日本にはアイデンティティを育む教育が必要だ

筆者が卒業した広島県立皆実(みなみ)高校の校舎

Identity不在の教育基本法

筆者はつい先日「教育基本法」と「教育基本法改正」を読む機会があった。最初に受けた印象は、例えば、国連教育科学機関(UNESCO)といった国際教育組織が編纂したような印象を受けた。この教育基本法は戦後アメリカ教育使節団の指導のもとに1947年に制定されたもの。だから米国からの押し付け教育論だ。そして、それが2006年に改正されて現在までに至っているが、最初の教育法に加筆しただけだ。

そのような背景もあって、この改正法においても基本的に欠けているのは、日本という国のアイデンティティを育む教育が欠如しているということである。それも当然だ。米国人が草案したのだから。

この二つの教育法に欠けているのは、日本の歴史についての指導が謳われていないことである。特に、歪んだ歴史を教えられているのが日本が太平洋戦争で敗戦してからである。

歪んだ歴史教育

太平洋戦争で日本軍の暴走もあったが、日本が日露戦争に勝利した時点から、米国はアジアでの利権を得るために日本を将来の強力な敵とみなすようになったことを教えるべきである。事あるごとに米国は日本に圧力を掛けるようになっていたということを日本人は知るべきである。即ち、日本が戦争をしたのは日本側の一方的な判断からではないということ。米国がそれを仕掛けて来たということも忘れてはいけない。

また米国は日本に原爆を投下した。それは自国で開発していた原爆の威力をテストする為だった。なぜなら米国の当時のルーズベルトとトルーマンの二人の大統領は日本人に対し偏見をもっていたからだ。その偏見を抱くことのなかったドイツには絶対に投下する意向はなかった。

また、東京裁判でA級戦犯者が死刑となったが、もともと国際法廷は中立でなければならない。ところが東京裁判は戦勝国の判事が裁くという異例の裁判となった。だからこの裁判に加わったインドのパール判事はこの裁判は違法であると表明していた。

A級戦犯によって死刑となった軍人が靖国神社に祀られていることについて中国が猛烈に反対しているが、そもそもあの裁判は違法裁判であるということを知るべきだ。しかも、靖国神社にはこれまで国を守るために身を捧げた人たち246万6千人余りが英霊となって祀られているのである。だから、外国から靖国神社を参拝することに批判を受ける筋合いはないのである。

これらのことが学校で教えられていないことが、日本人の間で国に対しての自虐意識が生まれるのである。日本人としての誇りが持てなくなるのである。また現在の教育では日本人であるということに誇りを持つことも教えられていない。その意味では、これまで日本人として世界に影響を与えた人物を学校で教えるべきである。例えば、野口英世、北里柴三郎、東郷平八郎など。

また、式典に国旗を掲揚することを反対する事態が起きるというのも太平洋戦争そしてそのあとの国への自虐思考から歪んだ歴史を教られているからである。

誠実であるということの大事さ

筆者はスペイン・バレンシアに到着して今年が丁度50年になる。2年ほど留学した後、日本で大学4年生と会社勤務とで合計3年半ほど日本で生活した。しかし、そのあとまたスペインに戻り現在に至っている。だから在住47年目になる。

筆者が会社を経営していた時に意識していたのは、日本人としてのアイデンティティを常にもっていたということである。長年生活しているといっても、スペイン人から見れば私は外国人、日本人である。そうであるがゆえに筆者の言動は、時にあたかも日本人を代表しているように見られることもある。だから、筆者は常に日本人としての誇りをもって振舞うようにして来た。

その中でも、特に大事だと思うのは誠実であるということである。猜疑心が強いスペイン人にとって誠実であるというのは日本以上に高く評価される。特に外国人である筆者がそうであればスペイン人の間でもより高く評価される。だから、会社を経営していた時は取引先から常に弊社を大事にしてくれた。

心の浄化が大事

日本のような島国で敗戦国として歪んだ歴史を指導されている日本人にとって大事なのは宗教(仏教と神道)心を養うことである。それによって心を浄化させ、そこからしっかりした道徳を身に着けることである。特に、外国という異文化の中で生活するには心の浄化は大事であり、また自己主義で溢れている中で自分の軸を失わないためには心の浄化と道徳心を磨くことは大事である。

そして、自分の意見を憚ることなく表現できる思考力と伝達力を養うことも大事である。外国人には黙っていては分かってもらえないのである。相手に自分の意見や考えを口頭で伝えない限り、理解してもらえないのである。それも自分が間違っているのではないかとか変な詮索などせず、堂々と考えを表明すべきである。その指導が日本の教育には必要である。

伝達力という点では、現地の言葉を喋る能力について問われることになるが、筆者の持論は、外国語の上達を望むのであれば、まず自分が育った国の言語を十分に磨くことである。日本人の場合は国語である。日本語で表現力が劣る人が外国語を喋っても同じレベルに終わるということだ。だから、外国語教育というのは、日本の場合は国語教育と関連させて勉強すべきである。

これらのことを考えるにつけ、日本の教育基本法改正に書かれている内容を見るにつけ、実際に生きて行く上で必要な指導とはかけ離れたものになっているというのが筆者の結論である。それを著名な学者さんたちが集まって編纂したのであろうが、それは野球でも理論は立派でも実際にプレーできないと意味がない。この教育基本法はそれと同じである。