中古車販売・買取会社「ビッグモーター」の様々な不正やパワハラ問題が世間を騒がせています。
一番本質的に問題なのは客の車をわざわざ傷つけて保険金を不正請求していた部分ですが、世間的に印象がめっちゃ悪かったのは店舗前の視認性を高めるために?(あるいはひょっとするとただ幹部の視察の時の掃除の手間を省くためという説も)街路樹に除草剤を撒いてわざわざ枯らせていた話で…
また、創業社長氏とその息子の副社長氏(現在は両者とも退任)のキャラが濃すぎて、日本に暮らす色んな人の感情的なスイッチを刺激してしまうところがあって、こういうのが嫌いな人にはもう根本的に「受け付けられない大問題」という感じになっている。
ただこの問題は、日本という社会で働くあらゆる人が密接に絡まり合う中で玉突き事故的に発生するタイプの課題なので、じゃあビッグモーターという会社を一個潰してしまえばそれで済む問題かというとそういう感じでもないんですよね。
私は外資コンサルからキャリアを初めて今は中小企業相手のコンサルタント(とはいえこういうブラック企業は直接の顧客にはいないですが間接的に見聞きはします)なので、普段こういうブラック企業と触れたことがないタイプの生活をしている人と比べると、大分色んな事情が理解できるところがあります。
ついでに、自分のクライアントの地方の中小企業において、過去10年で平均給与を150万円ほど引き上げることができた例もあって、恵まれた都会の会社以外でも「変わっていく」にはどうすればいいかを理解している方だと思います。
そこで、
日本社会においてこういうブラック企業がどういう経緯で生まれてくるのか、どうすればいいのか?
…について考える記事を書きます。
1. あなたのすぐ隣にもあるブラック企業
普段の生活においていわゆる「ブラック企業」との関係がほとんどない人生を歩んできた人からすると、ビッグモーターみたいな会社ってどこにあるのかな?こんな奴らがいるなんて信じられないな!というような不思議な気持ちになる人も結構いると思うんですね。
自分とは関係ない、自分の生活とは交わらない存在だと感じている人も結構いるかもしれない。
しかし、ビッグモーターの本社って六本木ヒルズにありますし、インテリ読者のあなたが普通に働いている都心のインテリジェントビルにもチラホラこういう会社はあります。
同じ通勤電車に乗って同じビルに吸い込まれている隣の人が、案外そういう「ブラック企業」の人である可能性だって結構ある。それぐらいブラック企業は日本社会において「日常の隙間」に存在している存在なんですね。
私は20年以上前に大卒後外資コンサルからキャリアを始めたんですが、そういう「外資コンサル的な理屈の世界」と「日本社会」があまりにも文化的に別個の世界になりすぎていて、この状況を放置していると大変なことになるな、という感じで危機感を感じていました。
で、ちょっとメンタルを病み気味になって退職した後に、次の職場を見つけるまでに「日本社会のすみずみまで色んな立場を実地で見る旅」をするぞ!みたいな青臭いことをやりまして、色んなブラック企業とか、肉体労働現場とか、あとたまたま駅前で声かけられたカルト宗教団体に潜入してみたりだとか、求人雑誌で見つけたホストクラブで短期間働いてキャバクラ嬢さんにドンペリを入れてもらったことがあったりとか、とにかく色々やってた時期があったんですよ。
”潜入してみたカルト宗教団体”は最近話題の某宗教で、その時の体験を連ツイにまとめたものは結構読まれたので良かったら以下をクリックして読んでみてほしいのですが…
上記のカルト宗教団体潜入体験もまあまあ衝撃的だったんですが、いくつかの「ブラック営業会社」に潜入した体験は同じぐらい衝撃的でした。
僕は別に富裕層とはとても言えない普通の中流家庭出身ですけど、親がまあまあインテリ体質で「営業マン的人種」を嫌ってるタイプの人だったこともあって、なかなか人生の中でこういうブラック営業カルチャーの会社と出会ったことがなかったんですよね。
