東ドイツ化するドイツの憂鬱:アイヴァンガー氏の若気の過ち

川口 マーン 惠美

Gwengoat/iStock

緑の党には1980年の結成当時、70年代に共産党の独裁政権を夢見ていた過激な左翼の活動家が多く加わっていた。現在、同党は与党の一角におり、当然、ドイツの政界では、いまだに極左の残党が力を振るっている。彼らの体内で今なお、かつての思想が血となり肉となって息づいていることは言うまでもない。

左翼分子は社民党にもいた。たとえば現ドイツ首相であるオラーフ・ショルツ氏は80年代、同党の青年部の幹部で、東独の独裁党SEDと極めて近かった。83年にはSED傘下の青年団FDJのキャンプにも参加しており、当時の東独政府からは、「“平和闘争”における信用できる同士」として一目置かれていたことが、シュタージ(東独の秘密警察)の資料で明らかになっている。

また、保守と思われていたアンゲラ・メルケル前首相(CDU・キリスト教民主同盟)も、東独での大学時代はFDJの幹部として文化部門を担当していたというし、その後の政治からも、社会主義者であることは透けて見える。ちなみに彼ら全員の共通点である原発嫌いも、当時の左翼思想の名残だ。ドイツの統一とは、経済では西が東を圧倒的に支配したものの、30年後の今、思想的には東の勝利が確定しつつある。

さて、左傾化の進んだそのドイツで、8月末、ドイツらしい事件が起こった。

36年前に16歳のギムナジウムの生徒(日本の高校生に相当)が書いたという反ユダヤ的なビラが、その生徒の当時の鞄から発見されたというスキャンダルなのだが、さらに奇妙なのは、その鞄の持ち主が、バイエルン州を基盤とした「自由な選挙民」という党の党首だったこと。党首の名はフーベアト・アイヴァンガー。

フーベアト・アイヴァンガー
出典:Wikipedia

バイエルン州を代表するのは保守党であるCSU(キリスト教社会同盟)だが、現在、そのCSUが、自らよりもさらに保守的であるアイヴァンガー氏の「自由な選挙民」党と連立し、州政権を形成している。

バイエルン州というのは産業が発達し、教育程度が高く、裕福で、しかも風光明媚な土地だ。さらに言うなら、ドイツでは例外の保守的な州で、プライドが高く、ビールをたくさん飲み、中央政府に易々諾々とは従わない。

36年ぶりに鞄の中で見つかった反ユダヤ的なビラとは、タイプライターで打った古色蒼然とした紙切れで、内容をひと言で言うなら、ホロコーストを茶化したものだ。要するに、ドイツでは絶対に許されない内容である。

ビラの文面には「歓楽街アウシュヴィッツ」などという言葉が出てきたり、「誰が最大の国家反逆罪かを競うコンクール」の賞品が、「アウシュヴィッツの煙突の間を抜ける無料飛行遊覧」とか、「ダッハウ(バイエルン州にあった強制収容所)での1年間の滞在」だったりで確かに悪趣味だ。ドイツでは、これを高校生の悪ふざけで済ませることは難しい。

ちなみにバイエルン州では、来月10月8日、5年に1度の州選挙が行われる。言い換えれば、ドイツの中央政治にも少なからぬ影響を与えると思われる重要な州議会選挙のわずか6週間前に、重要な保守党の党首の高校時代の古い鞄の中から、36年前の反ユダヤ的ビラが出てきたわけだ。しかも、その保守政治家は最近、「ドイツにもう一度民主主義を取り戻す」と言って、左翼の槍玉に上がっていた。つまりこの事件には、政治的な匂いが芬々と漂う。

当然、勢いづいたのが社民党と緑の党。保守的なバイエルン州では一向に冴えないこの2党が、アイヴァンガー氏を反ユダヤ思想の危険人物として、鬼の首でも取ったように攻め立て始め、州都ミュンヘン界隈はあっという間に爆弾が落ちたような騒ぎ。

その後、彼らの攻撃対象が、アイヴァンガー氏を即座に解任しなかったゼーダー州首相に及ぶまでに、それほどの時間はかからなかった。すると今度はアイヴァンガー氏の兄が、「実はビラは自分が作った」と名乗り出て、話はさらにこんがらがった。

このビラは当時、学校の目に触れ、アイヴァンガー氏は(製作者ではないので)それを保持していたことを咎められ、軽い処分を受けたという。つまり、これは言わば解決済みの事件とも言える。しかも、氏が「自由な選挙民」を結党したのは2010年で、以来13年間、氏が反ユダヤ思想の持ち主であるなどという話は、一切出たことがなかった。

