シン「和魂洋才」時代の必要性:本当の保守を考える

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1. 本当に大事なこととは

今から丁度171年前の11月(1852年11月13日)、米国海軍長官のケネディは、東インド艦隊司令官だったペリーに対日使命遂行に関する訓令を与えた。計画自体はそれ以前からあったが(むしろペリーが上申したものだが)、この正式な訓令を経て、対日使命遂行のための艦隊が組まれ、琉球や小笠原などを経て、翌年1853年7月、ペリー率いる艦隊は日本の浦賀沖にその姿を見せる。

当時の日本人が受けた衝撃を現代に置き換えて喩えて言うなら、恐らく大げさではなく、道の科学文明を有する宇宙人が宇宙艦隊を率いて突然地球の上空に現れたようなものであろう。存在することは知っていたが実際に見たことはほぼなかった西洋人が、実際にその姿を見せたわけだ(宇宙人が存在するかは分からないが、いても不思議ではない)。

しかも、こちらの射程は届かず、先方の大砲の射程は届くという不利な状況のもと、開国せよとの大統領親書を突き付けられた幕閣の気持ちはいかばかりであったか。まさに、武力による脅し、砲艦外交である。

そうした大変に不利な状況下、科学技術の現実も知らず、或いは直視せずに沸き立つ「攘夷」の大合唱状態の世論を前に、当時の幕府の役人たちは、私に言わせれば、現代の外交官たちも見習うべき素晴らしい交渉術を駆使した。厳しい状況の中で、アメリカを手始めに、各国と渡り合い、ギリギリの条約をまとめた。

が、健闘及ばず、マクロに見れば、この「外憂」が引き金となり、「攘夷のためには、弱腰でだらしない江戸幕府を倒すべし」との機運が醸成されてしまい、結果として、世界の現実を知らない辺境の芋侍たちに天下を奪われてしまう。いわゆる明治維新である。

芋侍たちは、「政権」を担うことになって初めて(正確には、担うことが現実的になってきたころから)、海外と日本の科学技術力の圧倒的差異におののくこととなった。元々倒幕をするための大義名分であったはずの「攘夷」の旗印はどこへやら、刀を捨てて洋装をし、まちづくりにあっては洋風建築を真似、洋風の法制度を導入し、洋風の軍隊を整え、近代国家を成立させた。

明治政府が成立してからわずか3年後の1871年に、わが国は政府の中枢の要人を多数含む107名からの大使節団を欧米に派遣するわけだが(いわゆる岩倉使節団)、一応目標として掲げていた条約改正の交渉がこの使節団で達成できるはずもなく、その実態は、西洋を学ぶミッションだったと言って良い。使節団一行は、各地で歓待されつつも、彼我の実力差・文明の差に圧倒されるわけだが、同時に、熱く闘志を燃やしていた。

使節団の記録係だった久米邦武は、米欧回覧実記にこう記している。

欧洲今日ノ富庶ヲミルハ、千八百年以後ノコトニテ、著シク此ノ景象ヲ生セシハ、僅二、四十年ニスキサルナリ。

つまりは、彼我の差に圧倒はされつつも、冷静に「欧米諸国だって、40年前は大したことはなかった。」と分析し、明記はしていないものの、「そうであれば、我々はもっと早く追いついて、追い越そう」という気概を見せている。

そして実際に我が国は、驚異的スピードで近代化を成し遂げ、明治維新後40年足らずで、欧米の強国の一角を占めていたロシアに近代戦で勝利することとなる。そこにあったのは、①実力差を認め、②しっかりと学び(模倣をし)、③いつかは勝つとの根性を忘れないことであった。

紙幅の関係で詳述は避けるが、東京を中心に焼け野原となった戦後の日本もそうだ。戦勝国のアメリカとの差は圧倒的であった。しかも戦に敗れて占領されることとなり、軍隊は解体され、いくつかの分野では研究することすら制限された。自動車にしても家電にしても、もちろん日本の発明でも何でもないわけだが、①実力差を認め、②しっかりと学び(模倣をし)、③いつかは勝つとの根性で、自動車も家電も、本家アメリカが驚く高性能の製品を次々と生み出してマーケットを席巻していった。

