普通の"倍"も売り上げるローカルスーパーの経営論 vs. テスラ的合理性(後編)

クックマート 本野町店
クックマートHPより

前編は、だいたい「テスラ車って乗ってみたらマジで凄かった」っていう話から始まって、その背後にある経営側面の特徴はどういうものか?とか、それに対して日本車勢はどうやって対抗していけばいいのか?、みたいな話をしています。

(前回:テスラ車が描く未来 vs. 売上日本一のローカルスーパーの世界観(前編)

で!後編では、(前半部分でも導入しておいたんですが)、「クックマート」というローカルスーパーの話をしたいんですよ。

クックマートは、豊橋と浜松にしかないんですが、なんと「一般的なスーパーの一店舗あたり売上の”倍”も売り上げる化け物スーパー」なんですね。

食品スーパーなんて素人から見るとそんな「差」をつけられるような要素あるか?って感じの業態で、こんな「倍」みたいな差が出せるのは異次元に凄いことだと思います。

セブンイレブンはローソンやファミマに比べて一店舗あたり売上が圧倒的だ…っていう話は有名ですが、それでも1.5倍ぐらいですからね。

コンビニに比べて食品スーパーは「他と違うウリ」が作りづらい領域が多いだろうに、それで「倍」というのは尋常じゃないです。

クックマートの白井健太郎社長は最近本も出されていて、これも超良かったんで良かったらどうぞ。

クックマートの競争戦略 ローカルチェーンストア第三の道

豊橋にある私のクライアント企業の経営者が、このクックマートの白井社長とお友達らしくて紹介されたんですが、時間が合わなくて白井氏御本人にお会いすることはできなかったものの、本を読んで店舗をいくつか見学しただけで「超すごい、やばい」感じが伝わってきました。

で、テスラの話と「あまりに違う」話題のように感じるかもしれませんが、

・”グローバルな共通性”を徹底的に押し込んで来るテスラ
・”ローカルの特殊性”を徹底的に育て上げるクックマート

…みたいな非常に対照的な話だよなあ…と思うわけです。

で、前編で書いたように、テスラっていうのは本当に「ごくごく一部の頭良い人が設計を徹底的に押し込む」ことで実現している会社という感じなんですよね。

で、テスラ車に限らずですが、「米国社会」というもの自体が、そういう「アホは黙って言う通りにしろ型運営」をやりまくることで、社会の末端レベルでの色々な「自己効力感」を奪いまくり、それが社会の不安定化を招いている側面は明らかにあるなと私は考えているわけです。

逆に日本では、クックマートのように物凄くうまく行っている会社以外でも、

「おベンキョーはまあそんなに得意じゃなかったけどね」

…というレベルの人の主体的な工夫を引き出して、市場的な「優秀性」につなげることで、単に他の社会にないクオリティを「金銭的に恵まれてない層」でも一応保持しているところがたくさんある。

それによって同時に、社会の末端で生きる人の「自己効力感」が米国型社会におけるように無茶苦茶になっておらず、それが社会の一応の安定に寄与しているところがある。

で!!!!!

重要なことは、

日本には、テスラのようなエリート主義じゃない、”現場の力”があるのだ!だから心配いらないのだ!だって”キズナ”があるからぁ!!!

…みたいなレベルの話をしたいのではないんですよ。

そんな、日本刀にこだわりまくって銃撃されて死ぬ侍みたいなロマンの話をしたいのではない。

「テスラ型の合理性」が黒船として攻めてきている以上、「その脅威」は決して過小評価せずにちゃんと相対して対処しなくてはいけない。

ただ、

「米国企業の一番良い部分」は、まわりまわって「社会の末端がメチャクチャなスラムに飲み込まれる事を許容する」という犠牲を払った上で成り立っている

…というこの因果関係をちゃんと理解することは、日本社会にも「米国企業型の合理性」をなんらか導入していきたいと考える時には必須なことなんですよね。

グローバルに透明性の高いロジックだけで出来上がった「水」の世界と、ローカルの特殊性に粘りつくように成立している「アブラ」の世界を、ちゃんと溶け合わせる、あるいはせめて「棲み分け」させる方策について考えないと、日本社会は最後まで「テスラ型の合理性の攻撃」に敗け続けてしまうことになる。

