『女優のように美しくなくても、天才でなくてもいい…「5人の皇后さま」から考える「悠仁さまのお妃選び」明治天皇の皇后は3歳上の「姉さん女房」だった』という記事をプレジデントオンラインに書いたので、そのポイントと補足を書く。
タイトルは悠仁さまのお妃選びになっているが、内容の重点は五人の皇后の列伝だ。内容は記事の方をご覧頂くとして、ここでは、現皇后である雅子さまについての部分を補足して紹介したい。
雅子さまは、皇太子妃時代はかなり厳しく批判された。ところが、皇后になられるや、「素晴らしい」と絶賛の嵐である。
2019年5月の即位とそれに続く行事や公務はご体調を考えて大幅に縮小されていた。VIPを迎えての招宴も縮小されたし、地方公務もこれまで二泊三日だったものが一泊二日になったりした。
その後、新型コロナ期間中は、一家でほとんど御所内に留まられ、東京五輪もまったくお出ましにならなかった。
そして、コロナ収束後は公務を再開されたが平成時代に比べて量的には大幅に縮小されたままである。
海外にはエリザベス女王の葬儀に参加されたが、葬儀そのものと終了後の首相主催のレセプションには出られたが、新国王主催の公式レセプションは欠席された。インドネシアご訪問では、日程のかなりの部分はホテルでご静養されていたし、諸行事への出席はぎりぎりまで予定が決まらず、さらに、当日、キャンセルもあるようだ。
この状況を絶賛するというのは、皇后陛下に対して負担をかけていると思う。結局の所、国民は上皇陛下と美智子さまのようなストイックで無理に無理を重ねるほどの密度の濃い公務や、当意即妙の受け答え、公平でバランスを失しない対応を理想としつつつ、現実にはそれは無理な状況にもかかわらず、それを期待するから、雅子さまに無理をさせていると思う。
あるべきなのは、宮内庁からか陛下からかご本人からかは別として皇后陛下のご体調からみて、平成年間のような公務は無理があるので、令和の時代には、こういう方針で公務をするという説明をして、それを国民も理解し応援することだろう。
量は少なくとも質の高い国際交流や精選した公務への登場機会を選ばれたらいい。直前まで決めないというのは、国内であろうが海外であろうが警備などで幾通りもの想定で準備が必要で、たいへんな負担がかかるから止めた方いい。
また、ビデオやネットを活用した単独公務も工夫すべきだ。事前収録でのお言葉なら、ご体調が良いときに、入念な準備をしてできる。
そもそも、外交官時代から、雅子さまは、じっくり練り上げていくほうを得意にされていた。そういう美点が発揮できるのは、たとえば、ご自分だけでなく陛下の分も含めて、務やお言葉の内容を吟味されたり、皇室外交をはじめ公務についての企画立案をされたりするといったことである。そうすれば、過去の皇后陛下に比べても、類いまれな才能を生かせるのだと思う。
陛下は結婚相手について、無難な選択でなく、母親である美智子さまに遜色のない素晴らしいお妃を求められていた印象がある。
その結果として、エリート外交官の娘で、卓越した学歴の女性外交官である小和田雅子さんに白羽の矢が立ち、国民も素晴らしい選択だと絶賛したが、皇太子妃に求められるのは外交での活躍だけではない。
雅子さまご本人にとっては予想外なことも多かったかもしれないが、お妃となるさまざまな厳しさは、総理秘書官や外務事務次官まで務め頭脳明晰な父・小和田恆氏なら分かっていたはずだ。
私はやはり、それを雅子さまに説明し、覚悟をもっていただいて決断し、準備してもらうことを小和田氏がしていなかったように見えることには批判的である。
小和田夫妻とは、複数回、シンポジウムに一緒に参加し、比較的少人数で何日間か行動をともにしたことがあって、その用意周到な仕事ぶりに直接、接したのであるが、その経験からいえば、小和田氏なら満を持して不都合が起きないようにできるはずだったはずなのにという気はする。
当時、雅子さまの同僚の外交官らの中には、饒舌で積極的なやり手である父親と違って、雅子さまは自己主張を内に秘めるシャイなタイプであり、世間で持たれているタフで社交的な女性というイメージとずれがあって、苦労されるのでないかと心配する人が多かった。
そうしたギャップも一因となって、思い描いておられたイメージと違う状況が生じ、いろんな問題が生じたのだが、いままた、見当外れの期待とそれが実現できないがゆえの焦燥が悪い循環をしなければいいのにと思う。