ガザ地区のハマス指導者の横顔

第1次冷戦時代、共産党政権下で刑務所に拘留されてきた政治家、反体制活動家、宗教者と会見したことがある。チェコスロバキア(当時)の初代民選大統領に就任した劇作家ヴァーツラフ・ハベル氏は反体制派指導者時代、通算5年間刑務所に拘留された。その時代の体験は「妻オルガへの手紙」の中で綴られている。

パレスチナのイスラム過激派テログループ「ハマス」(イスラエル国防省公式サイトから)

当方は2005年6月、中国の著名な反体制派活動家の魏京生氏とウィーンでインタビューしたが、同氏は通算18年間、収容所生活を送っている。同氏は1950年、北京生まれ。78年に民主化運動に参加。翌年に逮捕され、政治犯として強制収容所に。93年に仮釈放、95年に再逮捕、97年に仮釈放後、米国に亡命した。

当方はまた、アルバニアのホッジャ政権下で25年間、収容所に監禁されていたローマ・カトリック教会のゼフ・プルミー神父と会見した。ホッジャ労働党政権(共産党政権)は1967年、世界で初めて「無神論国家宣言」を表明した。神父は当時、ティラナで小屋のような家に住んでいた。神父は小柄で痩せていた。眼光だけはしっかりと当方に向けられていたが、声は小さかったことを思い出す。

いずれにしても、長い年月、刑務所、時には独房生活を強いられた人間にはやはり通常の人間とは異なった雰囲気があった。そのように考えていた時、パレスチナのガザ地区を実効支配しているイスラム過激派テロ組織「ハマス」の指導者、10月7日の「黒い安息日」の首謀者ジャジャ・シンワール(Jahja Sinwar=61)は通算23年間、イスラエルの刑務所で留置生活を送ってきたことを知った。

オーストリア国営放送は8日、シンワールのプロフイールを紹介していた。シンワールはガザ地区南部のカーン・ユニス難民キャンプで生まれ、彼の家族は現在のイスラエルのアシュケロンの出身者だ。シンワールはガザのイスラム大学でアラビア語を学び、1987年の第1次インティファーダの際にはハマスの軍事部門創設者の1人だった。彼はイスラエル兵2人の殺害とパレスチナ人12人の殺害などで何度か終身刑を言い渡された。多くの同胞を殺害することから、「カーン・ユニスの肉屋」と呼ばれ、恐れられてきた。

シンワールは、「イスラエル人は刑務所が私たちの墓になることを望んでいたが、神と大義に対する私たちの信仰のおかげで、私たちは刑務所を祈りの家と学習の場に変えることができた」と述べたという。彼はイスラエルで合計23年間刑務所で過ごし、そこでヘブライ語を学び、メナヘム・ベギンやイツチャク・ラビンの伝記を読むなどしてイスラエルについて研究したという。

シンワール氏を知る人々によると、シンワールはカリスマ性があり、寡黙で、残忍で、反応が早く、決意が強く、インスピレーションを与える人物だという。シンワールは2015年に米国によってテロリストに指定されている。

イスラエルに拘留中、脳に腫瘍が見つかり、2004年、拘留中に腫瘍を切除した。2011年、シンワールはフランス系イスラエル人の兵士ギラッド・シャリットと交換にパレスチナ人捕虜1000人の1人として釈放された。2017年、前任者のイスマイル・ハニヤ氏が組織の最高指導者に就任後、亡命。そのため、シンワール氏はガザ地区ハマスの実質的指導者となって現在に至る。

ハマスが現在、直面している問題は、内部に異なる潮流と、異なる度合いの過激主義が蠢いていること、亡命指導者とガザ指導者の間、政治指導者と軍事指導者の間で権力闘争が生じていることだ。興味深い点は、ハマスはイスラム教スンニ派だが、シーア派の盟主イランから軍事的、経済的支援を受けていることに対して、ハマス幹部の中には「イランとどの程度連携すべきか」で悩んでいる者もいるということだ。

シンワールとハマス指導部は、アラブ系イスラエル人、占領下の東エルサレムとヨルダン川西岸のパレスチナ人、そしてレバノンのヒズボラに対して、彼らをイスラエルとの武力紛争に引き入れようと画策してきたが、これまでのところ、その試みは成功していない。シンワールは現在、人質200人以上を武器に何らかの有利な取引をイスラエルから勝ち取りたいと考え出しているという。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年11月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。