「ホワイト社会」は本当にホワイトなのか?

黒坂岳央です。

人気YouTuber、実業家の岡田斗司夫氏は「日本のホワイト社会化」について話した。ホワイト企業は聞いたことがあるが、ホワイト社会とはなんだろうか?

端的に言えば、行動や発言が清く美しく、汚れなき漂白された「見た目がきれいな社会」ということだ。より具体的には人の悪口や暴言を慎み、放屁や泥酔などみっともない行動なき社会のことである。

一見、理想に思える。だが本当にホワイト社会はホワイトなのだろうか?

BrianAJackson/iStock

評価経済社会

あらゆる言動に卒がなく清廉潔白、みんないい人、みんなきれいな人。そんなホワイト社会と似た言葉に評価経済社会がある。両者は異なるが、共通点もある。そして多くの人に馴染みがあるのが評価経済社会だろう。まずはこちらを考えたい。評価経済社会においては信用を得る人物になりたければ、言動を意識して評価を高くしましょうという話だ。

すでに手段の差こそあれ、多くの人は評価経済社会を受け入れている。たとえば企業は入社の際に相手の経歴や学歴を履歴書という形で判断する。詐称する人は少なくないので、身元調査やリファレンスチェックを実施する会社もある(筆者も過去に信用調査を受けたことがある)。

結婚相手の素性調査をするサービスもあるし、はじめて来店するレストランやホテルのレビューを必ずチェックする人もいるだろう。YouTuberやSNSはフォロワー数が信用力そのものになっていたりする。海外のUberでは、ドライバーと乗客が相互評価を行うし、メルカリも同様だ。評価を獲得しなければ損をする。

このように望む望まずに関わらず、多くの人はすでに受け入れている。ただ違和感なく受け入れられる理由は「仕事上の振る舞い」に限定されているからである。

ホワイト社会は息苦しくないのか?

一方でホワイト社会は評価経済社会をビジネス領域を超えて、プライベート空間での振る舞いも評価対象に入る。つまり、「口は悪いけど心は優しい人」とか「格好はだらしないけど内面はいい」という存在を許さない。

とにかく見た目がクリーンでなければ中身を見る評価の土台に立つことはできない。表面がホワイトでないと中身を見てもらえない。だから品行方正、とにかく見た目を整えることが最低限の関門であり全員がまずそこを乗り越えて初めて中身を整える段階に入る。

本当にそれは健全なのか?人の数だけ無限大に存在する多様性を無視していないだろうか?ホワイト社会とは良きを受け入れるといえば聞こえはいいが、その実排他的な側面を強く持ち合わせている。

個人的にはホワイト社会は息苦しさを生み出すと考えている。排他的側面が強すぎるし、誰もが表面を整える力を持っているわけではない。強烈に個性的な強い内面にカリスマ性を持つ人物は排除されてしまう。そんな社会の到来は、極めて恐ろしいと感じてしまうのは筆者だけだろうか。

 

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