2. 現代・現在を考える

言うまでもないが、現在の日本は停滞の中にいる。円安の影響などもあるが、世界第二位だったGDPは、中国に抜かれ、最近は日本の2/3ほどの人口しかいないドイツにも抜かれたとされる。世界で5位以内の常連だった一人当たりGDPも、今や30位台だ。様々な研究開発力も衰えており、引用される論文数、大学のランキングその他、凋落の一途だ。かつて、世界の時価総額ランキングでトップ30社のうち21社を占めていた日本企業は、今や一社も30位以内はいない。

私たちに今必要なことは、①実力差を認め、②しっかりと学び(模倣をし)、③いつかは勝との根性で頑張ることであることは自明だが、果たしてどうであろうか。

何となくまだ、かつての経済大国・技術大国としての誇り・自尊心が空気として強く存在し、そのことが、他国から学ぼう(他国の優れたものを真似しても受け入れよう)という姿勢を失わせている気がする。そこから、負けないで頑張ろう、という根性は生まれようがない。

幕末・明治維新の頃、或いは戦後の焼け野原の時代とくらべて、欧米先進各国等との技術力の差は大したことはないはずだが、我々は、例えばGAFAM、と聞くと、「もうかなわない」という気分に満ちてしまう。Googleやアマゾンから徹底的に学んで、彼らを抜くような企業を作ろう、という気概はもはや日本には存在しない。

イーロン・マスク氏の評伝がバカ売れしているようだが、日本で言えば団塊Jr.世代とも言える彼の年齢層に、あそこまで徹底して、根性をもってやり抜く人材は見当たらない。テスラにしても、スペースXにしても、ゼロから、巨大企業などに挑んで今や勝利しつつあると言って良い。

ITなどのテクノロジー分野だけではなく、例えば、現在は、新エネルギー全盛の時代ではあるが、風力発電の風車、バイオマス発電のボイラー、太陽光発電のシステムその他、日本において、欧米や中国の技術をしっかり学び、根性を持って抜き返そう、という話は聞いたことがない。浮体式の風力発電なども、実証実験的なところまではやっているが、産業として育てて次代に残そう、という気概は感じられない。

民間企業もさることながら、戦略を組む政府においても、そうした気概・学ぶ姿勢は死滅しつつある。新エネを推進するのであれば、今や、例えば経産省の省エネ新エネ部は、太陽光課、風力発電課、核融合課、バイオマス・バイオガス発電課など、分野別にバーッと担当課を作って産業競争力を挙げるべく勝負に出ても良いかと思うが、寡聞にしてそういう話は聞いたことがない。

官民挙げて、①実力差を認め、②ミッション出すなどして海外から徹底して学び、③いずれは抜き返す、との根性を見せることが、実は大事なのではないかと思う。

昨今の地政学・地経学的な情勢分析から考えても、残念ながら、しばらく、国民国家単位で、世界の帰趨が決まって行く時代がしばらく続きそうであるわけだが、そうした中、益々、こうしたアプローチは重要になって行くものと思われる。端的に言って、最近陰りがあるものの、これまで急成長を遂げて来ている中国にあって、今の日本にないのは、この姿勢であろう。

かつて「和魂洋才」という言葉が流行ったが、まさに、今の時代にこそ、真の「和魂洋才」が求められている。いずれ追いつき・抜く、という和の根性と、洋のすすんだ技術・考え方の取入れである。(中国などに学ぶことも考えると、「洋」は必ずしも西洋ではなく、「東洋」と考えるべきである)

3. 政治の現状と本当に取るべき方策

昨今の政界を見ると、保守を巡る議論や動きが喧しい。安倍さんを支えていた保守層が、リベラル化した自民党・岸田政権から離れているとか、それをつなぎとめるために、保守の新たなアイコンとも言うべき高市早苗経済安全保障担当大臣が新たな勉強会をはじめたとか、そうした動きは手ぬるいとばかりに、自民党とは別に、日本維新の会、参政党、日本保守党などの動きが盛んで支持を集めているとか、である。