でも、「とにかく色んな日本社会のリアルを見なきゃ」とか言う感じで、リクルート社の求人雑誌を見て、ターミナル駅前のインテリジェントビルに入ってる会社に入ってみたらこういう「ブラック営業会社」だった事自体に、個人的にはかなり衝撃を受けました。
何社かで働いたけど、例えば「30万円とかの浄水器を訪問販売する会社」では、ゼンリン社の地図をコピーして切り抜いて、今日はここねー!って言って社員みんなでそこまでクルマで行って、一日中訪問販売してまわるという焼き畑農法あるいは狩猟採集民的?なビジネスモデルなんですが、
「水道局から来ました」
って言ったら嘘になるけど
「”水道の方”から来ました」
って言ったらなんか”公的”な存在っぽく聞こえるからそこからアポイント取って実際にローン組んで買ってもらうという仕事(笑)
正直言ってさすがに倫理観的にやってられんな、と思って結構すぐやめちゃいましたけど、こういう仕事が日本社会にはあちこちにあるんだな、っていうのは結構カルチャーショックを受けました。
さすがに上記の「狩猟採集民」的な会社は小さな雑居ビルにありましたけど、もっと大きな駅前の巨大ビルにある会社は、上記のカルチャーのままもうちょっとシステマティックに運営されているという感じで。
「ビッグモーター」はさらにその上位のお化け的存在という感じで、フェアに言うならさっきの浄水器の会社よりは何十倍も「まともな正業部分」を持っていたでしょうし、多分本社で働いている一握りの人はまあまあホワイトっぽい環境に見せかけていつつ、一方で現場店舗に行くとそういう根性論的なカルチャーの延長が残っているという感じだったのかなと思います。
(ちなみにこういう「営業系ブラック会社」に比べると、物流や建築なんかの「肉体労働系の会社」は仕事自体はきつくても当時の待遇はまあまあ悪くなかったし雰囲気自体は断然良かったです)
2. 「日常の隙間にあるブラック企業」が日本で果たしている役割とは?
要するに何が言いたいかというと、さっきも書いたけど本当に日本において「ブラック企業」は、インテリで中流以上の育ちの人には想像できないぐらい、
『物凄く身近なところにある』
ってことなんですよ。日常に違和感なく溶け込んでいる。
で、別に擁護するつもりは全然ないんですが、「そんな会社潰してしまえ!」といくらSNSで叫んでも潰れないのは、そこにいる人達にも生活があるから、という話ではあるんですよね。
個人的な感想としてですが、多分欧米などの諸外国では、こういう会社は、都心のインテリジェントビルに隠れて一緒に存在してる感じになってない可能性はあるなと思います。
もっと「別の場所」にあるし、「健全な企業としての偽装」みたいなこともあまりしてない事が多いのかも。
日本に多くある「ブラック企業」の存在は、ある意味で、他の国なら単なる野放しの犯罪とかカオスとして放置されてしまうものを、何らかの「体育会系」のウェットな繋がりによって、「世間様へのご迷惑はかけない」という形で有機的につなぎとめている存在みたいなところがあるんですよね。
ただし、諸外国における同種の人々のように「世間様全体」への迷惑はかけないけど、例えばハズレを引いた顧客とかに対しては被害を押し付けている側面はある…みたいなことですね。
物凄く「良いように」言うとすれば、欧米的に理屈で運営されている社会だと純粋な「悪」扱いされて「マトモな範囲」から排除されてしまうようなタイプの人が、山間部の樹木の根っこが土壌を掴まえてくれているから水害に強いみたいなメカニズムによって「普通の社会」の中で居場所を作れている…みたいな要素があるなと。
それが日本社会の見かけ上の安定感とか犯罪の少なさとか、そういう部分に繋がっている構造は疑いなくあると私は考えています。(それでいいかどうかは別問題で、嫌いな人は嫌いだろうし、欧米型に”悪”は”悪”として排除されてしまう世界の方が好きな人もいるでしょうが)
