大谷翔平選手の打撃の論理:スウィングの幾何学的分析

藤原 かずえ

MLB.com YouTube 映像から引用

大谷翔平選手の右肘靭帯損傷につきましては本当にお気の毒です。ご本人もご家族もご友人も、そして世界中の野球ファンも大変心配されているものと推察します。肘が十分に完治して再び素晴らしい投球をされることを心からお祈りするとともに、しばらくは世界一の打者として活躍されることを期待する次第です。本稿では、大谷翔平選手の打撃に関して極めて論理的な点を示し、皆様と共有できればと思います。

今年の大谷翔平選手は過去最速のペースでホームランを量産しています。ホームランだけでなく、OPSも打率も最高の結果を示しています[MLB公式統計データ]。まさに、現在の世界最強の打者であると言えます。

なぜ大谷選手の打撃はこんなにも大爆発しているのでしょうか。私は、その要因として、スウィング(スイング)の軌道と打撃点(ヒッティング・ポイント)によるところが大きいと考えます。大谷選手の打撃はホームランを打つのに極めて理に適った幾何学的条件を呈しているのです。以下、順に説明して行きたいと思います。

大谷翔平選手の打撃はどこが他の選手と違うのか

大谷翔平選手の打撃はどこが他の選手と違うのか
メジャーリーグの大谷翔平選手の前半戦の活躍は素晴らしいものでした。特に33本塁打は独走しており、OPSも全体で2位という成績です。大谷選手の打撃はどこが違うのでしょうか。分析してみました(冒頭写真はMLB.comより引用)。 ...

アッパー・スウィングという誤解

大谷選手のスウィングは、しばしば「アッパー・スウィング」と表現されますが、この表現にはかなりのミスリードが含まれています。まずは、大谷選手に限らず、野球のバット・スウィングについて幾何学的な観点から一般化します。

野球のプレイ経験もない私が最初から衝撃的なことを言って申し訳ないのですが、プロでもアマチュアでも、バットを水平に振るという「レベル・スウィング」なるものは、可能ではありますが、実在していません。

スウィングは回転運動です。どんな打者も、バットのヘッド(先端)をストライク・ゾーンよりも上方に位置させて構え、バットを回転させながらその位置をストライク・ゾーンの上限よりも下方に位置させることで、ストライク・ゾーンの内部を通過する投球を打つことになります。

このとき、バットの回転は打者から見てホーム・ベース側に傾いた円盤状の軌道を描くことになります。

ストライクゾーンは脇よりも下方に存在するため、バットを水平に振るという「レベル・スウィング」を行うには両肘を曲げたままのスウィングとなるため、全く力が入りませんし、そもそも、低めの投球を「レベル・スウィング」で打つなど至難の業です。バットのヘッドは、スウィング時に必ず上方から下方へ移動し、最下点に達した後、再び上方に移動していくのです。

野球のスウィングもゴルフのスウィングもバット/クラブのヘッドの上下動のシークエンスは全く変わりません。いずれも、バット/クラブのヘッドを振り下ろす過程と振り上げる過程で構成されます。野球とゴルフの違うところは、ゴルフの場合にはクラブのヘッドが最下点に達する時にボールを打つのに対し、野球の場合にはバットのヘッドが最下点に達する前にも後にもボールを打つことができるという点です。

理想的スウィングと打撃点

次の図は、数学サイト[GeoGebra]で作成した<投球とスウィングの幾何学的関係>を示した模式図です。

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この模式図は、通常の3次元デカルト座標において、yの正方向から負方向に移動する投球をxの正方向に位置する左打者が打つという状況を描いたものです。簡単のため、投球はy軸の真上でy軸と平行な運動(水平方向の運動)を呈するものと仮定します。この場合に、円盤状のバットの軌道はxの負の方向に向かって傾きます。また、この円盤の法線方向がスウィングの回転軸になります。

ここで、打撃の基本として、バットが投球をとらえやすくする(バットが投球に当たる確率を高める)ためには、投球を点でとらえるのではなく、線でとらえるようにスウィングすることが重要です。

このために必要な幾何学的条件は、スウィングの回転軸が投球と直交することであり、このことはスウィングの回転軸がxz平面内に存在することを意味します。

スウィングの回転軸がyの正方向に傾いた場合、あるいはyの負方向に傾いた場合には、バットは投球を線でとらえることができず点でとらえることになります。つまり、投球にバットを当てやすくするためには、スウィングの回転軸を投手側あるいは捕手側に傾けてはいけないということです。

米国では、スウィングの回転軸が投手側に傾いた場合をスウィング・ダウン(ダウンス・ウィング)と呼び、捕手側に傾いた場合をスウィング・アップ(アッパー・スウィング)と呼んでいます[スウィング・ダウンとスウィング・アップ]

