国民の為の政治は順番から言えば最後
長期間の政権を握って来た自民党が改革できない背景には、当選するには国全体の為というよりも地元の選挙地盤の利益につながる政治をしなければならないということだ。更に、政治献金をしてくれた企業や組織団体に対し、それを還元させた相応の政治をしなければならないということ。だから、国そして国民の為の政治は最後にするということになる。しかも、日本社会は伝統的に新しいことを導入するのに抵抗を示す傾向にある。
筆者が永住しているスペインだと各政党がそれぞれ選挙区の候補者のリストを作成して比例代表制で議員が選出されることになっており、候補者リストの筆頭に知名度の高い候補者を充てる。ということで、選挙民にとってそれ以外の候補者の名前にはあまり注目しない。
選ばれて議員になっても、当選した選挙地区への貢献というよりも、所属する政党の方針に従って政治活動をする傾向にある。したがって、国の為の政治改革もやり易い。勿論、利害が絡む場合は該当する議員に賄賂を提供されるということになる。また、最大野党も政権を取れる可能性を常にもっている。日本のように野党が単に存在しているという低いレベルではない。日本の野党は政権が取れる体制になっていない。単に政府を批判するための政党でしかない。
17年後の日本の未来は暗い
日本の未来は暗い。確実に言えることは、これから僅か17年後の2040年には生産年齢人口1.5人が1人の高齢者の社会保障を負担せねばならなくなるということだ。これは国家の崩壊を導く印である。少子高齢化による日本の悲劇的な未来については1990年代から問題視されるようになっていた。それに対して、何もして来なかった政治家の責任は非常に重い。重罪であるが、彼らのこの怠慢を法的に裁く法廷がない。
この期間の政権の大半は自民党が担っていた。そしてこの期間の16人の首相の内、世襲議員から首相になった人物は11人もいる。世襲議員は江戸時代の藩主のように見える。彼らは既に敷かれたレールの上に乗って議員になる。何も苦労などしたことのない人たちだ。勿論、貧困生活を経験したことは皆無。そして議員になると政治献金をもらい献金した組織や団体の為に還元を繰り返して議席を確保している。
世襲政治家が首相になっても国や国民の為の抜本的な改革を実行して行くことは不可能である。それを実行しようとすれば譲り受けた地盤を失うことを覚悟してせねばならなくなるからである。そのような勇気は世襲議員にはない。
筆者の郷里は広島1区。岸田首相の選挙地盤だ。彼は政治家3代目。同地区には有力なライバル候補者は長年いない。企業だと3代目が会社を潰すことがよくある。筆者が在住している隣町にスペインで大手とされていたアイスクリームのメーカーが存在していたが、3代目が会社を銀行に身売りしたものだ。
薩長連合を現代風にした新しい政党の誕生が必要
世襲の首相が改革することは期待できないし、またできない。だから、予測されている2040年の悲惨な社会は必ず実現されるということである。それを避ける手段はもうない。だだ、それをさらに深刻化させないためにも今から改革が必要である。それにはかつて明治維新で薩長連合によって大政奉還に導いたように、大規模な動きから新生党を誕生させて過半数の議席を確保して政権を担って将来の為に必要な改革をどんどん断行して行く以外に日本を救う道はない。
その改革には勿論世襲議員の誕生を禁止する法律も定めることも含める。
それにしても、何もしない議員をこれまで選んで来た国民にも責任がある。筆者の耳に届いた格言に「すべての国民はその水準に合った政府を持つ」というのがある。即ち、今の日本の多くの国民のレベルも低いということになる。それもそうであろう、国民の多くは物質的に豊かな生活を享受し、戦争もなく民族闘争もなく平和に暮らせる日本社会である。このような生活をしていると危機感ももつことはないし、将来来る危機への認識もないのが当然であろう。