一方で、「ローカル側にあるアブラの世界の優位性」を決して壊されることなく、「水の世界の合理性」とちゃんと両立させる方法を生み出すことができれば、

「米国的な理想のあり方」が今まさに”世界の半分”から全拒否にされつつある現代人類社会の、『次のスタンダード的希望』

を、日本が生み出していくことも可能になる。

私はこれを、「2つのベタな正義」をどちらも否定しない「メタ正義」的な社会運営のあり方というように呼んでいます。

だからこそ、

・”グローバルな共通性”を徹底的に押し込んで来るテスラ
・”ローカルの特殊性”を徹底的に育て上げるクックマート

この2つの世界観を冷静に等価なものとして並べた上で、日本社会に「テスラ型合理性」に対抗できるだけの「合理性」が縦横無尽に通用するように持っていく事を考える必要が、これからの時代にはあるわけですね。

そんな感じでこの「後編」では、とりあえず「クックマート行ってみたらマジすごかった」っていう話から、白井氏の本からその「経営のあり方」みたいな話を引き出すと同時に、そこから「今後の日本社会の運営のあり方」「分断されゆく人類社会への日本ならではの新しい希望の提示の仕方」みたいな話ができればと思います。

ちなみに、今回記事、いきなり「クックマート公式」アカウントさんに発見されて好意的な反応をいただけました。その後、白井社長とも無事コンタクトが取れて、近々お会いできることになってめっちゃ楽しみです。

1. クックマートのどこが凄いのか(店舗行ってみた話)

さて、豊橋と浜松出身の人に聞いたら「クックマート?もちろん知ってるよ!」って感じみたいなんですが、他地域の人は普通知らないですよね。

でも、「食品スーパー」みたいに大して違いがなさそうな業態で「普通の倍」売るとかマジで想像できないな…と思って店舗に行ってみたんですけど、なんか確かに超凄いです。

まず、道路からクルマがずううううっと入ってきてるんですよ。客が途切れない。結構遠くから来てる人もいるんだろうなあ、という感じで。

で、お惣菜とか、カットフルーツとか、フルーツサンドとか、ベーカリーとかのクオリティが異常に高い。

「これを理由にここ選ぼう」って思うレベルだというか、家とか職場の最寄りスーパーがコレだったらQOL爆上がりするだろうな!って感じがする。

グルメなだけじゃなく値段も手頃で、満足感がめっちゃあるんですよね。

「クックマートは自社の従業員がお惣菜を必ず買って帰る」って聞いたんですけど、それぐらい「ちゃんと満足度が高いメニュー」が用意されている。

全体的に値段がめっちゃ安いって感じではないんですね。

むしろ「徹底した安売り専門」みたいなスーパーと比べるとどれもほんのちょっと高いぐらいの値付けだと思います。

「お値打ち」だが「激安」ではないというゾーン。

ただ、アイスボックス持ってって、普段の「今週の食料品」買い込むのをクックマートでやってみたんですが、当初は

・肉とか野菜とか=まあ普通に良い
・お惣菜とかその他=”ここに来るだけの理由”があるお値打ち品が揃っている

…ていう感じなのかな?って思ったんですが、今週買ってきた野菜使ったらめっっちゃ美味しくてびっくりしました。

玉ねぎはまあ普通でしたけど、人参とか水菜とかピッカピカのシャッキシャキで、同じ料理をしてても別ものみたいだった。

「水菜」は茨城県産って書いてあったので、別に地場の野菜にコネがあって新鮮なのを入れられてるって感じじゃあないと思うのですが、「こんなに違いが出せる」って理由はよくわからないけど凄いなと思いました。

