製塩と酒造で栄えた「安芸の小京都」:広島県竹原市

三原からJR呉線に乗って西に進み、竹原駅で下車しました。駅舎は旧国鉄タイプですが屋根が竹を割ったような感じに見えなくもありません。

竹原駅は22,000人の人口を有する竹原市の中心駅。竹原市は三原市と東広島市に挟まれ、南は瀬戸内海に面する小さな港町です。

アニメ「たまゆら」の聖地・竹原

「たまゆら」というアニメの舞台になった町だそうで、商店街は「たまゆら」の登場人物のパネルなどが置かれていて聖地巡礼に訪れた観光客を歓迎しています。

商店街の真ん中には登場人物(?)らしいももねこの神社があります。正月らしく鏡餅などの飾り付けがされています。

かつての繁栄を街並みが伝える「たけはら町並み保存地区」

竹原駅から歩いて10分ほどのところに昔ながらの街並みが残る「たけはら町並み保存地区」があります。今でこそ小さな港町である竹原ですが、江戸時代には廻船の寄港地となり、また江戸時代後期には製塩業が盛んになったことで大きく発展を遂げました。今も黒漆喰、白漆喰の住まいや蔵が多く残りかつて繁栄した時代の様子を今に伝えています。

独特の割り方の窓格子がまた素敵です。

あの有名実業家の実家もここに

こちらの黒漆喰の建物、新酒ができた証であるくす玉が掲げられています。どうやら酒屋さんのようです。看板を見ると

竹鶴酒造…?どこかで聞いた名前のような。

そう、ここはニッカウヰスキーの設立者で「マッサン」の名でも知られる竹鶴政孝氏の実家です。竹鶴家はこの地で製塩業と清酒業を行う実業家でした。

こちらはニッカウヰスキー余市醸造所。

ちなみに北海道余市町のニッカウヰスキーの蒸留所のポットスチルには紙垂(しで)のついた注連(しめ)縄が飾られていますがこれは竹原の竹鶴酒造で行っていたものを真似たものだそうです。

竹鶴政孝氏とリタ婦人の像はここ竹原の地にも建てられています。

西方寺から町を一望

町の東部の高台にある西方寺に登り、街並みを上から望んでみることにします。まるで映画のセットのような古い街並みを一望することができて壮観です。

瀬戸内海まで望むことができます。製塩業が盛んだったかつての浜には三井金属の工場が建ち高い煙突が聳えます。今回は訪ねませんでしたが、その近くには塩田の煙突跡なども残っているそうです。

西方寺に隣接して建つ普明閣は江戸時代中期に建てられた舞台づくりの旧本尊です。ここから竹原の街を一望することができ、昔の人もここからの景色を楽しんだのだろうことが想像できます。

新しい旅を提案する分散型ホテル「ニッポニアホテル竹原製塩町」

近年、分散型ホテルを全国に展開するニッポニアホテルが町並み保存地区内の古民家をリノベーションして「ニッポニアホテル竹原製塩町」を開業させました。

このホテルの特徴は1つの建物で1つのホテルを完結させず、いくつもの建物でホテルを構成していること。そうすることで旅行客が町を回遊し、町に活気をもたらすという仕組みです。

アルベルゴ・ディフーゾと呼ばれるイタリア発祥のこの仕組みについてはコチラの記事もご覧ください。

91 山陽道の宿場町で日本初のアルベルゴ・ディフーゾに泊まる・岡山県矢掛町|ミヤコカエデ(Miyako Kaede)
矢掛(やかげ)という町のことを初めて知ったのは3月のこと。 旅を考えるセミナーに参加した際、今、アルベルゴ・ディフーゾ(分散型ホテル)というものが話題になっていて、その発祥の地、イタリアのアルベルゴ・ディフーゾ協会から日本で最初に分散型ホテルとして認定されたホテル、矢掛屋INN&SUITESがこの矢掛町にあると知った...

「竹原」だけに盛んな竹細工

街並みを歩いていると竹細工がつるされているのをよく目にします。「竹原」という地名に肖って竹細工が町の産業となっており、観光客の目を楽しませてくれます。

休憩所の壁には一面風車が飾られています。

ちなみに竹原駅の駅名標にはかぐや姫が描かれており、地名も竹原であることから「竹取物語」ゆかりの地かと思ってしまいますが、そういうことではなく「竹」で町おこしを行う一環で登場させているだけのようです。一年に一度かぐや姫がこの町をパレードするそうです。

旅の終わりは道の駅で地ビールを♪

町並み保存地区を歩いて疲れた体を癒すために「道の駅たけはら」で休憩しました。やっぱりここは地ビールで一杯!地ビールや地酒も充実していました。広島県といえばレモン。ここはさっぱりしたレモンビール(ペールエール)をいただきました。ここで英気を養ってまた旅を続けます。

古い街並みを大切に残し歴史を今に伝える竹原。かつての繁栄をこれからも世に伝え、多くの観光客が訪ねる町になり再び繁栄の道を歩んでくれたらこんなにいいことはありません。


編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年1月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。