魏志倭人伝の卑弥呼より倭の五王こそ古代史の鍵である

ダイヤモンド・オンラインに「卑弥呼は天皇ご一家の先祖」って本当?“日本の初代女王”があり得ないワケ」という記事を書いた。詳しくはこの記事を読んで欲しいが、ここではとくに大事だと思うことを紹介しておきたいと思う。

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『魏志倭人伝』は三世紀の日本列島について書いた貴重な資料だが、日本側になんの記憶もない話であることが問題だ。しかも、考古学の成果ともリンクしない。

それに対して、日本のことを具体的に書いた最初の記録は、中国南北朝時代の『宋書』である。

一方、考古学でなく政治史的にみたら、畿内説は説明不能に近い。『魏志倭人伝』がやたらともてはやされているが、五世紀の中国南北朝時代の『宋書』における倭の五王の遣使についての記述のほうがより具体的であるため、はるかに重要な基本文書と位置づけるべきだ。宋は東晋に代わって中国南部を支配した中国南朝の全盛期の王朝である。

大和朝廷は413年から478年にかけて盛んに中国南朝に使節を送り、朝鮮半島の支配について支持を得ようとした。五王が『日本書紀』におけるどの天皇にあたるか若干の異説はあるが、私は仁徳天皇から雄略天皇とみるのが妥当だと思う。

そのなかでもとくに重要なのは、378年に南京に着いた倭王武(雄略天皇)の上表文で、大和朝廷としての日本国家の建国過程についての歴史認識を明快に述べている。

それによると、倭王武の先祖(応神天皇以前ということになる)は、畿内から出て、東日本、西日本、それに朝鮮半島のそれぞれ数十カ国を征服して倭国(自称でなく中国側の呼称。自称はヤマト)を成立させたとしている。

これは『日本書紀』による、崇神天皇から応神天皇までの時代における大和朝廷の発展過程に符合するし、高句麗王が建立した好太王碑とも矛盾がない。だとすれば、それを疑う理由がそもそもないのではないか。これを前提に、矛盾がないように邪馬台国を位置づけたら十分である。