ただ「仮説」として聞いてほしいんですが、食品スーパーって一年通して同じ店に行ってると、季節の移り変わりとともに野菜の品質ってかなり上下するなと感じるんですよね。

ある時期は「凄い美味しい野菜」を売ってる店でも、季節の移り変わりと同時にその「高いクオリティ」を維持し続けるのは難しい場合が多そう。

多分、同じ産地でも、「この時期」には凄い良いけどハズレな時期も出てくるから適宜移り変わり続けないといけないよね・・・みたいな必要性が常にある商品だから、

常にコチョコチョコチョコチョ微調整をし続ける事が必要な商品特性

↑こういう特性の商品は、「経営が中央集権的」だとうまく対応できない例が多い・・・というのは、経営コンサルタント的に「一般論」としては言えることではあります。

「目玉商品」的なお惣菜も、いわゆる「ザクザクのカレーパン」「●●産牛乳をふんだんに使ったソフトクリーム」とか、とかなんかそういう「一品だけ」のものを全面展開するのは「中央集権」的にできるんですよね。

でも、ある程度の「飽きが来ないバラエティ」のものを、季節によって千変万化するコスト構造に応じて微妙に変化させつつ「お値打ち感」を維持しながら展開し続ける…というのは別次元の難しさがある。

そのためには、まさに

常にコチョコチョコチョコチョ微調整をし続ける事が必要な商品特性

…が生まれるので、「クックマート型の経営の優位性」を出せる部分が出てくるんだろうなと。

こういう「工夫を吸い上げる」ってよく言われてるけど、でもこういうのちゃんと「戦略」側が知性的に仕切って「やる意味があるところ」でやらないと意味がないからね。

日本では「あまりやる意味ないところ」で「従業員に無理やり工夫を出させる」ことで疲弊している例もかなり多いので、この「知性」と「現場」が両輪で回っている感じが、やはり大事なところなんですよね。

全体的に、クックマートは

・まず最低限食品スーパーとして不満なところはない。どの分野でも常に80点ぐらいは取れる安定感
・その上で、何気ない野菜や肉なんかも、結構高い確率で「大当たり」的なクオリティのものがある。
・「目玉」としてのお惣菜関連の「来てよかった120点のキラーコンテンツ」がバラエティ豊かにある。
・なんとなく従業員が楽しく働いてそうで、空気感が悪くない。店の感じが幸福感ある。

…みたいな感じだと思いました。

あとね、何かモノを訪ねたりレジの時とかの従業員さんの感じが、もちろん丁寧ではあるけど、やたら慇懃無礼で卑屈なほど腰が低いみたいな感じじゃないところが凄い良かったです。

これはほんと、日本の小売業の変わって行ってほしいポイントだと自分は思っていて、「卑屈に腰低い」はいいから、「当たり前の丁寧さ」にチューニングしていってほしいなと思ってるんですよね。

で、「お客様とて許せぬby湯婆婆」みたいなのは適宜ちゃんと言う方向に持って行ってほしい。

経営者側が思考停止して、「その店の売り」をちゃんと作り込めていないと、従業員に卑屈にペコペコさせるという「価値」を売り始めちゃうみたいなところがあるのかなと。

クックマートみたいに、「明らかにここに来る理由」を構造的に作れていれば、むしろ「当たり前の丁寧さ」ぐらいがあれば十分ですよね、という空間になるし、それが売り場の雰囲気を良い感じにしてるところがあると思います。

あと、単に「照明」のつけかたに工夫があるだけかもしれないけど、でも店内の感じは凄いホンワカ明るい幸せ感があって、その点もめっちゃ良かったです。

2. クックマートの「経営面」における工夫はどういうものか?

さて、ここまで「クックマートの店舗に行ってみたらすごかった」っていう話をしてきましたが、次は白井社長の本を読みながら、その「すごさ」はどういう風に成立しているのか?みたいな話をしたいと思います。

クックマートの競争戦略 ローカルチェーンストア第三の道

全体として白井社長は、「ロジック」的なものと、「その会社が持つ本来的な特性」みたいなものを、ちゃんとすり合わせて一個ずつ打ち手を打って行くタイプの人だと思いました。

いわゆる他社がやってる「ベストプラクティス」みたいな正解(とされるもの)があっても、簡単に考えなしにそのまま取り入れたりはしない。

例えば「チラシ」は出さないそうで、チラシは本部が「売りたいもの」を決めてしまって現場レベルで考える部分を奪ってしまうからやらない…という方針だそうです。

とはいえ、だからといって「その会社の昔からの惰性」をそのまま放置してるかというとそういうわけではなくて、かなり徹底的な対話的コミュニケーションの中から、「工夫を引き出してどんどん刷新していく」みたいな事が全社的に常に起きるように持って行っている。

