「令和バブル」の昭和バブルとの違い

麻布十番にある昭和歌謡のお店「歌京」に久しぶりに出かけました。

店内のスクリーンには、昭和の歌謡曲の映像が流れ(winkの淋しい熱帯魚がかかってました)、テーブルにはラジカセやピンク電話が置いてある昭和レトロなお店です。

客層は私と同じ50代60代が中心。土曜日なのに店内は満席でした。

なぜか別の席の見知らぬ男性から、店内の客全員にグラスシャンパンが振る舞われ、大盛り上がり。既視感(デジャヴ)を感じましたが、それは1980年代後半の昭和バブルです。

昭和バブルの頃と同じように、このところの株式や不動産価格の上昇で、港区界隈にはこの手の人が増えました。30年以上のあの頃に似た「令和バブル」の雰囲気が漂っています。

しかし、今回の昭和バブルとの大きな違いは、日本経済全体が成長しない中での経済的豊かさということです。

全体のパイが拡大しない中で、一部の人だけが経済的豊かさを享受している。限られたパイを多くの人が奪い合う状態ですから、競争に負けた人はバブルの蚊帳の外になります。

豊かな人が生まれれば、その分貧しい人も生み出される経済構造は、全ての人が豊かさを実感した昭和バブルとは随分情景が異なります。

西城秀樹さんのYMCAのような昭和の映像を見ていると、1980年代までの日本には新興国の雰囲気があったことに気がつきました。

今の東南アジアの新興国に似た蒸せかえるような熱気が発散していたのは「今日よりも明日はもっと良くなる」という確信が社会全体に満ちていたからです。

この感覚は令和の日本にはもうありません。令和バブルは、静かに盛り上がり、クールで醒めた雰囲気を醸し出しています。

今は経済的に潤っている人も、一瞬先は闇。いつまで続くのかわからない。そんな冷静な感覚です。

令和バブルによって更に経済格差は拡大し、それが社会の分断を生み、日本も治安がこれから更に悪化していくことでしょう。

線香花火は消える直前に一瞬だけ明るくなるといいます。令和バブルは、何だかそれに似たもの悲しさを感じました。


編集部より:この記事は「内藤忍の公式ブログ」2023年7月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は内藤忍の公式ブログをご覧ください。

資産デザイン研究所社長
1964年生まれ。東京大学経済学部卒業後、住友信託銀行に入社。1999年に株式会社マネックス(現マネックス証券株式会社)の創業に参加。同社は、東証一部上場企業となる。その後、マネックス・オルタナティブ・インベストメンツ株式会社代表取締役社長、株式会社マネックス・ユニバーシティ代表取締役社長を経て、2011年クレディ・スイス証券プライベート・バンキング本部ディレクターに就任。2013年、株式会社資産デザイン研究所設立。代表取締役社長に就任。一般社団法人海外資産運用教育協会設立。代表理事に就任。