要するに、ある種の「エリート的でない出自の存在が”一人前”に頑張って生きていく感覚を得られる雇用の受け皿」みたいになってる側面があって、恵まれた育ちの人がただ「あんな奴ら消えてしまえばいい」と言っているだけでは消えてなくなったりしないのがブラック企業問題の難しいところなんですね。
「じゃあそういうお前がお前の責任で俺たちの働く場所作ってくれんの?」
…と言われてしまうとちょっと答えに窮してしまう部分はある。
「あんな奴ら」を見下して「自分は違う」と思えている事自体が、自分自身が恵まれた育ちである特権性に無自覚だからこそ言えている事にすぎない・・・という側面はどうしてもある。
だから、日本社会が本当にああいう「ブラック企業」を克服していきたいとなると、単に欧米的な理屈を押し込んで「お前たちは間違っている」というだけでは変わっていけないリアルな問題がある。
そこをどうやって変えていけばいいのか? について考察するのが今回記事の目的というわけですね。
3. 「ガッツはあるが知力ゼロ」では勝てない時代になってヤバさが露呈してきた感がある
とはいえ、このままじゃいけないし、その「このままじゃいけない度合い」がどんどん高まってきている時期ではあるなと感じています。
というのも、「根性だけでなんとかなる」部分が経済的にどんどん縮小してるところが理由としてあるんですね。
例えばビッグモーターみたいな中古車販売業でも、今はメチャクチャ豊富な情報がネットで取れるじゃないですか。
中古車一台買うにあたっての、色んなオプションとか保証とかコーティングがどうとか、それの適正な相場がどれくらいで、この車種のこの型番にはこういう不具合が出やすく、それは走行何万キロから要注意で、その最善の対策はコレでその費用の目安はこれです…みたいなのがネット検索したらすぐいくらでも出てくる。
こういう「情報環境」がもう10年前とは全然違うんですよね。
しかも文章読むの苦手なタイプでも動画でリッチに物凄く詳細な情報が日々アップされていっている。
なんなら営業マンの話を聞きながらスマホでその場で隠れて検索して裏取りしたりできる。場合によったらネットの情報から営業マンに逆提案できたりもする。
だから「営業マンのトークで売れる」みたいな要素が年々縮小しているところがある。
根性系営業会社でありがちな形式化されたセールストークのロールプレイをしてそれを情熱で押し込むみたいな方式がどんどん「誰が見ても嘘くさい」ものになってきている。
そうじゃなくて、ちゃんと話を聞いて適切に顧客の状況を判断して、幅広い情報を取捨選択して整理して自社で提供できる部分をフェアに切り出して提示するみたいなことが営業マンの仕事に変わってきている。
こういう状況下で勝つには、「営業マンの個人プレー」的な要素を徐々に廃していって、「経営」の部分で「勝てる理由」を構造的に作ってしまわないといけない時代になってきている。
「ガッツ」と「知力」は中小企業の経営でどっちも必要ですけど、「ガッツはめっちゃあるけど知力ゼロ」みたいな経営のあり方がかなり苦しくなってきている変化が、あらゆる業種で起きているところがある。
そういう営業系カルチャーの会社の上司は、昔はとにかく「頑張れば数字が上がった」という成功体験があるので、社員が成績あげられないととにかくハッパをかける…みたいな事になりがちなんですよね。
でも、状況変化で、「構造的な勝ち筋」が作れていない会社ではいくら現場が頑張ってもなかなか勝てない環境に変わってきているので、その中で徹底的に上から詰められると、もう当然不正に走るしか無い・・・みたいな感じになってしまう。
ビッグモーターも集団的に不正に走り出したのはここ5−6年だ…という話もありますし、それはその時期まで曲がりなりにも成り立っていた「根性系営業会社カルチャー」自体に限界が来ている中で、それでも上からプレッシャーをかけられ続けた結果起きたことなのだと私は考えています。
では、どうすればいいのか?