テスラとの比較みたいな話で言えば、

「水の世界側の論理」

をある程度導入していきつつ、それを無理押しに現場に受け入れさせるというよりも、そこで

「アブラの世界の人々」

との”双方向コミュニケーション”を重視して、彼らの創意工夫を引き出しているという感じでしょうか。

白井社長はこの「アブラの世界の自律性」のことを

『魔境』

と呼んでいて(笑)、「魔境」には「魔境」なりの合理性や人々の気持ちがあるので、それを「一般的な理屈」だけで押し切ってしまわないようにしているという話が何度も出てきます。

白井社長個人はまあまあインテリで、東京の企業で働いてきた経験がある人なので、「基本的には水の世界の住人」だと思うんですね。

でも「アブラの世界」には「アブラの世界」の自律性があって、それがそうなっている『意味』も必ずある事を理解した上で、「対等な異文化」としてコミュニケーションする姿勢があるのが、こういう経営が「普通の倍」レベルの成果を上げている原因だと思います。

白井社長の本を読んでいると、この「魔境の独自性」をちゃんと尊重しつつ、お互い言いたいことを言い合えるようにしていくという態度を重視してる感じがありました。

「水の世界の論理」をゴリ押しして現場を壊すこともしないが、時代に合わない「アブラの世界の惰性」をそのまま放置したりも絶対しないという感じ。

定期的に従業員アンケートを取ってあらゆる不満を吸い上げるけど、「単なるわがまま」的なのはある意味「適切に無視」しながら、「真っ当な意見」はどんどん取り入れていって、「理不尽なこと」が現場に残らないように常に気をつけているという感じ。

要するに、「水の世界」と「アブラの世界」の間に、本当の意味での「違いを活かす双方向コミュニケーション」が実現できているところが、クックマートの強みなのだと言えると思います。

こういう「双方向コミュニケーション」があるので、さっき書いた

常にコチョコチョコチョコチョ微調整をし続ける事が必要な商品特性

を「乗りこなす」強みが他社を引き離す優位性になってるんですね。

なんかこう、

常にコチョコチョコチョコチョ微調整をし続ける事が必要な商品特性

こういう部分↑は、すべて「定式化」して「不確実性を排除」するのが、ある意味で「良い経営」だと思われてるところがあるんですが、それはちょっと一面的な見方でしかないんですね。

勿論、「いちいち不確実性に対処する意味がない」ような事象に毎回かかわずらって疲弊している…みたいなのは最悪で、経営とはそういう部分を標準化して無駄を減らしていくことが重要なのは言うまでもないのですが。

ただ、それだけだと「他の会社と差を付けられる領域」がなくなってしまうわけなので、「突き抜けた強み」を作り出すには、

常にコチョコチョコチョコチョ微調整をし続ける事が必要な課題で、顧客側から見てアップサイドが大きい部分

↑こういう部分を戦略的に選び出して、そこに「従業員の生きがいや注意」を引き付けることで、「他との圧倒的な差」を作り出すことが重要になってくる。

トヨタの生産方式も、「あえて自動化しすぎない」部分を残すことで伸びしろを作るみたいなことが極意に含まれているらしいんですよ。

クックマートは、「差をつけるべき課題」を適切に切り出した上で、そこに「従業員の生きがいレベルのコミット」を引き出して作用させることで、「食品スーパーとして明らかに他と違うレベル」を実現している素晴らしさがあるということなのかなと思いました。

ここが、よく日本である「従業員の生きがい搾取」はするけど「戦略的差別化要素」は皆無・・・・みたいな根性論経営とは隔絶している部分なんだってことですね。

3. 「クックマート」的なコミュニケーションを今後日本はどう活かしていけばいいのか?