ここで、ホームランを打つにあたって重要な技術があります。それはヘッドを一旦振り下げた後に振り上げる過程において投球をバットに当てることです。このヘッドを振り上げる過程でとらえた打球はホームランの必要条件であるフライになります。

ちなみに、ヘッドの最下点でボールをバットに当てると、打球はライナー(ライン・ドライヴ)となり、ヘッドを振り下げる過程でボールをバットに当てると、打球はゴロ(グラウンダー)になります。

したがって、ホームランを量産するためには、スウィングの回転軸をxz平面内に存在するようスウィングしてボールを線でとらえると同時に、ヘッドの上昇過程で投球を打つことが重要になります。

世界のホームラン打者

いつの時代もホームラン打者は、上述のスウィングと打撃点でホームランを量産しています。スウィングの回転軸は、投手側にも捕手側にも傾くことなく、フォロー・スウィングまでブレることがありません。ヘッドを振り下ろした後に振り上げる過程でボールをとらえるタイミングも見事です。

【ベーブ・ルース選手】

【ハンク・アローン選手】

【バリー・ボンズ選手】

【マイク・トラウト選手】

【アーロン・ジャッジ選手】

【王貞治選手】

ちなみに、有名な王選手の日本刀の素振りの[映像]はダウン・スウィングを想起させるミスリードであり、実際のゲームでの王選手は、ヘッドを振り下ろす過程において投球をとらえることなく、かなりの高確率でヘッドを振り上げる過程において投球をとらえています。

さらにこれらのホームラン打者に共通しているのは、いずれもスウィングの回転軸をホーム・ベース方向に大きく前傾してスウィングしている点です。この場合、スウィングの軌道が高角度になるので、[バレル](=ホームランになりやすい打球角度)が発生する確率が上昇、すなわちホームランを打つ確率が上昇するのです。

ソフトバンク・ホークスの[柳田悠岐選手]のスウィングも逸品です。勿論それは、アッパー・スウィングではなく、スウィングの回転軸は投手側にも捕手側にもけっして傾きません。

そして、本論の対象である大谷翔平選手も、このようなホームラン打者の特性をすべて持ちあわせています。大谷選手の特に素晴らしいところは、打撃の直前にノーステップで僅かにスウェー(並進移動)して回転軸を固定すると、以降は全くブレないことです。これは芸術的なレベルです。大谷選手はまさに模式図に示したような安定した回転軸で美しい円盤を描くようにスウィングしているのです。

なお、以上のようなホームラン打者とは異なり、変幻自在にスウィングの軌道と打撃点を変えてフライ・ライナー・ゴロを打ち分けることでヒットを量産した不世出の大打者がいました。誰もが知っている世界の安打製造機イチロー選手です。

【イチロー選手】

イチロー選手は投球のスピードとベクトルに合わせてスウィングのスピードと打撃点を変えるという離れ業を発揮してきましたが、この究極の技術によって可能な限り投球を線でとらえることが可能となり、打率を高めたものと考えられます。イチロー選手のバットがテニスのラケットのように見えるのはそのためです。

大谷選手 2021 vs 2023

2023年にホームランを量産している大谷選手ですが、MVPを獲得した2021年もホームランを46本打っています。2021年と2023年で大谷選手の打撃に変化はあったのでしょうか。

Baseball Savantより引用

答えは「明らかに変化した」です。

2021シーズンと比べて2023シーズンは打率が格段に上昇し、空振りが減り三振が減少しました。打球の方向は、右方向の引張り中心から広角に変わっています。何がこのような変化に寄与しているのでしょうか。

【大谷選手ホームラン 2021】

【大谷選手ホームラン 2023】

映像を観れば気が付かれる人もいらっしゃるかと思いますが、大谷選手は、右投手/左投手に対する打撃戦略を明らかに変えています。

次の表は、2021年と2023(8/27時点)年の全本塁打に関する投手の左右別と打球方向を示したものです。

2021年の大谷選手は、右投手に対しては左右に打ち分けていますが、左投手に対しては右中心にホームランを打っています。

2023年の大谷選手は、左投手に対しては左右に打ち分けていますが、右投手に対しては右中心にホームランを打っています。ちなみに、大谷選手は左投手に対してオープンスタンスをとっています。

次の表は打撃成績を比較したものです。

Baseball Savantより引用

以下、幾何学的に分析します。

対右投手

2021年において、大谷選手は右投手にも左投手にも最初の模式図で説明したようなスウィングを行っていました。

しかしながら、現実の投球は模式図に示したような単純な水平の軌道を描きません。ピッチャーは高いマウンド上から投球し、高い位置でボールをリリースし、さらに万有引力もあるので、ストライク・ゾーンに向かう投球の軌跡は捕手側に傾斜して上下動(いわゆる「お辞儀」)することになります。

また、右投手の場合には、打者から見て左から右方向に投球が傾いてストライク・ゾーンに入ってきます。この時、当初に設定したスウィングは投球を線でとらえられなくなり、点でとらえることになります。

