常識こそが保守主義の根底を支えている重要な一部分なのだ。
世の中に「保守」を売り物にする政治家や言論人は数多いるが、保守主義の根源にまで立ち戻り、突き詰めて考えている人は驚くほど少ない。本書の一文を読み、改めてその想いを強くした。Xやユーチューブなどで溢れる標的への憎悪を煽るような品のない言説を見るたびに、保守を名乗る人物たちの常識を疑わざるを得ないからだ。
本書「興国と亡国―保守主義とリベラリズム(かや書房)」は著者がこれまでに月刊誌などで発表した論文や書下ろしを纏めた論考集である。テーマは政治評論から2021年東京オリンピック開催反対への著者からの反論など多岐に渡る。
その中でも著者の無念と憤りが伝わってくるのが、故・安倍晋三元総理が暗殺された直後の追悼記である。自民党の中で良質な保守を代表する政治家が居なくなったことを嘆き、安倍氏を失った後の自民党が劣化し続けて「庶民を愚弄する売国政党」になり果てたと警鐘を鳴らすのである。
国家の来歴を自らのものとするとき、人間は国民になる。
日本を日本たらしめるもの。それは日本の歴史であり、その歴史とは有史以来の我が国にまつわる壮大な物語である。歴史を学ぶとは年号と出来事を時系列に暗記することではなく、この国を貫く各時代を生きた日本人の想いを想像することだ。それが、著者の主張に対する私の理解だ。
著者が紹介する元特攻隊員の証言を例にとれば、特攻隊の悲劇に涙しつつも、家族を守り国の名誉のために殉じた当事者に感謝と敬意を示すこと。そして自分が生きる時代に再び日本が惨禍に見舞われれば、命を賭して敵に立ち向かい国と大事な人を守る。先人の行為に想いを致し、自らもそんな気概をもつこと。これこそ自国の歴史を消化し、我がものとすること。それが、国家の礎となる。
著者が主張する歴史教育とは「国家の物語を共有する営み」であり、そのような教育を受けた人間は国民として自然に常識を体内に吸収する。冒頭の保守主義とは、こういった国家と自分自身との対話の結果としてもたらされる当然の帰結である。
保守思想の父と呼ばれるエドマンド・バーク、小林秀雄、江藤淳など古今東西の人物や作品について、かつて私が著者の私塾で議論した日々が懐かしい。故・安倍晋三元総理も月刊誌で著者に言及するなど、これからの保守言論界を支えていくことが期待されている逸材である。
国際秩序が揺れ動き、国内政治も不安定な昨今、私たちは地に足の着いた、常識に基づいた正論を欲している。更なる論考を待ちたい。
■