4. ある程度の「知性」の仕切りが必要になってきている。
実際に、クライアントの中小企業で10年で150万円ほど給与を引き上げられた「転換」を間近で体感してみて思うポイントは、中小企業の転換には
知性とガッツの両輪
…が当然のように必要だな、という当たり前のことを感じます(笑)
「平均給与」っていうのはなかなか簡単には上げられないので、「皆で頑張って乗り越えようぜ!」というだけではちょっと無理がある。
ビジネスモデルをある程度知的に理解した上で、細かいコストダウンとか、細かいアップセルとか、ついでに売れるサブスク型の収入とかを積み上げていったり、ライバル社が片手間にやっているその業種で重要なコアの業務を専門部隊を育成して徹底的に掘り下げさせるとか、なんかそういう部分は
ぶっちゃけある程度知的な人が音頭を取る必要
…はある。
これは必ずしも”学歴”とは連動しないので、例え中卒だろうと頭いい人がいれば全然できることではあります。
ただなんか、いわゆる「全員野球」的にただ単に現場の工夫を吸い上げるだけだと、”お客様のために”という美名のもとに、かなり顧客側としても別にどうでもいいようなことで「過剰に皆で苦労する自己満足」みたいになっちゃいがちなんですよね日本では。
だから、一つ一つの施策に対して、ある程度「費用対効果」「苦労対効果」的な視点からメタに取捨選択しつつ、工夫を引き出していくみたいな事が必要になる。
そういう意味で、ある程度「知的な仕切り」がどうしても必要ではあります。
特にネットが普及して情報が溢れ出し、単に「ベタな熱意」だけでは通用しなくなってきた今の環境ではその傾向がどんどん強まっている。
5. 「ガッツ」との両輪が必要という意味は?
ただし一方で!こういう「知性」だけでも全然ダメで、「ガッツ」の方もめっちゃ重要なのが中小企業なんですよね。
大企業になるほどインテリ体質の社員が増えて、知的なことをただ知的に言っただけでその「知的な内容」だけを個々人が解釈して動くみたいな要素が増えていきます。(とはいえ世界的大企業だろうと”ガッツ”の必要性がゼロになるかっていうとそうでもないと思いますが)
一方で、中小企業になればなるほど、「気持ち」がついてこないと動いてくれないし、動いてくれなきゃ「知性」も絵に書いた餅しか作れない。
「動いてくれない」ってだけじゃなくて、肝心の「知的な仕切り」をやっていくにあたって、現場側との密な意思疎通がないとやっぱり的を外した施策しか作れなかったりするんですよね。
だから、徐々に時代についていけなくなってきている「根性論カルチャー」的な会社に対して、徐々に「ちゃんと現場のこともわかってる知性」が適切に溶け合って作用するように持っていく必要がある。
もちろん、ビッグモーター許すまじ!みたいな世論が沸騰すること自体は「変化を促す」ために大事なんですが、それだけだと「彼らの世界」は変わらずそのまま放置されてしまって、欧米におけるように一握りのインテリとそれ以外の層がどんどん分離していって徹底的に恨み合うような社会になってしまうんですよ。
そうじゃなくて、「そこには彼らなりに必然性のある異文化が存在する」ことを尊重した上で、しかし「現代的に必要な知的な仕切り」を溶け合わせていくというようなプロセスがどうしても必要なんですね。
とはいえそんなことはどうやったらできるのか?
