中世時代の皇帝や王は部下たちに様々な命令を言い渡す時、自身を選んでくれた神に尋ねてから、神のお告げとして部下たちに命令するパターンが多かった。ところが、ロシアのプーチン大統領は自身を皇帝とし、神が彼に仕えていると考えているようだ。
通常、「神→指導者→国民」というのが指令ラインだが、プーチン氏の場合、「プーチン→神→国民」というラインだ。プーチン氏が「ウクライナはロシアに帰属する」というナラテイブ(物語)を語ると、プーチン氏はロシア正教会最高指導者キリル1世(神の代身に位置する)にウクライナ戦争の歴史的背景を国民に説明させている。
キリル1世はウクライナ戦争勃発後、プーチン大統領のウクライナ戦争を「形而上学的な闘争」と位置づけ、ロシア側を「善」、退廃文化の欧米側を「悪」とし、「善の悪への戦い」と解説してきた。そして「ウクライナとロシアが教会法に基づいて連携している」と主張し、キーウは“エルサレム”だという。「ロシア正教会はそこから誕生したのだから、その歴史的、精神的繋がりを捨て去ることはできない」と強調し、ロシアの敵対者を「悪の勢力」と呼び、ロシア兵士に闘うように呼び掛ける。
ロシア正教会の復活祭にプーチン大統領はモスクワの救世主ハリストス大聖堂の礼拝に参加した。その姿は国営放送を通じてロシア全土に放映される。神に仕え、その願いのもとロシア国民のために献身するプーチン氏の姿をみて、「われわれの指導者は世界一だ」と西側のTVコメンターに誇らしく答えるモスクワ市民の姿が放映されていた。
ロシア国民の反応は、「ロシア情報機関のプロパガンダの成果」と受け取ることはできるが、決してそれだけではない。ロシアの著名な哲学者アレキサンダー・ジプコ氏(Alexander Zipko)は独週刊誌シュピーゲル(7月8日号)とのインタビューの中で、「プーチン氏は生来、自己愛が強い人間だ」と述べる一方、「ロシア国民は強い指導者を願い、その独裁的な指導の下で生きることを願っている」というのだ。同氏によると、「ロシア人は自身で人生を選択しなければならない自由を最も恐れている」という。
まるで、ドイツ人の社会心理学者エーリッヒ・フロムの著書「自由からの逃走」という世界だ。シュピーゲルのジプコ氏のインタビュー記事のタイトルが「自由はロシア人に不安をもたらす」となっている。ロシア人の国民性を理解するうえで「自由を恐れるメンタリテイー」はキーワードだろう。
ゴルバチョフ大統領時代、外交問題の顧問チームの一員だったジプコ氏は、「ゴルバチョフ時代、共産党政治局員会議ではメンバー間で論争があったが、プーチン氏の時代になって、会議はプーチン氏の語る内容を傾聴するだけの場となり、議論があったことは一度もない」という。部下たちはプーチン氏が語る内容を「然り」と聞くだけで、西側社会では当然の「議論文化」はロシアではゴルバチョフ時代の短い期間を除けば育ったことがないという。民主主義が何かを理解しているロシア国民は少ないのだ。
ジプコ氏は、「プーチン氏は次第に自身が考えていることと、現実の世界の区別がつかなくなっている。だから、プーチン氏にとってウクライナの領土はロシア領なのだ」と指摘する。
同氏によると、ソ連共産党時代では核兵器の使用云々のことを公の場で語ることはなかったが、ロシアでは現在、核兵器の使用、配置などが政治家たちの口から安易に飛び出してきている。危険な兆候だと警告する。
ジプコ氏は「レーニン時代やスターリン時代には大部分のキリスト教会は破壊され、聖職者は殺された。そのような時代を経験してきたロシア国民の間で再び本当の宗教性が蘇るのにはまだ多くの時間がかかるだろう」と指摘する。皇帝プーチン氏は国民の「神の不在」をいいことに自身を神のような存在に奉っているのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年7月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。