真理と感動

安岡正篤先生と並ぶ明治生まれの知の巨人・森信三先生は、ふっとした時に「真理は現実の唯中にあり」と悟られました。此の真理ということで先生は、次のように述べておられます--感動するとは真理を身につけることです。感動するとは疲れる。ただでは済まん。疲れるという、学費を出さにゃならんね。授業料をね。(中略)日本の学問というのは、感動が土台なんだよ。真理は感動によって授受される。

日本に限らず何処の国であれ、学問の土台は感動であると思います。真理を追究し見極めた時、感動する学者・研究者等は沢山います。新薬開発で世の中を変えたいと考える製薬メーカーの研究者であれば、その真理が数多の人を救うことに繋がるかもしれません。それ故、取り分けサイエンスにあっては真理に触れると感動を覚えるのです。

『修身教授録』という書物があります。同書は、森先生が40代前半に大阪天王寺師範学校の「修身科」で講義された内容を生徒が筆記したもので、人生のあらゆる課題がテーマ毎に記されているものです。私が『修身教授録』に出合ったのも同じ42歳位で、野村證券のニューヨーク拠点やロンドンに設立したM&Aの会社の役員を経て、日本に戻った頃でした。私は此の書を読み、魂が打ち震えるような感動を覚え、同時に自分の未熟さを思い知らされた次第です。

では何ゆえ感動したかと考えてみると、それは森先生が言われるように真理に触れたからかもしれません。『修身教授録』では例えば志というものにつき、次のように書かれています--人間はいかに生きるべきであるか、人生をいかに生き貫くべきであるかという一般的真理を、自分自身の上に落として来て、この二度とない人生を、いかに生きるかという根本目標を打ち立てることによって、初めて私達の真の人生は始まると思うのです。このように私は、志を打ち立てるところに、学問の根本眼目があると信じるものです。

私は同書に出合い、「人生二度なし」という偉大な真理に触れ感動を覚え、此の二度とない人生を悔いなく終わらせるための教えを得、その先生の教えに導かれ今度は知行合一的な形で自身の人格陶冶あるいは精神的支柱の形成に繋げてきました。それは、感動があって初めて成し得たことだと思っています。

そして更には、その感動が他の人にも感動を与えて行くことに繋がります。私は7年程前、ある経済情報番組に出演し此の『修身教授録』を熱っぽく御紹介したところ、「Amazon本ランキング24時間で、1843位⇒1位に急浮上しました」。「北尾さんがあれだけ読み込まれ御推奨になられている本であれば、きっと良い本に違いない」と、当時多くの人が思われたのかもしれません。こうして感化・感動の循環というものが、順繰りに為されて行くのです。

勿論、真理であればあらゆる人に感動を与えるとは必ずしも言えないということ、及び多くの人に感動を齎すものが真理であるか否かは分からないということ、此の2点に対する注意は常々求められます。真理とされるものを受け入れるに理由がなければならず、森先生はそれを感動だと言われたのだと思います。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2023年9月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。