バチカン「白旗を掲げる」で新解釈を

ローマ・カトリック教会最高指導者フランシスコ教皇はウクライナに対し、「白旗」を掲げてロシアと戦争の終結を交渉する勇気を持つよう呼び掛けた。フランシスコ教皇がスイス公共放送局RSIとのインタビューで発言した。同インタビューは文化番組の一環としは今月20日に放送される予定だ。教皇の発言の一部が9日、公表された。

フランシスコ教皇と会談するゼレンスキー大統領(2023年5月13日、ウクライナ大統領府公式サイトから)

ウクライナ戦争では、「ウクライナはロシア軍を撃退できないので諦めるべきだ」と主張する人々と、「勝利するまで戦うべきだ」と檄を飛ばす声で議論が分かれているが、フランシスコ教皇はどちらの意見を支持するかという質問に対し、「状況を見つめ、国民のことを考え、白旗の勇気を持って交渉する人が最も強いと思う」と述べ、「国際社会の協力を得て交渉が行われるべきだ」と付け加えた。

同教皇は、「交渉という言葉は勇気のある言葉です。自分が敗北し、物事がうまくいっていないと分かった時は、交渉する勇気を持たなければならない。事態がさらに悪化する前に、恥ずかしがらずに交渉してください」と語っている。

フランシスコ教皇は2月中旬に行われたインタビューの中で、ウクライナやロシアといった国名を呼んではいないが、発言の流れから「白旗を掲げる」ように求めている国は明らかにウクライナに対してだ。だから、ドイツ通信(DPA)はリード文の中で「ロシアを喜ばし、ウクライナを怒らす内容だ」と報じているほどだ。

フランシスコ教皇の発言について、ウクライナのゼレンスキー大統領はどのように答えるだろうか。これまで教皇の発言に対するウクライナ側の反応は報じられていないので断言できないが、プーチン大統領との如何なる交渉も応じないと主張してきたゼレンスキー大統領がフランシスコ教皇の発言をプーチン大統領を擁護するもの、と受け取ったとしても不思議ではない。

「白旗を掲げる」とは戦場では降伏を意味する。ボクシングで自分側の選手が相手に連打され、もはや反撃は難しいと判断したトレーナーがリングにタオルを投げて試合をストップさせるのと同じ意味だろう。ウクライナ側が白旗を掲げれば、ロシア軍がこれまで不法に占領してきた領土を奪い返すチャンスを失うと共に、ロシア側の更なる要求に譲歩を強いられることになる。ロシア軍のウクライナ侵攻を自由民主国家と独裁専制国家との対立と受け取っているゼレンスキー大統領にとって、ロシア軍の不法な軍事活動に褒章を与えるような「白旗」を掲げることは甘受できないはずだ。

ちなみに、フランシスコ教皇の「白旗を掲げる」という表現がウクライナ側に誤解されることを恐れたのか、バチカン教皇庁側は「戦闘を停止し、交渉することを意味する」とわざわざ説明している。もし、そのような意味ならば、「白旗を掲げる」という表現は使わない。

それでは、フランシスコ教皇の発言は間違っているのだろうか。ロシア軍の激しい攻勢を受け、国民に更なる犠牲が出てくる状況が生じれば、ゼレンスキー大統領といえども戦い続けることは苦しくなる。そのような状況が生まれてこないために、ゼレンスキー氏は欧米諸国に武器の供与を何度も要請しているわけだ。ただ、この最悪のシナリオは完全には排除できないのが戦争だ。祖国防衛の意気に燃え、戦ってきたウクライナ軍も武器と兵力不足でロシア軍の攻勢に苦しんでいる。その一方、ウクライナを支援してきた欧米同盟国の中で結束が緩んできている。戦いが長期化し、消耗戦となればなるほどウクライナ側は苦しい。

ゼレンスキー大統領は2023年5月13日、フランシスコ教皇と一度、対面会談している。ウクライナ戦争の和平ではゼレンスキー氏と教皇は決して同一の立場ではない。ウクライナ戦争の和平調停について語る時、教皇がロシアを戦争の加害国であるとは明確には非難してこなかったために、ゼレンスキー氏は強い不満を持っている。

ゼレンスキー大統領はフランシスコ教皇との会談後、テレビとのインタビューの中で、「ウクライナには調停者は必要ない」と明言、教皇の調停の申し出を断る趣旨の発言をした(「ゼレンスキー氏『教皇の調停不必要』」2023年5月15日参考)。

戦争は「負けるが勝ち」というわけにはいかない。敗北すればそれなりの代償を要求される。祖国防衛のために檄を飛ばしてきたゼレンスキー氏にとって、戦争犯罪を繰り返し、多くの国民を殺害してきたプーチン大統領と停戦の交渉に臨むことは悪に屈服することを意味する。

ウクライナ戦争の場合、相手国の主権を蹂躙して侵攻してきたロシア側は国際法からみても被告の立場だ。プーチン氏が独自のナラテイブ(物語)を振り回したとしてもロシア側には正義はない。にもかかわらず、ウクライナ側が白旗を掲げてロシアと停戦交渉に応じるということは「正義が悪に敗北する」ことを意味することにもなる。一方、ウクライナ側が正義を死守し、悪に勝利するまで戦い続けるならば、ウクライナ側にも多大な犠牲が出てくるだろう。戦闘で敗北を絶対に甘受しないプーチン大統領は状況が危機となれば大量破壊兵器の使用も辞さないかもしれない。そうなればこれまで以上の大惨事が予想される。

ここまで考えてくると、「善」と「悪」の世界に生きる宗教指導者のフランシスコ教皇にとっても国際法上からみても正義の立場にあるウクライナに白旗を掲げて、というのは心苦しいことだろう。しかし、現段階でそれ以外のカードがない場合、白旗を掲げ、可能な限りの有利な交渉をするために欧米大国の支持を受けてロシアと交渉テーブルに着くべきだ、というフランシスコ教皇の論理はある意味で理にかなっている。

誰でも勝利を願い、敗北を嫌う。国家同士の戦いでも同じだ。ただ、完全な勝利が期待できない状況ではやはり妥協と譲歩の原理に基づいた交渉に応じる以外にない。プーチン大統領は世界に多大な損害を与えてきた。ロシア民族に対しても、自身に対してもだ。ウクライナ戦争でプーチン大統領の国家指導者としての評価は地に落ちた。もはや回復できない。ロシアではポスト・プーチンが始まるだろう。

一方、ゼレンスキー大統領は正義、公正を前面に出さず、停戦と和平の実現に乗り出すべきだ。正義と公平の立場にある者が犯しやすい過ちは、自身が悪をやっつけるという傲慢さとそれで生じる勇み足だ。3年目に入ったウクライナ戦争はウクライナ側につらい決定を強いてきている。「白旗を掲げる」には勇気はいらない。歴史的大局に基づいた冷静な判断だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年3月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。