「処理水放出着手」を達成した日本政府
2023年8月24日、福島第一原発のALPS処理水海洋放出が始まった。
これにより廃炉作業ステージは一段進み、2021年4月13日の菅政権による放出決心からは28ヶ月かかったが、復興の前提である廃炉完了への流れが加速した。
「処理水放出」実施に至る経緯
2011年3月11日以来、連続的に展開して行く各種災害に対して、民主党政権では不可解な“基準値”設定や無関係の原発の停止など、科学合理性に疑問の残る対応が目立った。
ただ自民党政権に変わってからも、政治的信用残高を大きく削りかねない事故処理対応には積極的な一手を打つことができなかった。
結局安倍政権時代には、安全保障など差し迫った政治課題への対応を優先したために「ALPS処理水の海洋放出」という意思決定は先送りされ続けてきた。
2021年4月13日、菅政権の決断
しかし菅義偉政権は2021年4月13日、福島復興の前提条件としての廃炉作業を進める上で必須だとして処理水の処分について海洋放出方針を決心した。
ALPS処理水の処分は、福島第一原発の廃炉を進めるに当たって、避けては通れない課題であります。このため、本日、基準をはるかに上回る安全性を確保し、政府を挙げて風評対策を徹底することを前提に、海洋放出が現実的と判断し、基本方針を取りまとめました。(略)
海洋放出は、設備工事や規制への対応を行い、2年程度の後に開始します。トリチウムの濃度を国内の規制基準の40分の1、WHO(世界保健機関)の定める飲料水の基準の7分の1まで低下させます。さらに、IAEAなど第三者の目も入れて、高い透明性で監視します。
さらに、福島を始め、被災地の皆様や漁業者の方々が風評被害への懸念を持たれていることを真摯に受け止め、政府全体が一丸となって懸念を払拭し、説明を尽くします。
(首相官邸ウェブサイトより)
“貧乏籤”と解っていながら総理の職を引き受けた菅義偉氏らしい、支持率低下など気にしない英断と言えよう。
またこの時、放出開始に至るための前提条件が明示された。
- トリチウムの濃度を国内の規制基準の40分の1
- WHOの定める飲料水の基準の7分の1
- IAEAなど第三者の目も入れて高い透明性で監視
- 風評被害への懸念の払拭
これらの条件は、「処理水放出という困難な大目標」を達成するための「小目標」となった。
以後日本政府は、これら小目標の達成に邁進することとなる。「トリチウム濃度規制基準の40分の1」と「飲料水基準の7分の1」という技術的な課題は既に克服の道が見えており、実質的には「IAEA(第三者)の監視」と「風評被害懸念の払拭」が残る困難な課題であった。
しかし菅政権ではこれに加え、学術会議の任命問題や携帯電話料金改革など、これまでその困難さから着手できなかった問題に果敢に取り組み、結局短命政権で終わった。
2021年10月4日、岸田文雄政権による放出方針の継承
ALPS処理水の処理に関して、岸田政権も前(菅)政権の方針を継承した。
2021年10月15日、岸田総理は第31回復興推進会議を開催して次のように表明した。
東日本大震災の発災から11年目を迎え、これまでの被災地の方々の絶え間ない御努力により、復興は着実に進展しています。この中、福島の復興・再生は、いまだ現在進行形です。ALPS(多核種除去設備)処理水の処分について、徹底した風評対策、安心して事業を継続できる仕組み作り等を実行していきます。
(首相官邸ウェブサイトより、太字は引用者)
2023年7月4日、IAEAが包括報告書を日本政府に提出
2023年7月4日、IAEAグロッシー事務局長から直接包括報告書を受領する等、前提条件としていた「IAEA(第三者)の監視」もクリアした。
最後に残る困難は、漁業者側の理解をどう取り付けるかであった。
2023年8月21日、岸田総理と全漁連坂本会長との会談
岸田総理は、確認できるだけでも9回にわたり自分自身で福島を訪れるなど、現地での対話や状況視察を繰り返して理解の促進を図っていった。
