「延命治療はすべて自費で」は正しいのか

先日こんな番組があった。

この番組内で、ひろゆき氏はこう言っていた。

延命治療は保険適応外で、やりたければ自費で

個人的には、この意見には半分賛成・半分反対である。

反対の理由は、本当に治療を希望している経済的弱者が切り捨てられてしまうことだ。

本来、経済的条件(貧富の差)で医療を受けられるか、受けられないか、が左右されるべきではない。それが国民皆保険の基本姿勢だ。国として、ギリギリまでこの基本姿勢は堅持すべきだと思う。

なぜ「ギリギリまで」と言うのかというと、現時点が全然ギリギリではないからだ。

というのも、番組内でひろゆき氏自身が言われている通り、実は「日本人の9割は本当は延命治療を希望していない」のだ。それなのに、現場では多くの寝たきり・延命治療の患者さんがベッドを埋めている。この状況でもう終末期医療費の削減はギリギリ、と言えるだろうか?

もちろん、そこには

  • ひろゆき氏ご指摘の民営病院チャリンチャリンの問題
  • 保険適応の問題
  • ご家族の希望・意識の問題

など課題はいろいろある。

もちろんこれらの問題も非常に大事なポイントなのだが、それらの根底にある最重要ポイントは「人生の最後に対する御本人の思いを最大限重視すること」だ。

御本人もご家族も医療者も、みんなでしっかりそこに向き合うこと。ここさえクリアできれば、終末期医療費の削減など簡単にできる。

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人は必ず死ぬ。

老化現象は医療で解決できない(出来るのは延命処置程度)。

そのひとの人生は、その人のものでしかないのだ。

これは本来、医療費削減のための行いではなく、その人の人生にしっかり向き合うための作業であり、元来、人類ははるか昔からずっとこれを家族や地域の集落など共同体の中でやってきた。

そうやって、患者さん御本人も医療者もご家族もしっかりと「生きること/死ぬこと」に向き合い、真摯に対話してゆくことで、終末期医療費なんていくらでも減らせる。

もちろん、それでも駄目なら保険適応を、ということには(次善の策として)賛成でするのだが…。

多分、上記のような本質的な部分の改善が進めば、そこまで行く前になんとでもなる。

私は医療崩壊した夕張(死亡率は変わらず医療費は減った)でそれを実感した。

その後、今は鹿児島でそこに最大限の時間を使って実践している。

今後はアゴラでも、そうした地域医療・在宅医療の現場も発信したいと思っている。

【追伸】

なお、民間病院のチャリンチャリン問題は、日本の医療の一番奥にある(だからこそ見えにくい)本当にヤバい部分なので、指摘していただいたひろゆき氏には感謝したい。

日本ではどの病院も満床を目指すために必死。救急車→入院を一人受けた医師にはボーナス〇〇円、とか、経営陣から医師に「病床稼働率〇〇%!頑張って入院確保しましょう!」なんていうメールが毎日送られてくる世界観だ。

留置場をいっぱいにするために警察が頑張る、とか有り得ない話だが、医療の世界ではこれが普通に行われているのだ。