戦争のコストはどのぐらいかかるのか(藤谷 昌敏)

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政策提言委員・金沢工業大学客員教授 藤谷 昌敏

アジア太平洋地域の安全保障を俯瞰すると、中国の台頭や米国の退潮にともなって地政学的状況は大きく変化しつつあると言える。

日本は第二次世界大戦以降、自らが主体となる戦争を長く経験していないため、戦争が経済にどのような影響を与えるのか、どれぐらいの経済的損失が出るのかなどの基本的な情報を持ち合わせていない。そのため、経済面の考察が不足しており、かなりアバウトな予測値が議論の材料となっている。このままでは、いざ戦争状態に突入した場合の戦争継続能力への影響、国民生活への影響などが正確に評価できなくなる。

現在、韓国は、親北朝鮮、中国寄りだった文在寅政権から、親日的な尹錫悦政権に交代しており、日米韓が連携して東アジアの安全保障に貢献し得る情勢となっている。だが、韓日関係は竹島問題などの領土問題や反日勢力による世論誘導などにより極めて不安定であり、再び反日的な政権が復活する可能性も否定できない。

これに北朝鮮の核ミサイル開発状況などを加味すると、日本を取り巻く安全保障環境は複雑さを増し、今後、日本が何らかの形で国際紛争に巻き込まれるリスクは増大している。

ドイツ初代宰相のビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」と語った。「愚者は自分で失敗して初めて失敗の原因に気付き、その後同じ失敗を繰り返さないようになるが、賢者は過去の他人の失敗から学び同じ失敗をしないようにする」という意味だが、過去に日本が味わった戦争の悲惨な実態を強調し、目を背けてばかりでは本当の平和は実現できない。

日本だけではなく他国の戦争の原因を冷静沈着に分析して、「どのようにしたら戦争に巻き込まれないのか」、「やむを得ず巻き込まれた場合にはどうすれば被害の最小化ができるのか」、「戦争を早急に終わらせるにはどうするのか」など平時から研究しておくことは非常に重要だ。特に国民生活に直結する経済が戦争によって受ける影響について、我々は正しく理解しておくべきだ。

日本は明治維新により、欧米を目標として富国強兵策を取り入れたが、アジア、アフリカなどで有力な植民地を擁する欧米列強に匹敵する軍事力を持つことは当時の日本にとって容易なことではなかった。

日本は、その後相次いだ経済恐慌により、国民生活は困窮し、その脆弱性を露呈した。欧米のように植民地を持つことで苦境を脱しようとしたが、朝鮮併合では、1905年から1945年まで、毎年、国家予算の10%以上を朝鮮半島の支援に当てるほどの莫大な経費がかかった。当時の日本にとって、朝鮮併合は対ロシアという軍事上の安全保障としてはやむを得ない選択肢だったが、経済という視点からは、まったく割に合わなかった。

一方、米国は現在でも継続的に戦争を経験しており、戦争と経済が密接に関係している。日本も敗戦前は、周辺諸国との摩擦を避けられなかった。米国と日本を例にして戦争が経済や国民生活に与える影響について考察する。

米国の戦争経済

米国の第二次世界大戦の戦費総額は、約3,000億ドルに達したが、開戦当時のGDPは920億ドルなので、GDP比は3.2倍となる。GDPの8倍を投入した日本と比べると相対的な負担はかなり軽いと言いえる。この戦費の格差が兵器、弾薬、食糧などあらゆる面で日本を圧倒する結果になったのだ。

第二次世界大戦後、米国は朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争という大きな戦争を行っているが、その戦費負担は、すべてGDP比の15%以内に収まっている。その理由としては、国家間の力関係が固定化して大国による戦争が行われなかったこと、米国のGDPが戦後、大きく成長したことなどが挙げられる。

結局、戦後の米国は自国に匹敵するような経済大国と争ったことがなく、経験したどの戦争もそれほど大きな負担を国民経済に強いることはなかったと言える。

日清、日露、太平洋戦争における日本の戦費

日清戦争(1894年〜1895年)においては、戦争準備や軍備増強のための費用、兵士の給与、装備品、弾薬、軍艦の建造などを国内予算と借金や国債の発行によって賄い、個人や企業からの寄付金も活用された。

開戦時の日本のGDP(当時はGNP)は13.4億円であり、日清戦争の戦費は、2億3,340万円(現在の価値に換算して約2兆3,340億円)で、開戦前年度の一般会計歳出決算額8,458万円の2.76倍に相当した。

日露戦争(1904年〜1905年)の戦費総額は、日本政府の一般・特別会計によると18億2,629万円とされている。このうち、14億7,329万円は国債で補われた。つまり 日露戦争の費用の4分の3は借金によって補われたことになる。

開戦当事のGDPは約30億円であり、日露戦争の戦費を現在の価値に換算すると約2兆6,000億円程度とされる。当時の日本の財政を考慮すれば非常に重い負担となっており、政府は所得税等を上げ、タバコ(1904年)・塩(1905年)を専売制にして歳入増加を図っていた。

太平洋戦争は、上記2つの戦争とはけた違いの戦争だった。日中戦争開戦時のGDPは228億円であり、太平洋戦争(日中戦争を含む)における名目上の戦費総額(一般会計と特別会計)は約7,600億円となっている。日本が太平洋戦争に費やした戦費は、国家予算の約280倍で、現代の通貨価値に置き換えれば、4,400兆円という巨大な数値となる。

戦時中の日本では、国民の生活は窮乏し、物資が不足したため、砂糖、マッチ、木炭、米穀などが切符制、配給制となり、塩や味噌、醤油、衣類などあらゆる生活物資が点数切符による総合配給制となった。学生や女性は工員として軍需工場で生産に当たるなど国家総力戦となった。

大きな経済的リスクを背負う戦争の主導国

各大戦の実質GDPに目を向けると、どの戦争についても、戦費が投入されたことで、GDPが上昇している。しかし、戦争が終結した後は強い反動が起こり、GDPが大きく低下している。特に太平洋戦争後のGDPの減少は急激で厖大だ。日清戦争、日露戦争の場合には、投入された戦費と名目GDPの増加分にそれほど差はないが、太平洋戦争においては、GDPの増加分よりも戦費の方が圧倒的に大きい。

これらの戦争に比べて、日本が直接戦争の当事者にはならず、経済的な恩恵だけを受けることができた第一次大戦や朝鮮戦争では、反対に実質GDPの大幅な成長をもたらしている。自国が当事者でない戦争と平和の継続は経済的に大きくプラスとなることが実証されている。

要するに戦費を一定範囲内に抑えることができた戦争の場合には、経済成長に対してプラス要因となり、限度を超えた戦費を投入した戦争は明らかにマイナスとなることが分かる。

藤谷 昌敏
1954(昭和29)年、北海道生まれ。学習院大学法学部法学科、北陸先端科学技術大学院大学先端科学技術研究科修士課程卒、知識科学修士、MOT。法務省公安調査庁入庁(北朝鮮、中国、ロシア、国際テロ、サイバーテロ部門歴任)。同庁金沢公安調査事務所長で退官。現在、JFSS政策提言委員、経済安全保障マネジメント支援機構上席研究員、合同会社OFFICE TOYA代表、TOYA未来情報研究所代表、金沢工業大学客員教授(危機管理論)。主要著書(共著)に『第3世代のサービスイノベーション』(社会評論社)、論文に「我が国に対するインテリジェンス活動にどう対応するのか」(本誌『季報』Vol.78-83に連載)がある。


編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年7月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。