポーツクラブ、企業、商店、スーパー、コンビニ、地区センター、コミュニティ集団、宗教集団などで行われる。
接触頻度が重要
それらの分野での接触の頻度が、段階的なコミュニティの凝集性を用意する。コミュニティの凝集性の基本は、「一人暮らし」でも「仕事」の有無に関わらずに、それぞれを孤立させないようにすることにある。
まずは、世帯、性、世代、階層、居住地域、健康の相違を超えて、縁ごとの頻繁な対話と相互作用がその入口にくる。たとえ「相違の恐怖」があっても、真摯な対話は共同価値を発展させるという性善説がそこにある。
架け橋の対象
そうすると、解決のための架け橋は、「自分たちのような人々」(people like us)と「自分たちと違う人々」(people not like us)とに対象を大別するところにある(Cantle,op.cit.:186)。
どちらを重視しても、コミュニティ凝集性には相互作用から醸し出される帰属感が芽生え、その先には「社会関係資本」への途が開かれている。
地域社会で暮らす人々が、階層や世代や宗教などの文化的な境界を越えて、積極的な相互作用の結果として、意味のある社会関係と相互扶助をどのように創造できるか。
国際化と高齢化が同時進行する日本社会でも、境界を超えないままの「相違の恐怖」と、それを超えたら発生する「相違の恐怖」とが共存する段階に入っている。このような認識の上で、「骨太の方針」でも政策としての「孤独・孤立対策」を進めてほしい。
共通の展望と帰属感を育む
両方の「相違の恐怖」を緩和するには、分割された属性をもつ多くの主体間にいくらかでも共通の展望と帰属感を育むことにつきる。それには「国民生活調査」に現れたように、「多様性」と「共通性」の両面を活かしたうえで、
- 社会成員の背景が、世代と階層と健康面でも多様であることを理解する
- 異なった主体間に、共通の制度や類似の生活機会を創造する
- 強い相違の間に、横断的な接触と関係づくりの機会を発展させる
ような政策展開が望まれることになる。
特定目標は何か
展望を阻害する要因としては、依然として異なる生活信条、世代差、階層差、信仰、文化などの違いがある。もちろん展望そのものは「短命な概念ではない」(ibid.:170)。キャントルが提起した’Overarching goals’はほぼ’common aims’なのだから、多様性のもつ積極的将来像を促進して、偏見と不寛容に取り組む努力を開始するしかない。
『骨太の方針』の’Overarching goals’は「新しい資本主義」になるが、私はこれを「社会資本主義」と命名した。これまでのような「新しい資本主義と新しい社会主義の共生」「ポスト資本主義」「脱成長」などよりも、少なくとも一歩前進させた地点での議論がほしい。それだけ「目標」が絞り込めるからである。
全国民の「生活安定と未来展望」のためにも、年末の「財源論」までに各方面からの’common aims’提唱が待たれるところである。
■
注1)この表現はラワース(2017=2021:402)からの引用である。ラワースはイギリス式の ‘Industrialised’を使ったが、ここではアメリカ式の‘Industrialized’で表現した。
注2)「普遍的な社会的溶剤」はリーヴィが使用した概念である。富永はこれを日本の近代化論に応用したことになる。
注3)5種類の調査票の内容と細かな集計方法については厚生労働省ホームページ(7月4日)に詳しい。
注4)このデータを基にして消費動向を探ると、「個人消費」以上に「世帯消費」が堅実に伸びることを論じたことがある(金子、2022)。
注5)「粉末化」は「さらさらパラパラの人間関係状態に陥った個人を表現」(金子、2016:7)する用語として造語した。これは現代人の「没社会性」(asocial)を意味していて、比喩的に言えば「硬い殻を帯び、社会システムの境界から遮断を行っている」人間像を表現するものである。
注6)私の「社会資本主義」では「社会関係資本」の充実を軸としたコミュニティレベルの関わり合いを重視した。
注7)「3.少子化対策・こども政策の抜本強化」については『社会資本主義』(2023)で取り上げたので、参照してほしい。
注8)多様な生き方を主唱しながら、寛容性に欠ける政策はいつの時代でも見出される。
注9)高田と異なり、私はこれら5縁に分類してきた(金子、1993:42)。
【参照文献】
- Cantle,T.,2005,Community Cohesion, Palgrave.
- Hickel,J.,2020, Less is More. Cornerstone.(=2023 野中香方子訳『資本主義の次に来る世界』東洋経済新報社.
- 加藤周一,1974,『雑種文化』講談社.
- 金子勇,1993,『都市高齢社会と地域福祉』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2016,『日本の子育て共同参画社会』ミネルヴァ書房.
- 金子勇,2022,「人口減少社会の『消費』問題」アゴラ言論プラットフォーム 9月28日).
- 金子勇,2023,『社会資本主義』ミネルヴァ書房.
- Levy,M.,1972,Modernization:Latecomers and Survivors, Basic Books.
- Lynd,R.S.& Lynd,H.M.,1929,1937,Middletown: a Study in Contemporary American Culture. Middletown in Transition : a Study in Cultural Conflicts. Harcourt, Brace& World,Inc. (=1990, 中村八朗訳『ミドルタウン』青木書店).
- Raworth ,K.,2017,Doughnut Economics : Seven Ways to Think Like a 21st Century Economist , Chelsea Green Pub Co.(=2021 黒輪篤嗣訳『ドーナツ経済』河出書房新社).
- 高田保馬,1949=1971=2003,『社会学概論』ミネルヴァ書房.
- 富永健一,1996,『近代化の理論』講談社.
- 宇沢弘文,2010,「社会的共通資本としての医療を考える」宇沢弘文・鴨下重彦編『社会的共通資本としての医療』東京大学出版会:17-36.
- Weber,M.,1904-05,Die protestantische Ethik und der >>Geist<<des Kapitalismus.(=1989 大塚久雄訳『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波書店).
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・「社会資本主義」への途 ①:新しい資本主義のすがた
・「社会資本主義」への途 ②:社会的共通資本
・「社会資本主義」への途 ③:社会関係資本と文化資本
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