6. 日米カルチャーのハザマに生まれるモンスター
「どうすれば変えられるのか?」を考える前に、まずビッグモーター的な会社で起きていることをもうちょっとだけ解像度高く理解してみることが必要だと私は考えています。
多くの人が誤解している事なんですが、今回のような問題を引き起こしたのは、「創業社長の父親氏」&「元暴走族のヘッドの次期社長氏」的なカルチャー”ではない”可能性が高いんですよね。
むしろ、「米国大のMBA持ちの30代の息子氏(元副社長)」が実権を握るようになってから急激におかしくなった…というのは多くの元社員の告発などで言われていることです。
とはいえ、これは「MBAカルチャー」が悪いんじゃなくて「MBAカルチャーと上意下達会社の悪魔合体」が最悪の取り合わせなのだ、という話をしたいんですよ。
創業社長の父親氏や次期社長の元暴走族ヘッドのような人のカルチャーって、上意下達なようで一応ウェットな人間関係の中で双方向的なやりとりがある事も多いわけですよね。
現場的になにか今の施策が問題あるぞ、ってなったらそれを感知できる場合も多い。実際創業社長氏が実権を握っていた時期には問題はそこまで深刻ではなかった。
一方で、息子副社長氏みたいなタイプの人が、「上意下達カルチャー」と悪魔合体すると、『日本でもアメリカでもありえないモンスター』的な存在が生まれるんですよ。
なぜなら、「MBAカルチャー」は、「人間関係のシガラミを超えた”合理的判断”をさせるパワー」を個人に与えるわけですけど、同時にその「MBAカルチャー」自体が、完全にオープンでロジカルな議論によってお互いを掣肘しあうことでコントロールする・・・みたいな構造になっているわけですよね。
だから、「米国大MBA持ちの創業家の息子で次期社長」みたいな部分には、よほど気をつけてないとかなりヤバいモンスターが生まれる時がある。(もちろんものすごい視野が広くて現場もわかるマトモなX代目経営者になる例も実際にありますけどね)
本来は「オープンでロジカルな議論によって掣肘されあう」ことを前提として認証された「人間関係に縛られない個人」っていうMBA的存在と、ウェットな関係の中で相互に情報をやりとりしていたはずの「上意下達カルチャー」が組み合わさると…
とにかく大した工夫のない根性論政策を無理やりゴリ押し的に下に押し付けて、「もっとやれ」「死んでもやれ」って言いまくるだけで終わるみたいなモンスターが生まれてしまう。
7. 『息子副社長氏は即排除、創業社長系のカルチャーは段階的に置き換え』の方針で
で、そういう風に解像度をあげてビッグモーター的存在を理解した上で、「どうしていけばいいのか」を考えてみたいんですが…
結局このビッグモーター単体でもそうだし、日本においてこういう「根性論的カルチャー」をどうやったら脱却していけるか、みたいな話で言うと、
「息子副社長氏的なモンスターは”即排除”する」
「創業社長系カルチャーは”段階的に置き換え”ていく」
…という方針が大事だと私は考えています。
私の「10年で150万円給与を引き上げられた」クライアントで、少しパワハラ気味の役員氏にやめてもらった事があったんですけど、クライアントの経営者氏はめっっっっちゃ気を使って段階的に段階的に権限を移譲してもらうように話を進めていて、コンサルタント的な合理主義からすると「気を使いすぎじゃない?」って思っていたということがありました。
でもあとから見ると、そういう風に「段階的」にやった事の意味は大きかったと思うし、外部にいるコンサルタントと「中に毎日いる」経営者との違いを感じる出来事ではありました。
特に、そういう「パワハラ的」な人は、「人望」も結構あったりするからね。
「ガッツ」や「人間関係」の部分で会社内にガッチリと居場所を持っていることが多いし、そういう人の存在感によって組織の末端までの最低限の職業倫理とか真面目さとかが保たれている側面はある。
そういう「ガッツ側」を体現している人には、敬意を払いつつ徐々に置き換えていくような姿勢が、特に日本社会においては大事だと私は思います。