それでも、メディアの中には、当時のアイヴァンガー氏が「ヒトラーの敬礼をした」などという同級生の“証言”を取って報道したところもあった。ドイツ主要メディアは左派なので、アイヴァンガー氏の失脚を「自由な選挙民」の転落に、ひいては彼らの好きな緑の党の勃興のチャンスに結びつけようとしていた。

ゼーダー氏は困った。ビラを書いたのが兄でも弟でも、そんなことはどうでもよかった。要は、CSUは政権保持のために連立相手が必要であること。ところが、選挙が目前に迫った今、元気だったはずの連立相手アイヴァンガーが意味不明の重傷を負ってしまった。アイヴァンガー氏をどうすべきか? そして、「自由な選挙民」はどうなるのか?

もし、「自由な選挙民」との連立が政治的に困難になれば、CSUには適当な連立相手がいなかった。第2党はAfD(ドイツのための選択肢)だが、AfDとは組まないというのが、現在、ドイツのすべての政党が取っている方針だ。

残るは緑の党だが、こちらはCSUとは犬猿の仲。結局、ゼーダー氏としては、「自由な選挙民」の救済に乗り出すしか選択肢はない。ただ、それが吉と出るか、凶と出るかが、この時点ではわからなかった。

そこでゼーダー氏は、反ユダヤの罪が自分に伝染しないよう、念入りにアイヴァンガー氏を批判しつつ、25項目の質問状を突きつけた。その質問は、ここで書くのもバカバカしいような内容なので紹介しないが、公開された回答は、「記憶にない」という項目も多かった。これはおそらく真実だろう。

そして、結論から言えば、ゼーダー氏は最終的に、25の回答は納得できるものだとして、アイヴァンガー氏の州副首相の留任を決めた。それを野党の政治家が非難し、メディアがまた書き立てた。

アイヴァンガー氏に関して、氏の擁護につながる声がほとんど出なかったのは、ドイツの特殊な事情もあった。ドイツでは、ユダヤ問題に関わる発言は非常に難しい。特にホロコーストについては、真実だと言われているさまざまな事柄に関して、どんな些細な疑問を呈しただけでも刑法に触れる危険があった。

つまり、16歳で作ったビラのせいで、アイヴァンガー氏には政治家として2度とチャンスがなくなりそうなのに、かつて極左のテロ組織に所属し、警官を攻撃したり、資金集めの犯罪に加わっていた人たちが、何のお咎めもなく、今、政治家でいられるのは、ホロコーストが絡んでいるか否かの差だったかもしれない。だからこそゼーダー氏も、アイヴァンガー氏を被告のように扱ったのだろう。

さて、アイヴァンガー氏自身が、この問題に対してどう反応したかというと、36年前の行動に関しては謝罪したものの、今の自分は「自由を尊重する民主主義者である」ということは強調した。しかし同時に支持者を前にした集会では、「自分に対して汚い誹謗、中傷、選挙妨害が行われている」とものすごい勢いで主張し、しかも喝采を受けていた。

おそらくそのせいもあり、ミュンヘンにあるドイツで最大のユダヤ組織は、アイヴァンガー氏の謝罪を受け入れなかったし、ダッハウ強制収容所も、アイヴァンガー氏が謝罪と対話のためにと提案した訪問を拒絶した。これにより、アイヴァンガー氏は一時、窮地に陥ったかのように見えた。

ところが、数日後、不思議な現象が起こった。バイエルンの世論調査では、「自由な選挙民」は明らかに支持を増やしていた。州民の多くは、アイヴァンガー氏が16歳の時に犯した過ちをとっくに許しており、それを執拗に責め立てていた人々に好感を持っていなかったのかもしれない。ただ、それを口には出せなかった・・。

ドイツでは、次第に自分の意見を言えない息苦しい状況が形成されている。たとえば、確実に国民政党に成長しつつあるAfDは、完全に無視されているだけでなく、ありとあらゆる卑怯な手段まで使って潰されようとしている。これはすでに全体主義の手法だ。それどころか、AfDを支持する者があちこちで理不尽な扱いを受けているという報告も多く、アイヴァンガー氏が言った「民主主義を取り戻す」という言葉はまるで作り話ではない。

このままさらに政治の左傾が進み、その結果がドイツの東ドイツ化だとすれば、その代償はあまりにも大きいと、最近は私でさえ強く感じている。