現代の日本では「人手不足」ということが盛んに強調されています。それは「低賃金・ブルーワーカー」の労働者が不足していることとだと思われがちですが、すでに風向きが変わってきているようです。
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工場労働とか建設業とか電気技師とかに従事する方々の給料は上がっているそうです。
ただし、事務職は相変わらず人余りの状況がつづいています。
ただし、今後はますます”人それぞれ”ということにもなりそうです。
人間に残る仕事はAIやロボティクスや移民では解決できない問題があります。
だからといって、高度人材も足りていないようです。
日本は大学無償化をしてどんな人材を作りたいのでしょうか。
大学の先生はこんな現象が起こっているで日本は終わっていると言います。
しかし、アメリカでも大卒は余っているそうです。
メモ – 高卒が大卒の所得を上回る——文系大卒のレッドオーシャン化
中国もすでにホワイトカラーは受難のときを迎えているようです。
終わっているのは日本ではなく大学ビジネスなのかもしれません。
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一方で、どんな技術が残るかはかなりはっきりしてきましたが、社会や各家庭の価値観はなかなか柔軟には対応できません。
日本人は現在の傾向がずっと続くと思ってしまう傾向が強いそうです。じつは戦前から様相は変わらないようです。
またいまの多くの両親が自分の子供に期待している未来での内容もこれに似て、この未来への計算の基準がまたあくまでも現在を基準にしているわけです。現在を基準にしていますから、その人が、その子供がたとえば三十歳になったときのことを計画しても、それはいまの三十歳の人を基準にしているわけで、三十になるのは三十年先ですから、そこの状態をあらかじめ計算して何かの計画をしているわけではないという点です。(山本七平、講談社、1978年)
たとえば太平洋戦争がはじまり、緒戦の大勝利となると士官学校・兵学校へ受験者が殺到したという例などはそれで、それは「今」を基準に将来を見ているからです。こういった誤差はこれからも絶えず生ずることでしょう。日本全体の過去におけるあらゆる失敗の、と私は考えています。こういった誤差はこれからも絶えず生ずることでしょう。これは単に個人の問題でなく、おそらく日本全体の過去におけるあらゆる失敗の、いちばん大きな基本になっているのはここであろうと私は考えています。(山本七平、講談社、1978年)