私は自分のクライアント企業で、こういう「水とアブラの双方向性」を実現できて、業績もちゃんと出している経営者には、

「もっと大きな役割を日本社会で担う覚悟をしてくれ」

…と毎回話すたびに言いまくっていて、彼らは謙虚である事が多いので「いやいやそんな」って感じの反応が多いんですが、徐々に考え方を変えてもらいたいと思っています。

クックマートの白井社長も、あるファンドと付き合いができて、ある程度「拡大路線」に入る流れにあるみたいで、めっちゃ期待してます。

マジでうちの近くにクックマート出店してほしいもんね(笑)

でもここで問題なのが、こういう「有機的」にキチンと組み上げられてできている優秀な会社に、ファンドが入って無駄に拡大路線を強要すると、だんだんスカスカになってくることってよくあるんですよね。

「コメダ」はまだいいけど、「スシロー」は正直言ってなんかだんだんスカスカになってきた感がある(笑)

「水の世界」と「アブラの世界」がマヨネーズ状にうまく混ざり合っていた状態ではなくなって、徐々に「水だけ」の部分が突出してスカスカになってきてしまうというのは「よくある話」ではある。

在野の経済学研究者?みたいな存在で結構有名な長沼伸一郎氏という人が、こういう現象を「縮退」という物理用語を使って説明していました。

現代経済学の直感的方法

(↑私の発想から比べるとちょっとマルキスト的に感じられて違和感はありますが、でもかなり自分と似てる見方をしている人だなと思います。この本オススメです)

とはいえ、「縮退」が良くないからといって、物凄く限定された範囲のみで小さく小さく「有機的にうまく働いている理想像」が温存されていて、そこ以外は結局文化的にスカスカになっていく日本・・・みたいになっても困るんですよね。

だから全体的に、「クックマート」的に良い事例には、自分たちの強みが失われないペースを保ちつつでもいいから、色んな資本主義の仕組みをちゃんと使って拡大していって、「良い職場」が安定的に広がって行ってもらうことは日本社会にとってめちゃ大事なことだと思っています。

「20年間昭和の経済大国の遺産を食い延ばしてきたデフレ時代」が終わり、インフレ局面に入った以上、ある程度「優勝劣敗」的構造が出てくる中で、ちゃんと「マトモな経営者の傘下に入る領域」を増やしていく変化を起こすことが大事。

そうすることで、「現場レベルの工夫をちゃんと合理的な戦略と合致させるカルチャー」を普及させて、以下記事で書いたように、「ビッグモーター型の根性論カルチャー」を置き換えていってほしい。

『ビッグモーター』型ブラック企業を日本社会から根絶するために必要なこと|倉本圭造
(トップ画像はウィキペディアより) 中古車販売・買取会社「ビッグモーター」の様々な不正やパワハラ問題が世間を騒がせています。 一番本質的に問題なのは客の車をわざわざ傷つけて保険金を不正請求していた部分ですが、世間的に印象がめっちゃ悪かったのは店舗前の視認性を高めるために?(あるいはひょっとするとただ幹部の視察の時の...

4. 「両取り」の文化がある程度普及すれば、「水の論理」が縦横無尽に通る世の中に変わる

とはいえ、そこ以後は、「クックマート型」のカルチャーが日本全体を覆い尽くすということも不可能だと思っているんですよね。

そもそもそういう「密」な人間関係が嫌いな人も多いし、そもそもやはり国全体、人類社会全体みたいなマクロな現象に対しては「クックマート型のアプローチ」はあまりにヒューマンタッチすぎるところがあるからね。

ただし、社会の中で「水とアブラがせめぎ合っている部分」において、適切に「双方向コミュニケーション」ができるようになれば、社会全体レベルで「水の論理」でサクサク決着すればいいようなところで延々と押し合いへし合いになることがなくなっていくだろうと考えています。

例えば、以下記事で書いたように、

明治神宮外苑再開発に私が”賛成”する理由|倉本圭造
トップ画像は神宮外苑エリアの空中写真(ウィキペディアより) 故・坂本龍一氏も熱心に活動していたという「明治神宮外苑再開発反対運動」が佳境を迎えています。2024年の着工に向けて既に準備工事が始まりつつあるからです。既に先月22日に、準備工事としての神宮第二球場の解体がはじまりました。 私は何年か前にこの話題が紛糾し...