「そういうパワハラ的な態度はこれからの当社では認められません」みたいなことは明確に言っていきつつ、「彼らのカルチャーが果たしてきた役割」には十二分に敬意を払って遇するみたいなことが必要。
ビッグモーターでも、次期社長の「元暴走族ヘッド」氏は創業社長に心酔しているタイプで…みたいな話があって、「そんなヤツで大丈夫なのかよ」って思う気持ちはわかります。
とはいえ、ある程度そういう「ガッツ」でまとめる部分がないと、危機は乗り切れないのも事実なんですよね。少なくとも現場で働いている人を心の底では下に見て馬鹿にしてるタイプだと絶対無理。
具体的な話として創業社長氏にも経営から手を引いてもらう事自体は大事なことですが、「創業社長氏に心酔する社員たち」の気持ちとかまで無理やり引き剥がそうとすると無理がある。
だから、「元副社長の息子氏」みたいなモンスターは即排除でいいけど、「創業社長氏&元暴走族ヘッドの現社長氏」みたいな存在は、「段階的に移譲していってもらう」態度が必要だと思います。
そういう「ガッツ役」の人にはガッツを体現してもらっておきつつ、会社をちゃんとまとめた状態で、そこに「マトモな知性」を導入していけるかどうか。
そうやって「ガッツと知性の両輪」がある程度まわりはじめたら、「パワハラ的要素」はどんどん減らしていく事はかなり容易に可能になることだと私は仕事の中で感じています。
逆に言うと、そういう「ガッツ」側にある人々の気持ちとうまくシンクロできずに「糾弾」だけをやっていると、いつまでも前社長派の存在がくすぶって文化は変わらないままで終わってしまう可能性はある。(なにしろ今後も大株主ではあり続けますしね)
単に糾弾して「心を閉ざされる」タイプの言説だけじゃなくて、ちゃんと彼ら側の自律性を尊重しながら「知性的な仕切り」を通用させていくようなムーブメントがどうしてもここで必要になってくるんですね。
とはいえ、そういう「マトモな知性」ってどこにあるんでしょうね?
8. 「油の世界」の自律性を維持しつつ、「知性」を溶け合わせていく「希少なハイブリッドタイプ」を徹底活用する
世間的には「事業承継」的な二代目、三代目の経営者ってイメージ悪いですけど、特に構成員があまりインテリでない地方の会社に、都会の大学を出て大企業で働いた経験がある、広い視野を持っているX代目の跡継ぎが継承する事は、それなりに意味がある例も多いです。
ほうっておくと、「ガッツ」側の人間だけで占められてしまう組織に「多様性」をもたらすからですね。
とはいえ、それが「成功」する事例というのはその後継者氏のものすごい人格的な善良さとか色んな条件が必要になるので、もっと色んな方向での「知性サイド」から「ガッツサイド」への新しい知見の導入が可能になる経路が今後の日本社会には多種多様に必要になってくるんだろうと思います。
私はよく本の中で「水のカルチャー(知性)」と「油のカルチャー(ガッツ)」という本来混ざらないものを混ぜ合わせるような作業が必要だという話をしますが…
そういう「”油側”の事情も理解できる”水側”の知性」って凄い凄い希少資源だから、ぶっちゃけて言えばそういう事ができる人間には、どんどん活躍してもらって、どんどん「資本の力」も利用して吸収合併していってくれればいいなと私は期待しています。
私のクライアントでも、こういう「油側の事情も理解できる水側の知性」を持った経営者には、「もっと大きな役割を果たしてくださいよ!」ってしょっちゅう最近言うようになっています(笑)
でもそういう人って謙虚な人も多いしいい加減なことはできないという意識も高いから、少しずつしか変わっていかないんですけどね。
ただ、彼らの中には「自分の役割」をちゃんと果たしていきたいという気持ちはかなり強くあることが多いから、徐々に「もっと大きな」役割を担ってもらえるようにエンパワーしていきたいと思っています。
それに、そういう風潮は今後かなり自然と高まっていく流れになるとも予想しています。
ちょっと厳しい事をいえば、日本経済が「優勝劣敗」的な要素が出てくる事によって自然に進んでいくはずだという感じですね。
