アメリカと中国の根本的な差とは何か?

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中国共産党の姿勢

中国が南シナ海の領有権を主張し、軍事力で関係国を牽制したとしても、アメリカとの根本的な差が埋まらない以上、中国がアメリカに取って代わる、或いは比肩するだけの力を持つことは無い。

中国が社会主義国であり、中国の政治体制を途上国に押し付けることは、相手が中国と同じ専制主義国家、或いは独裁体制の国ならばそれも可能かもしれないが、そもそも、中国が支援している国、進出していこうとしている国の国民は、専制主義体制そのものを嫌っている。さらに言えば、政治体制は独裁状態を維持できたとしても、中国が拭えない問題、そして中国の関係国が受け入れられない根本に宗教の問題がある。

中国は、国内の宗教すら中国共産党のコントロール下に置こうと考えている。

学習院大学法学部教授の江藤 名保子氏は、笹川平和財団のChina SPF Ovserverの記事の中で、中国共産党の宗教に対する方向性について、

王作安国家宗教事務局長は、既述の討論会で次のように述べていた。「我が国の宗教の中国化の方向を堅持することは(中略)宗教が社会主義社会に適応するよう積極的に導く重要任務であり、我が国の宗教領域で突出した問題を解決する戦略的措置であり、我が国の宗教が社会の発展進歩のなかで積極的効果を発揮するための必然の要求である」として、宗教が中国社会に順応し、その紐帯として役立つことを求めたのである。

と取り上げている。

習近平政権が進める「宗教の中国化」とは

これは端的に言えば、宗教の自由は認めるがあくまで中国共産党の方向性に則ったものでなければならないと言ってるのだ。つまり、宗教を国家的事業の一つにしていこうと考えている。

一方、チベットやウイグルにおける仏教とイスラム教は、中国共産党が認める信教の自由の範囲外であり、国家を揺るがす不届きものの集まりと位置付けている。

しかし、それら国家と宗教の対立において、国家の統制が成功しない前例は、日本にある。

中国共産党の先例は日本

日本では軍国主義が進み、国家が宗教を弾圧し、国家が決めた宗教の枠内以上の活動を許さなかった歴史がある。天皇は国家神道の頂点にいる存在としてそれに利用されたのだが、では当時の日本がやってきたこととはなんだろう?

明治維新の後、文明開花が進み西洋から多くの文化、文明が怒涛の如く流れ込んできた中、日本の統治体制の根本にあるのが、経済だった。

西洋文明が入ってくることは日本繁栄の為に必須であった一方で、西洋から入ってきたのは、機械文明だけではなく国家の統治機構とは何か?と言う問題だった。

300年以上の江戸時代を経て、日本は幕藩体制という独自の統治機構を作り上げてきたが、日本には「民主主義」が存在してはいなかった。為政者を国民が選ぶという考え方だが、もちろん日本に民主主義が無かったわけではなく、むしろ他国に比べ、民主的な国家だったと言う歴史家もいる。そこに西洋式の統治機構が加わることと、西洋式の文明が流入することで、目覚ましい経済発展を遂げたのが日本だった。

明治、大正は日本国民にとって、歴史上経験の無い経済発展を迎えた時期ではあったが、同時に今の中国のように、国民と国家の繁栄と引き換えに宗教活動に対して厳しい弾圧、規制が加えられることとなった。

先の大戦で天皇が人間であることが再確認され、天皇は神が遣わした統治のトップではなく国民統合の象徴と言う位置付けへとその意味合いが変遷することになった。

ただ、神武天皇の時代から、実は天皇は常に統治の中心と言うより日本国民の統合の象徴そのものであり、実際に天皇が統治を行った記録はさほど多くはなかったとしても、日本国民が日本の国体の中心に天皇がいることは当然のこととして受け入れられてきた。むしろ、天皇という存在が時の為政者に政治利用されてきたのが、歴史的事実と見るべきだ。

先の大戦において、日本を神国と位置付け、大東亜共栄圏における植民地開放は天の指し示すところのものであると日本国民を煽動してきたからこそ、国家神道以外の宗教が台頭することを時の日本政府は認めてこなかった。つまり天皇以外の信奉の対象が生まれることは国家体制の瓦解を意味すると考えたわけだ。それはイデオロギーにおいてもそうであり、当然だが天皇制に反対する共産主義者も弾圧の対象になった。

戦後、一気に新興宗教が花開いたのは、それら歴史的な背景があったからによる。

アメリカの大きな影響下にあった戦後日本において、アメリカの統治体制の中で唯一、国民の思想信条の自由が謳歌したのがこれら宗教活動の活発化と共産主義者の台頭だ。

以後、

中国が他国に影響を与えることは困難
・アメリカと中国の差

続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。