このような投球を線でとらえるようにするには何をすればよいかというと、スウィングの回転軸を、投球ベクトルと直交するように、z軸の反時計回りに回転すればよいのです。これは、線形代数でいう座標の【一次変換】にあたります。

また、このような回転軸の回転を行ってスウィングの振り上げ過程に打撃点を持ってくれば、投球の上下動にも対応しやすくなります。

実は、大谷選手は2022年シーズンからこの一次変換を実際に行なっているのです。MLBが新たに導入した【トラッキング・テクノロジー tracking technology】で大谷選手のスウィングの軌道を見れば、ヘッドの最下点が体の中心ではなく、捕手側に位置しているのが一目瞭然です。

大谷選手のスウィングの最下点は体の中心線よりも捕手側にあります。理論的には、この真上に大谷選手の回転軸が存在するのです。そして、大谷選手のスウィングの打撃点は体の中心線よりも投手側にあり、投球の僅かに下側を叩くことによってバレルを形成しています。

2023年の大谷選手は右投手のストレート(4シーム)に対して4割を超える驚異的な打率を残しています。投球をより高精度に線でとらえているのですから打率上昇は当然の結果です。そして、右投手からのホームランはそのほとんどが右中間です。

大谷選手は、ストライクゾーンのどこに投球が来ようが、打撃点をこの相対的位置に定めてスウィングするスキルを完全に会得しています。2021年の段階で、右投手への対応はまだまだ手探りの状態でしたが、2023年は製造技術を確立してホームランを大量生産しているものと考えられます。ホームラン時の打撃挙動は至極安定しているのです[例1] [例2]

対左投手

一般的に、左打者にとって左投手はボールが見難いので、可能な限り投球を見極める態勢で対処することが重要です。大谷選手は、2021年に左投手を力でねじ伏せていました。ホームランの殆どは右方向であったと言えます。2023年は左投手の球筋に対してオープンスタンスをとり、ミートの確率を改善しています。打球方向は左方向に打つ傾向が強まっています。

左方向に打ち返したケースのトラッキング・テクノロジーを参照すると、軌道の最下点を捕手側に回転移動した上で、打撃点を体の中心線よりも後ろにずらして投球をとらえています。

もちろん、打撃点はスウィングを振り上げる過程にあり、投球の内側かつ下側を叩いてバレルを作っています。

左打者に対しては、2021年と比較して必ずしもホームラン数の向上には至っていないものの、チェンジアップに対する対応力が向上しており、今後の更なる打撃爆発が期待されるところです。

大谷選手の打撃に見られるイチロー選手&トラウト選手の影響

ちなみに、大谷選手が2023年からバットの回転軸をz軸の反時計回りに回転したことを裏付ける証拠があります。それは2023年に打撃妨害が頻出したことです。内訳は、右投手2回 [1] [2]、左投手3回 [3] [4] [5]です。

また、世界の速球王であるアロルディス・チャップマン投手との対戦では、103マイルの速球をギリギリ捕手側でとらえてヒットにしたことから[映像]、大谷選手が最後の最後まで投球を見極めてスウィングしていることがわかります。

この打撃スタイルこそイチロー選手の打撃の神髄そのものです。

大谷選手の打撃は、イチロー選手のようにフォロースルーに入るまでけっして左足が投手側に向くことがなく、投手に対して最後の最後までけっして胸を見せることはありません。おそらく大谷選手のスウィングは、イチロー選手の打撃を見て盗んだもの、あるいはイチロー選手から直接指導を受けたものと推察する次第です。

さらに言えば、大谷選手のスウィングの軌道は、マイク・トラウト選手のスウィングの軌道と類似してして、回転が始まってからインパクトまでの腕のシークエンスもそっくりです。

おそらく、大谷選手がメジャー移籍先としてエンジェルスを選択したのはトラウト選手の打撃を修得するのが目的であったと考えられなくもありません。「野球のことしか頭にない」とされる大谷選手ならあり得ることです(笑)

大谷選手の選手としての最大の魅力

プロの強打者は、必ず対戦相手から研究され、欠点を突かれますが、論理に適った打撃を行っている大谷選手には、付け入るスキは小さいものと考えられます。

一般的に大谷選手は身体能力の高さが評価されていますが、同時に注目する必要があるのは、極めて論理的な打撃スタイルです。

力学的に言えば、大きさと向きを持つベクトルとして表出する野球のパフォーマンスは、身体能力というスカラー量を幾何学的な戦略に基づいて有効なベクトルに変換することが重要になります。

大谷翔平選手の選手としての魅力は、身体能力だけでなく、幾何学的な戦略も持ちあわせている点にあります。まだまださらなる進化を遂げられるのではと期待を抱く次第です。


編集部より:この記事は「マスメディア報道のメソドロジー」2023年8月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はマスメディア報道のメソドロジーをご覧ください。