あまのじゃくなアプローチ:第三の規格で勝負する量子コンピューター

あまのじゃく、つまりひねくれ者といえば英国人と日本人と言ったら語弊があるでしょうか?共通するのは島国、そこにはガチ勝負というより、「お前がそうするなら俺はこうする」といった競合姿勢であります。日本の企業戦略を見ているとそれが結構目につきます。

da-kuk/iStock

かつてのビデオ録画再生方式のVHS対ベータ戦争は典型でした。、EVのチャージ方式も当初欧州がコンボ方式を取ったのに対してチャデモ方式という日本独自の方式を取り入れました。チャデモとは「お茶でも飲んでいる間に充電を」という意味からきたと理解しています。基本の発想は顧客の囲い込みですが、姑息な感じもします。実際、充電をする側の端末はユニバーサル型が主流です。そりゃそうです。充電設備を提供する側からすればクルマの種類に応じて全部変えていたら普及などしません。

日本国内では似たような勝負は常時発生しており、陣営争いに消費者は???となることもありますが、売る側は「相手より絶対優れている」と押し込みます。本心で言っているのか、言わされているのか、一度それを営業マンに聞いたことがあるのですが、一言、「私もサラリーマンですから」。これには苦笑いせざるを得ませんでした。

今日、この話題を振ったのは量子コンピューターに関して国内の産学が協力するという大プロジェクトが発足したことに関係します。企業側は富士通、日立、NECなど10社が参画する予定でまさにオールニッポンの様相であります。そのプロジェクトが目指す量子コンピューターの方式が冷却原子型という第三の規格である点なのです。

量子コンピューターは現在主流がIBMやGoogleが研究を進める量子ゲート方式です。グーグルがベータ版で通常コンピューターなら1万年かかる作業を3分でこなしたことを発表したのは2019年です。一方、元祖量子コンピューターといえば西森秀稔教授と門脇正史氏が提唱した量子アニーリング方式でカナダのD Wave社が2011年に量子コンピューターの先駆けとなる技術を公開し、話題になりました。

今、この2方式が主流である中、オールニッポンが選んだのは第三の方式である冷却原子型であります。量子コンピューターの領域はあまりにも専門的であり、私がどうこう書ける代物ではないのですが、わかりやすく言えば量子ゲート方式の弱点である「ノイズ」の問題による正確性の問題を克服できる点において優れているとされます。

新技術ですので当然、さまざまな選択肢の中から最善と思われるものが選ばれ、かつ企業は必死でそれに改善改良を重ねていくことで世界のデファクトスタンダードを確保するわけです。特に量子コンピューターになると未開の世界とも言ってもよいわけでここでの研究が世界を圧倒するかどうかがポイントなのです。

似たように話はEVの電池があります。今のリチウムイオンから半固体、全個体型といったコンダクティブ型をはじめ、インダクティブ方式や着脱型など様々あり、それぞれに特徴があり、用途ごとの使い分けも今後進むだろうとみています。着脱式はトラックやタクシーなどに向いているでしょうし、今はまだほとんどないですが、インダクティブ方式だと所定の場所に止めるだけで充電ができるのでいちいち充電器を差し込む必要がなくなります。

ではこのあまのじゃくなアプローチに対して日本は勝ち目があるのか、であります。

日本の強みは深掘りができることであります。但し、私はオールニッポン方式で機能するかは正直わかりません。というのは各社それぞれ精鋭を新会社に送り込むわけでそれぞれの言い分がぶつかり合い、時として妥協の産物になるのです。それは後ろで糸を引く企業と送り込まれた精鋭に指示をするボスの立場がそうさせるのでしょう。

例えば国策半導体会社とされるラピダス(トヨタ、ソニー、ソフトバンクなど8社と創業個人12名)が2ナノ半導体を目指すとして北海道千歳市で工場建設を進め、世界でも最高水準となるレベルを目指すことになっています。

熊本に工場を完成させたばかりの世界最強、TSMCが台湾資本であることに対して日本の粋を集めるというアプローチは量子コンピューターの開発とそっくり同じです。ただ、私は我の強い大手企業がしっかりまとまり各社の最先端の技術やノウハウを共同事業体に供出するのか、はなはだ疑問なのであります。

もう1つの共通点は何か、といえば国粋主義なのです。つまり、日本が世界に勝つという発想があまのじゃくなのです。「世界と共に勝つ」ではなく「日本方式が勝つ」なのです。このこだわりが時として私にはよくわからないのです。

例えばコンピューターの世界でリナックス方式というオープンソース型に対して日本企業が得手な企業秘密として詳細を見せないブラックボックス方式があります。どちらが優位だったかと言えばオープンソース型ではなかったかと思います。理由は世界の頭脳が結集したからで、その果実は自分だけではなく、皆で分けるというやり方でした。

日本は負けず嫌いで激戦を戦い抜く意気込みはすさまじいもののこのところ、負け続きです。しかも負けたらあっさり撤退してしまう潔さがあり、そのうち「そんなこともあったよな」なのです。もっと粘ればいいのに、と思う訳です。その点、マツダのロータリーエンジンは粘ったと思います。孤軍奮闘でしたが、やっぱりあまのじゃくであることは変わりないと思います。

それが日本の良さでもあるし、ユニークネスでもあります。日本を外から見るとおとぎの国というか、大人のディズニーランド的なおもちゃ箱をひっくり返したような創意工夫がバラバラに存在していて秩序がないと思うこともしばしばです。

例えばコンビニでの決済方式、いったいいくつあるのでしょうか?そこまで必要なのか、と私は思う訳です。だけど誰も引かない、あるいは統合しようとしないところに世界とも協業出来ない弱さを見てしまうのであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年2月28日の記事より転載させていただきました。