前回の投稿では、議員定数の削減に反対し、むしろ増加を推奨した。だが、それは政治学者としての建前であったかも、と正直自信がない。
議員定数を増すと、とんでもない議員ばかりになる可能性も否定できないうえ、そうした議員による統治がどんなものになるのか、マイナンバーカードをめぐる政府の体たらくをみれば想像に難くない。国会議員や政府への不信は今日の民主政治の根幹である代議制への疑念を招きかねない。とはいえ、こうした政治不信は日本に限らず、多くの国に共通する代表制主主義の病理とも言える現象である。
図1は、2020年から2021年にOECDが加盟国のうち20カ国を対象に実施した政府の信頼度に関する調査結果をその報告書から引用したものである。回答は「信頼している」、「どちらでもない」、「信頼していない」、「わからない」である(OECD, Trust in Government)。
まず、OECDと記された20カ国の平均をみると、政府を信頼している有権者は41.4%、「信頼していない」もほぼ同率の41.1%で、有権者の評価は割れている。ただ、国によってバラツキがあり、ノルウェー(63.8%)、フィンランド(61.44%)が6割を超えている一方、コロンビア(20.5%)、日本(24%)、ラトビア(24.52%)、オーストリア(25.8%)、フランス(28.07%)が20%台に留まる。
米国が含まれていなかったので、別途調べてみた。ピュー研究所の2021年の世論調査によると、政府を信頼していると答えた人は21%(移動平均)、コロンビア並みであった(Pew Research Center, June 6, 2022)。
民主国家の政府は有権者の信託によって成立する。上記20カ国は、心許ないコロンビアを除いて、公平・公正な選挙が機能しているはずである。にもかかわらず、自分たちの代表の政治運営を信頼できないのはなぜか。
個々の閣僚や要職にある議員の資質や行動は別にして、一般的な理由としてしばしば指摘されるのが、景気の悪化が政府への信頼を低下させる点である。OECDが調査を行ったのは新型コロナのパンデミックが猛威を奮っていた時期なので、多くの国民にのし掛った経済苦が政府への不信を増幅したのかもしれない。また、政府のコロナ対策の不手際も影響していたはずだ。
加えて、代議制に対する国民の不満が政府不信の背景にあるとは言えないだろうか。多様な価値観が錯綜する現代社会において、議員が有権者の政治的要求に悉く応えるのは非常に難しい。自分の声が政策決定の中枢に一向に届かないという不満は、政治的疎外感を生み、やがて政治不信の温床になる。
先のOECDの調査では、こうした政治的意思決定への有権者の参画状況を問う質問があった。図2は、その結果の引用である。
「政治システムはあなたの声を政府の意思決定に反映させるように機能していると確信できるか」という問いに対し、回答項目は「確信できる」「どちらでもない」「確信できない」「わからない」である(OECD前掲書)。なお、ここでは先の20カ国にニュージーランドが加わっている。
21カ国の平均は、「確信できる」30.2%に対し、「確信できない」は50.13%と半数に上った。「確信できる」を国別にみると、政府への信頼度が高かったフィンランドは28.77%、ノルウェーも44.22%と振るわなかった中で、目を惹くのが55.07%と最も高い割合を示した韓国だ。
何が韓国有権者の意思決定参画の満足度を押し上げたのか。その要因は、おそらく2017年に就任間もない文在寅大統領が設置した「国民請願掲示板」、すなわち有権者が自らの政治的要求を直接大統領(府)に訴える制度だと考えられる。書き込まれた請願に20万人以上の人が賛成の署名をすると、大統領に伝えられ、対応が検討された。
韓国旅行情報サイト「Creatrip」によると、発足から5年余りの間の請願件数は5億1,600万件を超え、うち20万人以上の署名が得られたものが285件、政府が何らかの対応をとったものは284件であった。
20万人の連署を得るのは非常に難しいはずだ。自分の要求や意見が政治的アジェンダになるチャンスなど滅多にあるものではない。それでも、自らの政治的要求を意思決定機関に向けて直接表明できる場の存在は、有権者の政治的疎外感を緩和し、参画意識を高める。
先の情報サイトの記事を書いたyeong氏によると、「掲示板」は若者を始め国民の政治参加を大いに促したという。もっとも、韓国で政府を信頼している人の割合は48.8%、特段高いわけではないので、これが政府への信頼度の向上に貢献したとまでは言い切れない。
いずれにせよ、有権者の政治的関心の向上には、議会制民主主義を補強する民主的な装置が必要なのである。