「世論」とは一体、いかなる存在だろうか。生き物ではないから、「世論」を存在と呼ぶことはできないが、その無生物の「世論」を背後で操っている存在は通常、人間であり、その集団だろう。
例えば、岸田文雄首相は自身の信念に乏しく、「世論」の動向を見ながら政策を決定する首相だという声を聞く。「世論」が願わない政策はせず、「世論」を反映した政策を優先的に実行していく。指導力があり判断力のある政治家が「世論」に逆行するケースがあれば、必要ないばかりか歓迎されないのだ。
その「世論」の動向は世論調査や意識調査などを通じて、今、国民の世論はどちらに向いているかを判断する。日本で性的少数者(LGBT)理解増進法案が2023年6月、国会で可決されたが、これなどは典型的な「世論」の操作の結果だろう。欧米社会のLGBTの流れに押され、LGBTをあたかも重要な法案といわんばかりに推進していった岸田政権は「世論」に動かされたわけだ。
くせものは世論調査、意識調査といった類の調査だ。それらを通じて国民の総意、考えをはかり知ることができるだろうか。LGBT運動を見ても分かるように、社会の少数派は注目されるために声を大にして叫ぶ。LGBTとは普段関係のない大多数の国民は米国や欧州の実情を紹介され、LGBT関連法案が日本でも必要だといわれ続けたのだ。
世論調査は質問の中に、調査する側にとって願わしい回答が直接的、間接的に示唆されているケースが多い。だから、「これが世論調査の結果だ」といわれても、ピンとこない沈黙の大多数の国民が出てくる。世論調査結果と自身が一致しない、といった現象が生まれてくるわけだ。
「世論」は多くの国民に質問し、その結果、「社会にはこのような潮流がある」と見つけ出すものではなく、世論は恣意的に操作して作り出すものだといった傾向が最近はとみに見られる。そして作り出された「世論」はあたかも国民の過半数が支持したものだ、という誤解を生みだす。その誤解が個人レベルであるなら被害は大きくないが、国レベルでの誤解、例えば総理大臣となれば、国の運営を誤る危険性が出てくるわけだ。
そのうえ、「世論」は常に正しい、というわけではない。むしろ、多くは一部の、特定の思想、世界観によって操作された「世論」が多く、事実とは一致しないケースが多い。「嘘も100回言えば真実となる」といった論理が世論操作側にはあるから、繰り返し繰り返し、にせ情報をこれでもか、これでもかと拡散していくわけだ。情報発信力の乏しいものは21世紀の世界では生き延びていくのが難しいのは、そのためだ。
世界平和統一家庭連合(旧統一教会)が解散命令請求を受けたが、岸田首相の側近の中には「もう少し、冷静に対応すべきだ」「解散命令請求ができる要件を満たしていない」といった声もあったが、岸田首相は「解散請求しなければ、世論が許さない」と答えたという。非常に正直な答えだが、同首相が事の是非を冷静に考えて判断する政治家ではなく、世論に動かされる首相であることを実証している。
宗教法人法上の解散命令の要件となっている「法令違反」は本来、刑罰法令の違反に限られ、民法上の不法行為は含まれないにもかかわらず、首相は世論の圧力に屈して、その法解釈を書き直した。
朝日新聞など左派メディアでは旧統一教会批判が氾濫し、同教会は反社会的団体といったイメージが拡散されていった。その行先が教会の解散命令請求だ。それを拒否すれば、朝日などの左派メディアが一斉に岸田降ろしを始めるだろう。岸田首相にとって旧統一教会の将来などはどうでもいい、自身の政治基盤を堅持することが最優先だ。それを支えるのが「世論」というわけだ。
日本から旧統一教会に対して解散命令請求が出たというニュースが届いた時、40年あまり、ローマ・カトリック教会をフォローしてきた当方は、「それではカトリック教会はなぜ解散されないのか」と不思議に思った。
旧統一教会への批判は主に高額献金問題だが、カトリック教会の場合、未成年者への性的虐待問題だ。前者は民事関連だが、後者は刑法問題だ。そしてその件数は数万件に及ぶ。にも拘わらず、前者は高額献金という問題で解散命令請求を受け、後者は聖職者の性犯罪を隠蔽してきたにもかかわらず解散命令請求を受けていないのだ。高額献金問題ならば、キリスト教会だけではなく、仏教など全ての宗教団体が抱えている問題だ。高額献金した後、信仰を失ったために、その献金を返してほしいという元信者たちの要求だ。
旧統一教会への解散命令請求の件をフォローしていると、「世論」が如何に大きな影響を有しているかを改めて知ることが出来る、そして一旦「世論」が生まれてくると、それを覆すことは至難の業だ。「世論」はこの世の神だ。岸田首相は、地上で全能全知のパワーを有する「この世の神」に自身の政治生命を委ねてしまったのだ。首相本人にとっても、日本の行方にとっても、大きな躓きとなってしまった。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2023年11月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。