ドイツ民間ニュース専門局ntvは3日、「若い医師の悲劇」という見出しの記事を報じた。25歳の医師、ウクライナ人のドミトロ・ビリィさんの話だ。
ビリィさんは2日、ウクライナ南部へルソン市にあるカラベレス病院に初出勤した。その日、ロシア軍が病院を直撃し、勤務中のビリィさんは死去した。2日はビリィさんの初出勤の日であり、同時に最後の日となった。若い医師の死がソーシャルメディアで報じられると、その死を惜しむ声が溢れるなど、大きな反響を呼んでいる。
ドミトロ・ビリィさんは2021年に医学部を卒業し、実習を重ねた後、耳鼻咽喉科医としてカラベレス病院に初出勤した。その日、ロシアのミサイルが病院の手術室に命中した。報道によると、彼は破片に当たり、その傷害で亡くなった。さらに4人の病院職員が負傷した。
医師の死はウクライナ国内で驚きと同情を引き起こし、ソーシャルメディアでは多くの人々が、犠牲となった医師の写真を共有した。例えば、サポリジャ医科大学の学生評議会はフェイスブックに投稿し、「彼はとても親切で、陽気で、本物のムードメーカーで、いつも笑顔だった」と書いている。さらにその投稿では、「ドミトロは良く学び、優れた医師になる夢を見ており、今日仕事に行くことができたことにとても幸せを感じていた」と綴られていた。
同じ日の2日、ロシア軍はヘルソン市の正教のシンボル、1781年に建てられた聖カタリーナ大聖堂を砲撃した。近くを通り過ぎたバスも被弾した。地元当局によれば、3人の乗客と1人の通行人が負傷した。その後、教会内で火災が発生し、消防隊が駆けつけて火を消そうとしたとき、教会は再び攻撃された。州の災害対策機関の4人の職員が負傷した。
カタリーナ大聖堂はヘルソンで最も古い正教の教会の一つであり、ツァーリーナエカテリーナ2世の寵臣であり、ヘルソンの創設者の一人でもあるグリゴリー・ポチョムキンの墓所だ。ロシア軍は昨年10月にヘルソンから撤退する際、カタリーナ大聖堂を略奪し、大聖堂内に保管されていたポチョムキンの遺体を持ち去っている。
以上はntvウェブサイトに掲載された記事の概要だ。
ロシアのプーチン大統領が昨年2月24日、ロシア軍をウクライナに侵攻させて以来、まもなく1年半を迎える。ロシア軍はウクライナでは単に軍事施設だけではなく、水道・電力関連施設など産業インフラに攻撃を加え、民間住宅地、病院、幼稚園、そして宗教関連施設への砲撃も躊躇していない。
キエフ近郊の「ブチャの虐殺」、東部ドネツク州のマリウポリ市の破壊、そして6月6日未明、南部へルソン州でドニプロ川に設置されたカホフカ水力発電所のダムが破壊され、決壊した。7月に入れば、プーチン大統領は「世界の穀倉地」と呼ばれ、世界の食糧供給源のウクライナ産穀物の黒海経由への輸出にストップをかけている。プーチン氏は文字通り、世界を敵に回して、自身のナラテイブを信じて暴走してきているわけだ。
戦争は多くの悲劇を生み出す。メディアでは報じられなかったが、多くのビリイさんをこれまで生み出してきたことだろう。若者らしく未来に希望を感じながら初出勤した日にビリィさんは亡くなった。家族、知人、友人たちも悔しいだろう。
なお、ウクライナ検事総長室の戦争犯罪調査部局が2日、明らかにしたところによると、ロシアの侵略以来、これまで殺害されたウクライナの民間人は約1万0749人で、負傷者は1万5599人に達したという。犠牲者の中には499人の子供たちが含まれている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年8月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。