例の「ネットで情報が溢れている時代には根性論だけでは売れなくなる」的な要素が年々厳しくなってくる中では、「ガッツしかない」タイプの経営が毎年さらに苦しくなってくるからね。
それでも、それを無理やり延命させるためのパワハラとか不正ビジネスとかに対してはちゃんと厳正な対処をしていく…という圧力をちゃんと加えていけば、自然な結論として「優秀でマトモな経営者」の元にもう少し人々が集まっていくような変化は起きる予感がある。
あと、最近よく「小規模会社を買収して経営を立て直すことをやりまくってる若い人」とか、「次々と小規模で儲かる事業を垂直立ち上げしていく若い人」とか、結構見かけるからね。
そういうタイプの人が「油の事情もわかる水側の知性」として、日本社会の古い層を食い破り、内側から変えていくような転換を、いかにエンパワーしていけるかが大事だということですね。
ビッグモーターに関して言えば、詳しい財務内容とか知らないですけど、「狂ったように出店しまくる」って創業社長が長いこと言ってきて日本一の規模になった会社がものすごいキャッシュリッチということもなさそうなので、今の状況が続けば結構近いうちにたいへんな状況になりそうではあります。
中古車販売業について詳しいわけではないですが、一台を仕入れてから売れるまでの結構長い間自分の「手金」で支払って持っておく事が必要な業態だろうから、今みたいに急激に販売が落ち込んだらどこかではやいうちに資金繰りが大変になりそう。(在庫を吐き出しまくればなんとかなるのかな。それだって結構な損害が出るし大量にある店舗の固定費を賄えなくなりそうな?)
その後、多分どっかのタイミングで買収されたりとか、あるいは地域ごとにバラ売りされるかとかして、「マトモな経営的な仕切り」が生きている会社に吸収されていくというのが一つの理想ではあるのかなと思います。
一方で、まあ現状の形を維持したとしても、元暴走族のボスみたいな新社長氏が、色んな意味での「新しい発想」とタッグを組めたらそれが次善の策ではある。
罵詈雑言から“ですます調”に…LINE文言に変化 現役社員語るビッグモーターのいま
この記事↑笑っちゃったんですが、いつも社内LINEで罵詈雑言を投げあっていたビッグモーター社員が突然「ですます調の敬語」で話すようになったっていう話で(笑)
こういう風な地味な変化↑をやっていきつつ、そうすると今まで「パワハラ力で乗り越えられた」ブーストが切れるわけで、それでもやっていける工夫を社内で作り出せるか、あるいはそのパワハラブーストがなくなったら業績あげられなくなって身売りする事になるか、どちらかが「あるべき着地点」という感じがします。
そういう「油側の世界」にはちゃんとある程度グリップを持っておいた上で、「知性」をいかに導入していけるかがこれからの日本社会では大事なことなんですね。
■
長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。
少しずつ方針転換する日銀の政策、少子高齢化による人手不足、その他ありとあらゆる変化が、「昭和の経済大国の遺産を食い延ばして社会の定常性を維持すること」が最大目標だった「平成」時代を終わらせつつあるのを感じています。
人手不足は今まで「効率化投資」には二の足を踏んでいたあらゆる日本の現場に「変革」を迫りますし、パワハラ職場では人が集まらない状況になることでどんどん経済は入れ替わっていくでしょう。
物流も「2024年問題」っていうのがあって、働き方改革的な規制強化で今の物流のやり方では崩壊するみたいな話があって、今徐々に色んな工夫を積んで対策をしなくちゃ、という流れになっています。
最近、「地方でコストコが時給1500円とか提示して急激に上向きの賃金競争が起きている」的なウェブ記事を読んだんですが、そのヤフーコメント欄見てても昔なら「資本の横暴から中小企業を守れ」だったのが、今は「この状況を利用して労働者を守れ」一色みたいになっていて時代の変化を感じました。
