無駄を極める「スコープ3」の算出・開示はやめるべきだ

Stock photo and footage/iStock

気候変動開示規則「アメリカ企業・市場に利益」 ゲンスラーSEC委員長

気候変動開示規則「アメリカ企業・市場に利益」 ゲンスラーSEC委員長 - 日本経済新聞
【ニューヨーク=竹内弘文】米証券取引委員会(SEC)のゲンスラー委員長は26日、米国商工会議所が主催するイベントで講演し、企業の気候変動リスク開示案について、最終規則を制定できれば米国の企業や市場に有益になるとの見方を示した。負担増を招くとして反発する産業界と意見の隔たりは大きい。SECは2022年3月に気候変動リスク...

米証券取引委員会(SEC)のゲンスラー委員長は26日、米国商工会議所が主催するイベントで講演し、企業の気候変動リスク開示案について、最終規則を制定できれば米国の企業や市場に有益になるとの見方を示した。負担増を招くとして反発する産業界と意見の隔たりは大きい。

当初はパブリック・コメントを経て23年春に最終規則とする方針でいたが、特にスコープ3についてコスト増の懸念する声が産業界などから噴出しているため、最終規則に落とし込む作業がずれ込んでいる。パブコメには約1万6000件もの意見が寄せられ、多くは反対の立場をとっていた。

気候変動が事業にどのような影響をもたらすかは投資判断材料ともなる。ゲンスラー氏は「投資家はほとんど一様に、開示に関する一貫性を求めている」と説明し、規則制定が「資本市場にとっても有益だと思う」と語った。

SECの委員長はご存知ないでしょうが、企業の気候変動情報に一貫性も資本市場への有益性もありません。そもそも金融の専門家である投資家が企業の環境活動に優劣をつけられるはずがありません。

実はあんまり普通の投資と変わらないESG投資の実態

実はあんまり普通の投資と変わらないESG投資の実態
財務情報であれば、業種も規模も異なる企業を同じ土俵で並べて投資対象として比較することができます。一方で、企業のESG対応についても公平に評価することができるのでしょうか。たとえば、同じ業種の2社があり財務状況や成長性では甲乙付け難く、気候変...

【A社】

年度 CO2排出量 売上高
2018年度 8万トン 10億円
2019年度 9万トン 9億円
2020年度 10万トン 8億円

【B社】

年度 CO2排出量 売上高
2018年度 120万トン 80億円
2019年度 110万トン 90億円
2020年度 100万トン 100億円

A社はCO2の絶対量は少ないのですが、CO2排出量が増加傾向ながら売上高は下がり続けており環境効率が悪化しています。一方、B社はCO2の絶対量は多いのですが、ビジネスが堅調なのにCO2排出量は減少しており環境効率が向上しています。

私が機関投資家の立場であれば、<例2><例3>のケースでどちらかを銘柄として選ぶことはできません。さらに、ここでは同じ業種としましたがこれが別の業種(製造業と小売業、サービス業など)の場合や、同じエネルギー使用量でも立地地域や国によって電力のCO2排出係数が異なる場合など、現実の企業比較ではますます複雑な条件が重なります。

(中略)

これがESG評価の実態です。こんな曖昧な基準で資金調達に差がつくとしたら、評価される企業側はたまったものではありません。

上記の例は企業のCO2排出量の中でも自社の事業活動に起因する「スコープ1」「スコープ2」と呼ばれるデータです。スコープ1・2は自社内なので実測が可能なのですが、それでも排出状況の是非や削減努力の他社比較などを投資家が判断することはできないのです。

他方、自社事業に伴う間接的な活動やサプライチェーンを対象としたCO2排出量を「スコープ3」と言います。スコープ3は実測がほぼ不可能で推計値とならざるをえず、なおさら一貫性もなければ資本市場にとって有益なはずがありません。

まず、スコープ3では算定するカテゴリーが15個定められていますが15カテゴリーすべてのCO2排出量を計算する企業は稀であり、ほとんどの企業はカテゴリー1(購入した製品・サービス由来のCO2排出量)のみかプラス1個、2個程度であって、そもそも対象範囲が企業によっててんでばらばらなのです。

次に、スコープの算出方法は実測から推計まで千差万別です。スコープ3で最初に取り組むカテゴリー1であっても現実には上流のサプライヤーを遡ってCO2排出量を実測できる企業などほぼ存在しません。従って現在カテゴリー1を公表している企業は推計値ばかりです。ところが推計する場合もCO2排出係数がこれまた各国でバラバラなのです。そして日本国内に限っても係数はひとつではなく様々な統計やデータベースがいくつも存在します。

さらに、係数の中身をみても課題山積で、データベースによっては15年前や20年以上も前のデータがいまだに使われています。どのような係数を使って計算しても現実とは乖離したCO2排出量が出てきてしまうのです。

そもそも、スコープ3を算出する目的はサプライチェーンにおけるCO2削減のはずです。しかしながら、CO2排出量が推計値では削減施策を立てられません。推計方法も複数ありますが、代表的な手法は「活動量✕CO2排出係数」です。活動量の例は購入材料の重量、購入製品の個数、自動車通勤している従業員の数や平均通勤距離、出張距離などです。係数の例は素材重量当たりや購入品1個当たりのCO2排出量、自動車や航空機によるCO2排出量などです。算定するカテゴリーを増やせば必要なインプットデータも膨大になります。

このかけ算の答えを減らすためには、小学生でもわかる通り活動量か係数のいずれかを減らすしかありません。活動量であれば、ビジネスを縮小する、車通勤している従業員に自転車通勤をするよう命じる、出張をなくす、といったことになります。企業が率先してできるはずがありません。

一方で係数は基本的に変わりません。データによっては15年や20年も使い続けることになります。これだけ脱炭素が叫ばれていてサプライヤーや電力会社が日々努力しているにもかかわらず、係数には全く影響しないのです。

2023年10月現在、スコープ3の算出に取り組む川下の大手企業が急増していますが、この推計方法ではCO2を削減することなどできません。就中、スコープ3データを理由にサプライヤーの切り替えなどできるはずがないのです。手段であるはずのスコープ3は算出と開示が目的化してしまい、もはやCO2削減という目的は忘れ去られているようです。

そこで一部の川下大企業が推計値ではなくサプライヤーから実測値を収集し始めていますが、その結果負担増に苦しむ中小サプライヤーが悲鳴をあげています。

この解決策のひとつを以前のアゴラ記事で提示しています。推計値には変わりないのですが、この手法であれば自社のビジネスを減らす必要はなく、サプライヤーや電力会社のCO2削減努力が毎年反映され、さらにサプライヤーの負担も軽減され下請けいじめがなくなります。

さて、冒頭の日経記事の最後はこのように締められています。

米国商工会議所資本市場競争力センターのトム・クオードマン上級副会頭はイベント後の声明で「SECの規則案は開示コストを倍増させるもの」と非難し「いかなる最終規則も、グローバル・リーダーとしての米国企業や市場を弱体化させるものであってはならない」と指摘した。

筆者もこの意見に100%同意します。気候変動情報開示、就中スコープ3の算出や開示はCO削減につながらず日本の産業界全体で生産性を落とすだけです。無駄なことをやめて本業に集中することで企業は生産性や国際競争力を高め収益を上げることができます。その方が投資家も喜ばしいのではないでしょうか。