ハマスはテロ組織である。ただの「イスラム組織ハマス」(NHK)などでは、けっしてない(前回投稿参照)。
(前回:結局「どっちもどっち」の日本人)
事実、イスラエルに対する10月7日の奇襲攻撃で、多くの民間人を含む1200人以上を殺害、240人以上を人質として連れ去った。
当然ながら、欧米各国は、ハマスを「テロリスト」とみなし、今回の「テロ攻撃」を非難している。ちなみに、日本は今年、G7議長国だが、アメリカ、イギリスなど欧米5か国が発表したイスラエルを支持する共同声明には加わらなかった。
岸田総理大臣は攻撃開始翌日の10月8日、「X」(旧ツイッター)に、こう投稿した。
見てのとおり、ハマスによる攻撃を「強く非難」したものの、「テロ」という表現は使わなかった。なお、その後11日になって、ようやく日本政府は「テロ攻撃」との表現を使用したが、遅きに失する。
ハマスはテロ組織である。げんに、1988年に発表されたハマス憲章は冒頭、ムスリム同胞団設立者ハサン・バンナーの言葉を引用し、こう謳う。
イスラエルは存在し、強固であり続けるだろう。イスラームが以前にあったものを麻痺させたように、それを無効にする時まで。(翻訳は『イスラーム世界研究』第4巻1–2号・2011年3月による・以下同)
言い換えると、イスラム(教)がイスラエルを消滅させるまで、イスラエルは存在し続ける、と述べている。
加えて、「いかに長い時間がかかろうとも神の約束の実現を切望する。」(第7条)と宣言したうえで、以下の預言者ムハンマドの言葉を引く。
ムスリムがユダヤ人と戦うまで最後の時は来ない。ムスリムがユダヤ人を殺そうとすると、一人のユダヤ人が石と木の間に隠れるだろう。すると石と木が言う。「ムスリムよ、神のしもべよ、我のうしろに一人ユダヤ人がいる。こちらに来て彼を殺せ。」しかしガルカドの木はそのように言わないだろう。ガルカドはユダヤ人の木だからである。
さらに、第13条は「パレスチナ問題の解決のためのイニシアティヴと、平和的解決、国際会議と呼ばれるものは、イスラーム抵抗運動の信仰箇条(‘aqīda)と相容れない。」とも明記する。
この「イスラーム抵抗運動」とは、ハマスの正式名称である。どこをどう読んでも、イスラエルと同列に「どっちもどっち」と並べられるような組織ではあるまい。
念のため、日本政府の見解も紹介しておこう。たとえば、こう答弁したことがある。
我が国においては、テロ組織を法的に認定する法制度はないが、我が国は平成十五年九月三十日の閣議了解をもって、ハマスについてテロリスト等に対する資産凍結等の措置の対象としている。
外務省の公式サイトもこう明記する。
ハマスは、イスラエルの生存を否定しています。日本は、ハマスを、国連安保理決議1373に基づいて、外国為替及び外国貿易法(外為法)に基づく資産凍結措置の対象としています。
だが、日本の主要メディアは、ハマスを「テロ組織」とさえ呼ばない。イギリスでも、最近この点が問題となった。英BBCが「『過激派』ハマス」などと報じたことに対して、イギリスのスナク首相が「ハマスを支持する人は、このひどい攻撃について責任を負っている。ハマスは『過激派』や『自由の戦士』などではなく、『テロリスト』だ」と批判。
同様に、シャップス国防相も「ハマスは罪のない人たち、赤ちゃん、音楽イベントの参加者、それにお年寄りなどを虐殺した、明らかな『テロリスト』だ。それをBBCがいまだに『過激派』などと呼んでいるのは驚きだ。組織内で一体何が起きているか知らないが、BBCは倫理基準を示すべきだ」と迫った。加えて、野党・労働党のスターマー党首も「BBCは説明する必要がある。私はテロリズム、テロリストと言ってきた」と語った。
与野党の政治家だけではない。10月中旬には、報道に不満を募らせた市民数百人が、ロンドン中心部にあるBBC本部の前に集結し、ハマスを「テロリスト」と表現しないBBCに「恥を知れ」などと抗議の声をあげた。
こうした動きを受け、ようやくBBCは「イギリス政府によってテロ組織に指定されているハマス」などの表現も使い始めた。
トゥーリトル、トゥーレイトの感は否めないが、少なくとも日本の主要メディアにそう批判する資格はあるまい。なぜなら、以上の事実関係を報じたNHKですら、いまだに「イスラム組織ハマス」と報じてはばからないからである。
ハマスのテロ攻撃を非難しつつも、イスラエルの自衛権行使を「やり過ぎ」などと疑問視する論者も少なくない。彼らは国際人道法を根拠にあげるが、かつて赤十字国際委員会(ICRC)主催の国際人道法講座を履修した私が見た範囲では、いまだ納得できる議論にお目にかかれない。
ウクライナ情勢も、中東情勢も、「どっちもどっち」で済ませてよいはずがない。もし、そんな暴論がまかり通るなら、今後、台湾有事が起きた場合、どうなるのか。テレビ各局が重用する「識者」のコメントを想像するだけで、身が震える(拙著最新刊『台湾有事の衝撃 そのとき、日本の「戦後」が終わる』秀和システム参照)。
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