自民党最古の派閥「宏池会」を巡るドラマ:芹川洋一『宏池会政権の軌跡』

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強引に推し進めるのではなく、ゆるくて、ふわふわした「ゆるふわ」指導者である。良しあしは別にして、反発係数が低い。だからなんとなく、するするとものごとが進んでいく。

28年ぶりの宏池会政権を率いる首相の岸田文雄ほど、何を考えているのかハッキリしない指導者も珍しい。

21世紀を迎えて以来、小泉純一郎と安倍晋三の長期政権を築いた二人の宰相、延期された東京五輪の開催とコロナ禍でのワクチン接種に政治生命を賭けた菅義偉のように、「闘う政治家」に国民が慣れていたこともあるのだろう。

与党議員にとっては官邸一強から解放された安堵感、野党議員には叩いても響かず批判し甲斐のない政敵。前政権がやり残した防衛三文書改訂、防衛費増額、ALPS処理水放出など、前政権までの批判が嘘のようにスルスルと懸案が通っていく。

しかし、主体性や政治的信念を国民に感じさせることなく、言葉に迫力のない岸田の表情は、何事にもどこか他人事のようである。凡庸な平時の指導者とのイメージが付きまとう岸田だが、池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一と続くこれまでの宏池会政権を振り返ると、著者の言葉を借りれば、その誰もが時代の転換点においてギアチェンジの役割を果たしている。

政治家にとっての政策とは何だろうかと考えると、政治的な立ち位置を示す目印のようなところがある。権力闘争をなりわいとする彼らの間で、純然たる政策論争などというものには、めったにお目にかからない。

日本経済新聞入社以来、半世紀近く日本政治を追ってきたベテラン記者の眼は鋭い。岸田が宏池会を語るときに必ずといってよいほど言及する「現実主義」についても、信念や軸はなく目の前で起こる事象に受動的に対応しているに過ぎないと著者は指摘する。つまり、「現実主義は無思想の思想」なのである。そのことを敏感に感じ取っているからこそ、安倍政権を支えたいわゆる岩盤支持層の自民党離れが止まらないのであろう。

岸田は総理大臣となっても毎週木曜日の宏池会例会に通い続けることで、自他共に求める宏池会に強い愛着を持つ派閥の領袖である。

しかし、過去4人の宏池会出身の首相は皆、志半ばでその職を辞した。大平正芳は、内閣の前に本人が斃れた。解散総選挙の観測が消えず内閣支持率が低空飛行を続ける中で、岸田は宏池会のジンクスを崩せるだろうか。