今年は2024年。
今、世間はコロナ禍も明けつつある空気感です。イベントやお祭りも今年あたりはほとんど元通りに戻ってきているのではないでしょうか。
でも、実は今も多くの高齢者施設で面会制限・外出制限が続いています。
コロナ禍で最初の緊急事態宣言が発令されたのが2020年の春ですから、かれこれもう4年前。つまり、高齢者施設でお世話になっている高齢者の方々はもう4年間、施設の中からほとんど出られない、家族ともほとんど会えない、と言う悲しい状況が続いているということです。
一方、鹿児島の介護施設「いろ葉」はコロナの最初から今まで「面会制限なし」「外出制限なし」を貫き通しました。
こちらの動画はすべてコロナ禍最っ只中の映像です。
なぜそれが可能なのか? そして今なぜ圧倒的に支持を受けているのか?
今回はその3つの理由についてお話します。
1. 以前から対応は変えていない。
いろ葉の社長、中迎聡子氏は言います。
いろ葉は感染対策もマスクも何もしないと言われがちですがそうではありません。クラスター発生時や、職員に風邪症状がある場合などはマスクをしています。これはコロナ前のインフルエンザ流行時の対応と同じです。
医療の専門家も当時は「マスクは感染予防ではなく、人にうつさないため」と言っていたと思います。今はそう言ってないのかもしれませんが、そうやって意見がうつろうということ自体が、何が正解かわからないという証拠ではないでしょうか。
ですので、うちは職員にも基本的な感染対策は研修で学んでもらった上で、感染対策もマスクもワクチンも自分で考えて自分で決めるように言っています。
もちろん、感染対策が重要になる局面はあるでしょう。少なくとも施設内クラスター発生時は感染対策が必須です。いろ葉でももちろんそれは変わりません。
ただ、そうでない時はどうでしょう?
感染対策の名のもとに終始外出制限・面会制限をする必然性はあるのでしょうか?
御本人やご家族の真の幸福を目指した時、どのような対応をすればよいのでしょうか?
中迎聡子氏はそのいちばん大切な部分に真摯に向かっているのでしょう。
2. マニュアルを作らない。
動画の中では、車椅子がほとんど登場しません。全く歩けない高齢者も、普通の椅子に座っています。
中には、床におしりを着いた状態の体を手で漕ぐ感じの「ズリ這い」や両手足を床につけた「四つん這い」の方もおられます。
一方、多くの高齢者施設では歩ける方でも「車椅子移動」が基本です。転倒事故などを防止できますから、安心・安全の介護が実現できます。
でも、車椅子を漕ぐのは結構な筋力が必要で、高齢者になるとなかなか自分では動かせないものです。「ズリ這い」や「四つん這い」だと、自分の意志で好きなところへ小回りよく自由に行けます。車椅子に座ることが御本人の希望ではないことだってあるかもしれないのです。
前述の中迎氏の発言で「職員が自分で考えて自分で決めるように指導しています」という部分がありましたが、これは逆に「マニュアルで職員の行動を規定しない」ということでもあります。実は、中迎氏はマニュアルを作らないのです。彼女は言います。
高齢者でも子どもでも、人間はひとりひとり個性があり全然違います。介護職はその場その場で臨機応変にその人にとって最善の対応をしなければならないのです。その場で頭をフル回転させて、その人にとって何が本当に良いことなのか、車椅子が良いのか、ズリ這いが良いのか、その場でベストな方法を考え出す。ここが大事で、マニュアルがあったら職員は逆に考えなくなってしまいます。かえって邪魔なんです。
もちろん、個別対応ですべてがうまくいくとは限りません。職員によってその判断の質もかわってくるでしょう。時と場合のよってはかえってうまく行かないこともあるかもしれません。施設を管理する側としては、マニュアルがあったほうが安心かもしれません。
でもそれは、「外出制限・面会制限」という一律のマニュアルを作っていたほうが安全・安心という理屈と同じ。高齢者や子どもたち一人ひとりの本当の幸福に向きあえるか、ということから遠ざかることになりかねないのです。
3. 人間としての幸福を目指す
中迎聡子氏はいつも、3つの「いき方」という話をします。彼女は言います。
人間には「3つのいき方」が大事だと思っています。
1つは「生き方」。これは生命としての生き方で、もちろん命あっての人生ですから大事なことです。
2つ目は「活き方」。人は植物ではありませんので、活動することが非常に重要です。もちろん寝たきりで活動出来ない、という人もおられるので一概には言えません。それでも私達がその方の「活き方」を意識するだけ、寝たきりでも出来ることがあるかもしれないのです。事実、いろ葉にも寝たきりに近い方々も多数おられますが、こちらの関わり方次第ですごく変わられます。
病院では完全に寝たきり、絶飲食で管から栄養を摂っていたのに、いろ葉に退院してから口から食事を摂り、歌を歌えるようになった方が2人います。一人はピアノを弾かれるまでになりました。小児麻痺でほとんど歩けない、言葉も喋れないのに亡くなるまで独居を継続した方もいます。私達に「活き方」の視点があるかないかで、大きな差が生まれてしまうのです。
3つ目は「逝き方」。とても残念なことですが人は必ず死にます。その自分の最期を意識できるか、そうでないか、そこで人生の質はまるで変わってくると思います。とにかく「生きる」ことだけを目的にリスクゼロの安心・安全を求めて「面会制限・外出制限」を受け入れるのか、「逝き方」と「活き方」を意識して身近な人々と親密に交流するのか…施設側も、高齢者・ご家族の側もそこを意識できるか出来ないか、で人生の質が大きく変わってくるのではないかと思います。
人間は必ず死ぬ。その最後の瞬間までどう生きるのか?
人生の根源的な問いを投げつける中迎氏。
その問いにどう答えるか。
「感染対策」というもっともらしい医学の皮を被った近視眼的な空気に抗えず、なんと4年間も「面会制限・外出制限」を続けてきた医療・介護業界は彼女の問いに真摯に向き合うべきでしょう。
行政・医療業界・メディアによる感染恐怖の大合唱は、「高齢者は感染症に脆弱なので接触禁止・隔離」という概念を徹底的に世間に植え付け、その結果医療介護の現場は「安全・安心神話」という錦の旗のもと「面会制限・外出制限」を続けてきました。
世間がほぼ通常モードに戻っている今、それでもこの安全神話と感染対策は当たり前のように続いています。つまり、特に何もなければ今後もこの状態が「常態化」する…ということが容易に想像できます。
果たして、人生の先輩である高齢者の方々の人生を「面会制限・外出制限」のまま終わらせて良いのか。
医療・介護業界、いや社会全体で考えるべき問題です。
中迎氏の発言と行動は、そのいい契機になるのではないでしょうか。