私は最近の「東京の再開発」が一種のワンパターンに陥ってしまって、東京に暮らす多くの人の本当の「気持ち」を吸い上げられていないんじゃないか?っていう違和感は凄いあるんですよね。

かといって、「ありとあらゆる開発に一本調子で反対する人々」の中に新しい希望を感じるかっていうと、こっちは「ゼロ」レベルで全くないんですよ。

それに比べれば何らかの「再開発側の工夫」の中に可能性を自分としては感じるところはある。

こういうのは、もう「完全に両極端に分断されてしまった」なら、もうどうしようもない…という感じではある。

築地の豊洲移転とか、マイナンバーカード関連に至るまで、ありとあらゆる陰謀論を動員して「なんでも反対する」みたいな人たちの言うことを聞いていてもぶっちゃけどうしようもない。

コロナ対策で「台湾は凄いけど自民党政府はクズ!」みたいなことを言いまくってた人が、マイナンバーカードには全力で反対してるとか頭おかしいですからね。お前はどうしたいんだと。

「じゃあマイナンバーカード普及させるのに協力しろよ。全然協力しないから無理やり健康保険と一緒にするみたいな事が必要になるんだろうが」

…みたいな構造はどうしてもある。

民主主義国家だから「そういう異議申し立て」を抑圧しちゃいけないが、「そういう形で噴出」させてる時点でもうどうしようもないという事がどんどん明らかになってきている時代なんですよ。

要するにそういう「不満」は、ちゃんと「水の論理」が「アブラの世界の自律性や創意工夫」を吸い上げられていないというミスマッチを象徴するものとしてのみ理解するべきなんですね。

だから、豊洲移転をやめるとか、マイナンバーカードをやめるとか、そういう方向ではなくて、社会のあちこちで「ちゃんとアブラ側の創意工夫を吸い上げられる経営文化を作っていく」ことによって乗り越えるべき問題なんですよ。

ちゃんと「アブラ側の工夫がマトモな経営戦略と合致して吸い上げられている実感」が生まれてくれば、「なんでもかんでも陰謀論まで動員して全部に反対する」みたいな運動は、根っこのところから枯らしていけるはずだと感じています。

豊洲移転とかマイナンバーカードは、何があろうと堂々とやっちゃいつつ、「別のところ」でちゃんと「本当の双方向性」を実現していくことが大事だということですね。

むしろ今までの日本はこういう「水の側の論理」にありとあらゆる側面でとにかく全部反対する勢力が大きすぎたので、ちょっとでも「双方向性」とか言い出すと何もできなくなっちゃうという不具合が多すぎた。

つまり、こういう「クックマート型の双方向性」を社会のあちこちで実現していくことは、「水の論理的に見れば明らかにやるべきこと」で延々と社会が押し合いへし合いになって社会が混乱するみたいな状況を避けるためにも重要なことなんですね。

同じ形で、「こういう双方向性」を中小企業レベルでちゃんと実現できるようにしていけば、「大企業のグローバル競争」レベルの話においては、ある程度「サクサクと水の世界の論理」を通用させていくことが可能になる変化は起きるだろうと思います。

5. 「人類社会の分断をつなぎとめる新しい希望」としての日本

過去20年は、頭で考えた観念的な「正義」をそれ以外の社会に無理やり押し込もうとする欧米由来のムーブメントが強すぎて、人類社会が「真っ二つ」に分断されてきた時代なわけですよね。

「欧米内」でも社会が真っ二つになって「インテリが言うことの全部逆をやってやる!」みたいなムーブメントが社会の一方で止められなくなってしまっているし、人類社会全体で見た時に、「非欧米」の第三世界がうっすらと共有する「欧米の上から目線で断罪してくるのマジむかつくよね」みたいな気分が止められなくなってきつつある。

「欧米的理想」自体を否定するものではないが、それが「無理やり押し付けられる」ことによって、実際にその「理想」の範囲内で生きる事ができる人間の数がどんどん減ってしまうような状況になってしまう。

なぜこうなるのか?っていうと、結局「水の世界の理想」を「アブラの世界」に浸透させていくにあたって、「アブラの世界」には彼らなりの価値観や自律性やそのローカル社会の細部への責任感があるということを、全然尊重せずに無理やり押し込むことをやりすぎたからだと私は考えています。

要するに、「クックマート型」の経営によって、「アブラの世界の自律性」が崩壊しないように尊重しながら、「水の世界の論理」を丁寧に浸透させていくような、そういう「メタ正義的な文化」こそが、今人類社会で最も必要とされているものだということです。