過去20年の日本が「変化を拒否」してきた事に不満がある人も多いでしょうが、その時代に先取りして変化に飛び込んだ国が国内に回復不能な分断を抱え込みがちなところを見ると、日本はここまで「みんな一緒幻想」を「幻想」とはいえ保持してこれた事自体はとても大事なことだったと私は考えています。
しかしその「幻想」自体が維持しづらくなってきた今、「焼け落ちる足場から次の安定した足場に飛び移る」的なタイミングが近づいてきている。
その状況でも、日本社会の「みんな一緒幻想」が壊れずに維持されつつ、現代に必要な個々人への配慮とか国際競走への対応みたいなものを柔軟に取り入れていけるか?がこれからのチャレンジとなる。
以下の本などでも、私はずっと前から「こういうタイミングが来る」ことは予言してきているわけですが…
いよいよ、「極左と極右の空論」が過去20年の不品行で説得力を失い、インテリの自己満足にすぎない空論ではなく、ガチの専門家と現場レベルで働く無数の工夫によって社会を具体的に前に変えていける環境に持っていける時機が来ているといえるでしょう。
欧米的理想をただ「非欧米」に上から目線で押し付けていられる時代が終わり、徹底的に「現場レベル」の事情で洗ってしまった上で、インテリの自己満足にすぎない糾弾運動ではなく、
「本当の意味での”みんなのほんとうのさいわい”を目指す漸進的な変化」
をとにかく実現していける国にしていきましょう。
他人をかっこよく断罪しまくって「俺は正義だけどお前は悪」ってSNSで言いまくることが「正義」の振る舞いだと思っているような奴らに、「本当の正義」とはどういうものかを教えてやろうぜ!
■
関連記事的には、
この辺が今人類社会的に起きている大きな変化で、それを受けて日本社会も経済レベルでも急速に「変動期」に入りつつある・・・という話が以下ですかね。
結果として、ジブリ最新作で「ジブリの時代が終わる」みたいな変化に同時に起きつつあるという話もあるのかもと思っています。
ここ以後では、この話題をもう少し掘り下げて、日本の「過剰に客に媚びる小売カルチャー」を変えていきたいよね、という話をしたいと思います。
最近、家のネット回線が熱で死にまして、通信会社に電話してホームゲートウェイという機器を取り替えてもらったんですね。
すいませんけど自分は「モデム」と「ルーター」と「ホームゲートウェイ」の違いもよくわかってなかったんで、専門家から見るとトンチンカンな事を言っていたと思うんですけど。
それで、某通信会社に連絡したら、色々と問題の原因究明のための質問をされて、で、結構迅速に話を通して取り替えてくれたんですが…
その時に、電話口に出た技術者っぽい話し方の人が、
「お客様のその認識は間違っていて、正しくはこういうことなので、お客様の場合はこの機器を選択されるのがベストだと思います。」
…みたいなことを変に濁さず言ってくれて、そのトーンが客観的中立的かつ変に媚びてなくて凄いいいな、と思ったってことがあったんですよね。
日本の小売業・サービス業って、まあ他国に比べてめちゃ丁寧な事自体は悪くないと思うんですよ。そういう礼儀みたいなのを大事にしたい国民が多いし、ぶっちゃけそういう態度を取ることで逆に変にパーソナルにならない事自体がメンタル的に気持ち良いって人も多いからね。
ただなんか、その丁寧さにつけ込んでモンスタークレーマーみたいになるヤツがいて、それがなんか日本社会全体の居心地を著しく下げているというか、「客だからって理不尽なことはさせるな」という圧力はもっと高まっていったほうがいいな、と強く感じています。
で、これは、さっき中古車業界の話で、情報が行き渡って古いタイプの売り方が通用しなくなってきた話と結構地続きだと思うんですよね。
そういうのの延長で、いかに「理不尽な思いをする人を実際に減らせるか」について、日本における小売文化の転換を実現していく方法について考えます。
■
つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2023年7月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。