私は、日本の国の保守を考えるのであれば、より正確には「(日本という存在をしっかり)保守するための改革」を考えるのであれば、まさに、上記のような、①負けや実力差を額面通りに受け止める合理的考えや勇気、②進んでいる海外から徹底して学ぶ謙虚な姿勢、③いずれは追いつき、追い越そうという根性、が必要になると思う。ちょっとした政治活動でどうこうなるものではない。

そして、ある意味で、このことの実現・道筋の担保は、どの政策実現よりも喫緊であろう。仮に何らかの政策の実現で、再び成長する、勢いのある日本というものが見えれば、財政再建にしても、少子化にしても、地域活性にしても、たちどころに良い方向性、出口が見えてくるはずである。

しかるに、こうした舵取りをするべき肝心の政治は、スキャンダルをめぐる攻防、細かな減税や増税をめぐる攻防、選挙を巡る攻防などに明け暮れている。私は逆説的であるが、政治主導の日本の競争力アップの改革を進めるには、政治ではなく社会運動的アプローチを取るべきではないかと思う。

この30年、国民が見て来たのは、日本新党ブーム、「自民党をぶっ壊す」との小泉ブーム、民主党の政権交代ブームなどの、約10年おきに繰り返される政治ブームであり、それらが真の改革ではなかったことは残念ながら明らかである。

昨今の日本維新の会の伸長にしても、各種新党の乱立にしても、また、政権取ゲームが始まったのかと、国民はどこか冷ややかだ。かつてのブームを知らない若年層には、こうした改革系の新党や政治というものの持つインパクトは或いは心地よく響く部分もあるのかもしれないが、大半は白けている。

逆説的な書き方にはなるが、政治を機能させて物事を実現するには、政治ではなく社会運動から始めるべき、というのが私の結論である。主張や中身は異なるが、先般亡くなった池田大作氏が行った「創価学会」という、ある種の思想信条を広める社会運動の延長線上に「公明党」という政党があり、そこが政治を担うというようなアプローチだ。共産主義革命を目指す社会運動の一助としての政党である共産党などもスキーム的には似たようなものかもしれない。

真の保守のため、真の政治のため、「何をするべきか」という社会運動を先行させ、そこが、期間限定でも、改革のために政治を担うような動きが(運動実現のための政党を作って政権を取る動きが)日本で実現できるか。それが、迂遠ではあるが、実は日本の再生への近道ではないかとも感じている。政治のセンターピンを取るために政党を作り、とにもかくにも政権を奪取する、という現状の白けた在り方からの脱却が求められている。

青山社中は、今月で13周年を迎えた。日本の活性化を標榜して会社を立ち上げ、悪戦苦闘しつつ、社員20名ほど(業務委託やインターンを含む)で日々頑張ってはいるが、残念ながら目標(日本の活性化)達成は未だ程遠い状態だ。

ただ、こうした活動には多くの理解を頂き始めており、売り上げや利益はともかく、構成員の人数規模から考えると、恐らく、日本有数と言って良いほど、政治の世界、官僚の世界、ビジネスの世界、ベンチャーコミュニティ、NPO等の非営利セクター、大学等の学校の世界、海外との接点など、極めて幅広いネットワークを築きあげて来た。カネ儲けは下手ながら、ヒト儲けでは大成功していると自負している。

13年と8カ月(14年弱)務めた経産省を離れて直後に青山社中を設立して13年が経過したが、間もなく、時間的には文字通り、「半官半民」の人生となる。こうした、①実力差を認め、②優れた海外に学び、③いずれは勝つ(次代に食い扶持を残す)根性、という機運醸成のため、これからも各事業を頑張り続けたい。一社だけでまず行う小さな社会運動である。

政治そのものに携わることは当面考えていないが、先述のとおり、「社会運動あっての政治」ということを意識していることから、こうしたアプローチ、気分を共有できる仲間と今後も繋がって行きたいと考えている。それが燎原の火のように広がって真の社会運動となるように。