人生というもの

ドイツの哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーは、「人生は粗いモザイクの絵に似ている。美しく見るためには遠く離れていなければならぬ。間近にいては、それは何の印象も与えない」との指摘を行っています。私は率直に申し上げて、先ず「人生ってそんな風に見れるの?」と疑問に思います。後からの感慨はあるにせよ、誰の人生も誰一人として見通すことは出来ません。また「美しく見るためには遠く離れていなければならぬ」と詩的に述べていますが、私に言わせれば遠く離れていても美しく見えないことも人生に沢山あると思います。人生とは実に難しいものだと思います。

アイルランド出身の作家オスカー・ワイルドのように「人生は複雑じゃない」と言う人もいれば、芥川龍之介のように「人生は常に複雑である」とその逆を言う人もいます。私自身は、人間社会を上回る複雑系は存在しないとの認識です。現代人は、歴史や伝統といった形で過去からも様々受け継いで生きています。人は夫々異なる価値観を持っています。そして現在を生きる中では今起こる環境変化に色々と左右され、また将来見通しは各人夫々に違っていて見通し得ないのが実態です。之が、複雑怪奇極まる人間社会というものであります。

人は一つの人生しか生きられません。自分の希望が叶ったからと言って、それが本当に良い結果か否かは誰にも分かぬものです。「禍福は糾える縄の如し」「人間万事塞翁が馬」と言われるように、人生における運不運・幸不幸は分かりません。失敗が成功の基になることもあれば、その逆も又あるわけで、常に千変万化する状況下、人知人力の及ぶ所は限られています。実に、デンマークの哲学者セーレン・キェルケゴールも言うように、「人生は解のある問題ではなく、経験の積み続く現実です」。だから私は、正しい道を歩いて行くという一点が人の生き方としては大事なことだと思います。

安岡正篤先生は『東洋人物学』の中で、『人間はできるだけいい機会、いい場所、いい人、いい書物、そういうものにバッタリ出くわすことを考えなければならない。これを「多逢勝因」という。(中略)なんでも結構、とにかくあらゆるいい機会、いい出逢いに何か勝因を結んでもらいたい。人生というものはそういうことから始まる。ばったりだれかに出逢った、偶然、何かの問題にぶつかった、そういうところから人生は転回する』、と述べておられます。私自身、人生で大切なことは正しい生き方をすること、換言すれば善行を積むことだと思います。「積善の家には必ず余慶有り。積不善の家には必ず余殃有り」「諸悪莫作・衆善奉行」――良運・良縁を持とうと思えば、日々善行を積んで行くことです。


編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2024年2月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。