見えない日本の展望:高齢者天国日本は『精神的』金持ちになった

日経のコラム「大機小機」に「日本経済の展望が見えない」という記事があります。要はこの20年で日本は様々な分野で世界のトップクラスからずり落ち続ける中、それを誰が止め、復興させるのだろうか、という趣旨です。特に後段は岸田首相の掲げる「新しい資本主義」は耳障りは良いが実効性には未だ疑問符がつくし、政権内には様々な会議体、例えば社会保障、デジタル田園都市、こども未来戦略…とあるが相互の連関性も弱いし、大臣の存在感も薄く、組織力もない、更には経済企画庁の分析力、調整力も低下が目立つ、と良くもこれだけバッテンをつけられるものだと逆に感心しました。

これではまるで指導者である政権が悪い、岸田内閣を変えたくても与党にも野党にもこれという代替候補すらいない、と政治にその理由を押し付けたくなる気持ちはわかりますが、日本のチカラが無くなったのは昨日今日に始まったわけではないし、政治だけではなく、経済、社会、教育などあらゆる分野において冴えない展開となっています。

F3al2/iStock

こういう点は外から見ていると確かによく分かるものです。かつてこのブログで私は日本の文句ばかりを言っているとコメントされたことがありますが、文句ではなく、なぜ、こんなに歯車が違ってしまったのか、解せなかったのです。ではお前は答えが分かったのか、と問われれば複合的理由のいくつかはパッと思い浮かびます。

ですが、俯瞰した見方をすれば私は「日本は『精神的』金持ちになった」、それが答えだと思います。

サラリーマン時代、ある先輩が「俺はもう、いい歳なんだからこんな新入生がやるような単純作業はやりたくないんだよね」とボソッと口にしたのが今でも焼きついています。「いい歳なんだから」という意味は何でしょうか?当時、その先輩は40代半ばぐらいだったと思いますが、「俺も偉くなったんだからこんな仕事は俺にやらせるなよな」で面倒くさいことで俺の時間を費やすな、なのです。ではその「俺」は何をするかといえば大した生産的業務をしているわけではない、つまり、楽をしているのです。

これではかつての大学の体育会系に言われた「奴隷、平民、天皇、神様」とコンセプトは同じになってしまいます。

日本は神々が汗を流して働いた天照大神からスタートしています。しかし、かつての体育会系大学4年生は神様でも汗を流しません。これを現在の日本の社会に当てはめると、年齢が上になればなるほど「金がある」「地位がある」「プライドがある」「人目がある」とやらない理由を突き付けます。

日本は高齢者天国です。65歳以上の比率は3割程度。選挙があれば高齢者は選挙にせっせと行くけれど、若い人は「面倒くせー!」で結果は高齢者に優しい政治家が当選します。つまり、私の年齢層を含めた年齢層が上の世代が裕福になり、それを見ながら育った次やその次の世代はそもそも努力する、貧乏から這い上がなくても基礎ができてお金で何でも解決できてしまいます。

これはアメリカが慢性財政赤字、貿易赤字で挙句の果てに国家分裂という重病になっているのと一面共通する部分があります。では同じ北米なのにカナダではなぜ病気が目立たないか、といえばアメリカよりはるかに強い移民政策で汗をかく(=希望と夢を持つ)若者を政策的に増やしているため、汗をかかなくなった富裕層の高齢者との補完関係にあるのです。数日前、トルドー首相が内閣改造をしましたが、閣僚を7名も入れ替えました。入れ替えたというより閣僚から(年齢もあるし)「もう辞める」という声が続出したため、新陳代謝を図ったわけです。でも日本はそういう変化は起きません。

私はたまたまご縁があって福岡市の企業誘致チームの方々とやり取りをしながら福岡市の発展について時折、ご意見させて頂いています。先日、そのチームの方から企業誘致セミナーが東京であるのでぜひ、というお声がけを頂き、オンラインながら拝見しました。冒頭、高島市長が30分、プレゼンをしたのですが、これが素晴らしかったのです。市長の才能もあるし、対話をするように引き込ませる喋り方はゾクッとするものすら感じました。ただ、それ以上に市長をはじめとするチームが一体感を持ち、どうやったら福岡をもっと成長できるか、多面的にとらえている点が立派だと思ってます。東京都にやらせても官僚的で、あんな感じにはならないのです。

福岡は明白なビジョンを持っているし、立地的特性をしっかりとらえながらそれをどう生かし、長期スパンで街づくりを考えています。それには人口を増やすという前提があります。地方都市の多くは消滅可能都市とされます。時折、地方の県庁所在地の駅に降り立つと駅前の歩行者信号の音だけが鳴り響く空虚で静寂感すら感じることもあるのですが、それを変えるパッションすらないのです。

日本は変われるか、と問われればわからないとしか答えられません。変わるネタが少ないのです。ただ、以前指摘したようにバブル前の時代を謳歌した人たちは一線を退いているので、昭和から平成生まれ主導になりつつある点には期待をしています。一方でゆとり世代がその主軸であるため、競争意識は薄く、共栄共存がより強く打ち出されるのでしょう。

日本人の特性は調和ですのでむしろかつての行動成長期と死に物狂いでトップを取ることが特殊な時代だったのだ、見ることもできます。普通の幸せを求める、そんな日本になっていくのかもしれません。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2023年7月30日の記事より転載させていただきました。