黒坂岳央です。
「底辺の仕事」が話題を呼び、メディアやSNSが荒れている。自分は家族に件で言うところの「底辺職」についている人物がいるし、自分自身長らくリストでいう12番目の底辺職をしていた経験があるので他人事に思えなかった。
結論を先にいうと、底辺の職業はないが底辺の人格はあると考えている。根拠を述べたい。
「底辺の仕事」は世の中にない
「世界は誰かの仕事でできている」とは缶コーヒーでお馴染みのジョージアのCMのコピーである。
これは本当にその通りで不要な仕事など世の中に一つもない。もしも誰にも必要とされない仕事があるなら、経済的に存続不可能であるためどこかのタイミングで必ず淘汰されてしまうからだ。
底辺の仕事リストに列挙されている職業は、どれか1つなくてもたちまち経済は滞ってしまう。他人の職業を底辺だとバカにする人も、現在進行系でこのリストのサービスを利用して豊かな社会生活を享受しているのは確実である。
社会的な必要性は極めて高いにも関わらず、仮にワークスタイルや収入の多寡という軸だけで底辺だと見下す理屈が通るなら、バカにしている人物自身も必ず誰かから見下されることになる。つまり職業を軸にバカにすることは筋が通らないのだ。
つまるところ、底辺職という定義は極めて狭義の主観的価値観が反映されたものに過ぎず、多くの人にとって説得力を持たない主張だったが故に今回の炎上を呼んだと考えることができる。
底辺の人格は存在する
以上の理由から底辺の仕事は存在しないと考える。しかし、その一方で底辺の人格は存在すると思う。仮に勤め先は社会的に立派でも、働く者の人格が劣っているなら結果として劣った仕事になり得るということだ。
たとえば自分の利益実現のために、手段を選ばず反社会的活動に手を染めるケースがこれにあたる。FXで出した損失を補填するため、財務経理職に入って会社の資金を横領したり、競合他社の仕入れ価格や売上データを不正に入手し、自社経営に活用した不正競争防止法違反に問われるケースなどである(実際に昨年に産業スパイ事件が国内で発生している)。
たとえ本人がついている役職や待遇は立派でも、私利私欲のために犯罪行為に平気で手を染めてしまうのは底辺の人格だと言えるのではないだろうか。
ビジネスは等価値交換が原理原則である。片方が商品・サービスを提供し、片方が金銭の提供をすることで取引が成立する。しかし、一方が不正に利益だけを得る構図を知りつつ、犯罪行為に手を染めるのは店舗や住居で盗みを働く窃盗や、情報の非対称性を利用した詐欺師とその本質はまったく同じである。
昨今のビッグモーター騒動が糾弾されているのも、企業規模や待遇、仕事内容は本来申し分ないはずなのに、粗悪な人格によって反社会的活動がなされたことに起因すると考えることができる。
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昨今、「どんな手段でも稼げば勝ち」みたいな風潮を感じるが、人間として最低限の品を捨ててまで拝金主義に向かうことには個人的に疑問を感じる。ましてや非合法で社会に迷惑をかけてまで利益を追求するのは、恥を捨てたまさしく底辺の人格と思える。底辺は職業ではなく、人格に対する評価なのである。
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