colaboの活動と仁藤夢乃氏の主張に思うこと

TAKASHI ISOBE/iStock

8月8日、社会活動家の仁藤夢乃氏が寄稿した、imidasの文章を読んで、どうしても合点がいかない点があったので、私の疑問を書いておく。

風俗で妊娠し、路上で出産した女性を追い詰めたもの(仁藤夢乃連載コラム『バカなフリして生きるのやめた』imidas)

仁藤氏の主張に関しては、是非、この文章を読んでいただきたいし、女性や少女たちへの性被害は、古くて新しい問題なので、その意味で社会に投げかけている仁藤氏の文章は意味があると思う。

そもそも、女性への性被害の実態解明は、東京都でも進んでいるとは言い難く、もともと仁藤氏が主宰するcolaboは、性被害に悩む女性への支援活動でもあるが、同時に自治体が実態把握をする手段でもあっただろう。自治体では手が回らないこと故に、予算を投じて東京都の委託事業としてcolaboの活動を支援してきた。

colaboについては暇空氏がその予算の使い道に問題提起をしたことをきっかけに、表面化し、新宿でピンク色のド派手なバスを使って活動をしている仁藤氏率いるcolaboの存在とその中身が世に知られることになった。

結果、予算の使い道の不透明さ等が問題視され、東京都はcolaboへの委託事業を打ち切る決定を下した。

仁藤氏は東京都の決定に不満タラタラの様子だが、元々、自治体の委託事業である以上、その効果が認められないと自治体が判断すれば、事業自体を打ち切る可能性は十分にあることであり、委託「された」団体が文句を言える筋合いのものではない。

現在、colaboは民間の金銭的支援をお願いしながら活動を継続しているというが、サイトを見ても活動内容は分かるがその活動実態は公表されてはいないようだ。

東京都は杜撰な会計処理もそうなのだが、もっと重要視したのは、その活動実態ではないだろうか?私は東京都の担当者でもなければ、知り合いもいないので、東京都発表の文章以上の情報は無い。

東京都が事業打ち切りを決定した背景には、住民監査請求に基づく調査内容の結果が大きく影響している。

東京都若年被害女性等支援事業について 当該事業の受託者の会計報告に不正がある として、当該報告について監査を求める 住民監査請求監査結果

これらについては、既出の通りであり、東京都のHPからも削除はされていないので、誰でも閲覧可能だ。その中身についても詳細が各メディアで取り上げられているので、ここでは触れない。

監査請求内容はあくまでも、会計処理上の不備を問題視するものであり、その活動を直接的に批判したものではない。

一方で東京都はcolaboが行っている支援事業の中身そのものに言及し、現状に即した事業内容への変更を求めている。つまり、団体の自己都合によるやり方は認めないと言ってるのだ。

東京都若年被害女性等支援事業における実施方法の変更について

これこそが、東京都がcolaboへの支援が困難になった最大の理由だろう。

短い文章であるが、これは大きな意味を持つ。

その後、colaboは自主的に委託事業への予算申請を行わず、寄付金等で事業を継続するとした。

被害女性支援のColabo、都に補助金申請せず 自主事業で継続 要綱変更で個人情報提供を懸念

これら一連の動きも、マスコミで再三取り上げられており、ここで改めて言及する立場にはないが、少なくともcolaboが果たした役割として、若年女性への性被害実態というものが存在することを周知させた意味は大きい。

その上で、改めて仁藤夢乃氏のコラムの中身を読み替えすと、仁藤氏の考え方の根幹の部分が透けて見える気がする。

ただし私はいたずらに仁藤氏批判をしたいのではなく、このコラムで取り上げている中身の具体的な問題点を指摘したい。若年女性への性被害実態として、風俗で妊娠し路上で出産した女性の問題を取り上げて、それまでの自己の主張に準えるやり方はどうかと思うのだ。

そこは大いに疑問を感じる。

このコラムでは常滑市で起きた事件を取り上げている。風俗店で働く女性が、避妊をせず妊娠し、死産の後、実家の庭に埋めたと言う事件だ。

仁藤氏のコラムでは、事件を起こした女性に寄り添い、事件が起きるまでの経緯、裁判官とのやりとりなど詳細を時系列で取り上げながら、事件の社会的背景、その問題点について触れている。事件を起こした女性に対する批判も取り上げながら、社会問題として考える必要があるとの提言は決して間違ってはいない。

ただ、このコラムで仁藤氏は女性への性搾取が繰り返される社会構造そのものを変えていかなくてはいけないと結論つけている。

果たして本当にそうだろうか?

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。