放出開始を実施するにあたり、その直前となる8月21日、岸田総理は全漁連会長との会談を行った。総理は会見において、漁連会長達から受け取った言葉を次のように説明した。
全漁連の坂本会長からは、「安全性への理解は深まった。また科学的な安全性のみならず、社会的な安心を確保し、漁業者が、子供、孫まで安心して漁業を継続できるよう、漁業者に寄り添い、今後数十年の長期にわたろうとも、国の全責任において、必要な対策を講じ続けることを求める。さらには、廃炉と生業継続は漁業者の思いであり、政府の漁業者の生業継続に寄り添った政府の姿勢と安全性を含めた対応について、我々の理解は進んでいると考えている。」こういった声を頂きました。
(官邸ウェブサイトより)
さらに、福島県漁連からは、「廃炉が安全に完遂し、その時点で福島の漁業の生業の継続が確認されて理解は完了する。漁業者と国、東電は、復興と廃炉という共通目標に向けて、現時点において、同じ方向を向いて進んでいる。さらには、約束は現時点で果たされていないが、破られたとは考えていない。」こうした声を頂きました。
(官邸ウェブサイトより、太字は引用者)”
また西村経済産業相も8月21日都内で坂本会長と会談した。
報道によれば坂本会長は次のように語ったという。
坂本会長は「全漁連としては依然として反対という立場は堅持させていただく」(略)「科学的な安全性には理解を深めてきている。私どもの唯一の望みは、平穏に漁業を続けていくということ。私どもの立場のご理解を改めてお願い申し上げる」と語った。
(読売新聞より、太字は引用者)
これらによって、全漁連および福島県漁連の役員たちから広義の「理解」を得たと解釈することも可能である。ただし“玉虫色”との印象を受ける人も少なくないだろう。
とはいえ、これにて最難関と見られた関係者からの「理解」についても一定の解決を見たと言えよう。
これまでになくSNSを活用した広報
更に海洋放出の告知には、伝統的なマスメディアへの情報配信に加え関係省庁のウェブサイトやSNSも積極活用して、国内外に安心感を持ってもらうための広報努力を続け、最終的に海洋放出の実施に漕ぎ着けた。
放出決断から28ヶ月での目標達成である。
国民側の理解の推移(NHK世論調査より)
NHKが毎月実施している世論調査から、ALPS処理水に関する質問を抽出し、時系列で並べたのが、『グラフ1「ALPS処理水放出」への評価』である。これによればおよそ半数の人々が2年にわたり判断を留保していたが、留保組はわずか2ヶ月で17%まで低下し、賛成あるいは妥当と考える人が倍増して過半数(53%)に達した。一方反対派もやや増加し、「適切でない」と考える人の割合が30%にまで増加した。
この世論調査が日本全体(母集団)の傾向をある程度示しているとするならば、日本政府は不自由な広報活動ながらも結果を出したと言えるだろう。
その一方で、約3分の1の人々が反対と考えている点は、実は現状の手法の限界と課題を示している。この課題については後編において分析し考察を進める。
まとめ:「ALPS処理水放出」決心から実施までの28ヶ月
ここに至り、目処とした「2年」に比べ4ヶ月だけ遅れたが「ALPS処理水海洋放出」という困難な任務について、政府は目標を完全に達成した。
以下、日本政府の動きについて概略を一覧にまとめた(図1)。
世論を動かした大きな転換点は7月のIAEA事務局長の来日と報告書の受領である。
そして最終的に実施に漕ぎ着けることができた決定打は、直前に表明された全漁連会長たちの言葉である。
特に福島県漁連の「廃炉が安全に完遂し、その時点で福島の漁業の生業の継続が確認されて理解は完了する。(略)約束は現時点で果たされていないが、破られたとは考えていない。」との言葉であろう。
総理や官僚だけでなく漁業関係者の苦労はどれほどであっただろうか。
その努力に感謝を申し上げたい。
(後編に続く)