単純化して言えば、SNSで

「僕らみたいな”知的で誠実な人間たち”と違って世の中には、ゲスな野蛮人どもが多くってほんと困るよねえ」

…みたいなことを言い続けるだけで良い簡単なお仕事です…みたいなムーブメントに力を与えすぎてきた時代を巻き戻す必要があるってことなんですよね。

その「ゲスな野蛮人ども」がその社会で果たして来た役割とか、そのローカル社会が持っている事情とか、そういうのを一切「対等な目線」でテーブルにあげて一緒に解決する姿勢がなく、人工的に作られた観念的基準で断罪しまくって、

「嫌だねえ、こんなゲスどもは嫌だねえ」

みたいな事を言いまくるのが「正義」だという発想自体を、そろそろ終わらせなくてはいけない。

人類社会全体に占める「欧米」のGDPシェアが減り続ける時代にあって、それでも「欧米的な理想」が雲散霧消してしまわないようにするには。

「全く別個の論理と精神を持ったアブラの世界」のローカル的事情に対してちゃんと対等に「尊重」をしていきながら、その上で丁寧に「水の世界の論理」を溶け合わせていくようなそういうカルチャーこそが求められているんですね。

過去20年の「ガチのネオリベ経済」にハダカで飛び込んでしまった国は、こういう「全部社会の逆側にいるクズどもが悪いんで、自分たちは一切悪くないよね」というような分断が止められない状況にまで追い込まれてしまっている。

一方で日本では、昭和の経済大国の遺産を食い延ばし食い延ばし、アベノミクス的な「理外の理」みたいなものまで総動員して、その「逆側の立場」との有機的な繋がりが一応残っている幻想を崩壊から守ってきたところがある。

勿論、いつまでもその「幻想」だけを食い延ばす事はできないし、今後大きな環境変化の中で日本社会が挑戦しなくてはいけない課題はたくさんあるが、それでも「過去20年の世界経済の狂騒」から距離をおいてきたからこそ、これからできることがあるのだと私は考えています。

それは、フランス革命以後ずっと続いてきた、「欧米的発の概念的な正義を、逆側の”悪”に無理やり押し付ける」という構造自体の終焉をもたらすことになる。

日本の批評家小林秀雄が、

「美しい花」がある、「花の美しさ」という様なものはない。

…という言葉を残しました。

欧米型に概念的に考案された理想は、「その時点」では単なる「幻想」にすぎない。

ひとつひとつの「美しい花」は実在するが、「はなのうつくしさ」などというものは実在しない幻想でしかない。「信仰の自由」は尊重するべきだが他人にそれを押し付けられても困りますよねという話でしかない。

世界各地のローカル社会の人間関係の縁の連鎖の中にその「幻想」を作用させ、そしてリアルな「生活」の変化の中で溶け合わせて新しい「クックマート型の”水とアブラの間の双方向コミュニケーション”」として結実させることによってのみ、その「幻想」ははじめて「受肉」することになる。

過去20年の、「幻想」をとりあえずの観念的な基準として世界中に無理やり押し込むことが優先された時代が終わりに近づいている。

そして今後は、それをいかに中国やロシアやタリバンで暮らす人民までシームレスに繋がり引きはがすことは決して出来ない『人間関係の義理の連鎖』の中で「受肉」まで持っていけるかが重要な課題となる時代が来る。

そこでは、日本人が集合的に必死に過去20年こだわり続けて「ある一線」を守り切ってきたことが、「世界」から新しい希望として理解される時代が来ます。

堂々と進んでいきましょう。

「ボクたちは知的で誠実な一握りの善人たちだけど、アイツラはゲスで野蛮なクズどもだよね!」ってSNSで言いまくることが「正義」の行いだと思ってる奴らに、「本当の正義」ってのがどういうものか見せつけてやろうぜ!!!

そういう「ビジョン」を実現するための方法について、クライアント企業で平均年収を150万円ほど引き上げる事に成功できた事例や、日本全体の政治テーマに至るまで、分断されゆく議論を超える方向性を描く方法について書かれた以下の本をぜひどうぞ。

日本人のための議論と対話の教科書

つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。


編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2023年8月31日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。