映画『ゴジラ-1.0』がアカデミー賞:特撮技術の革新と創造性

野口 修司

確かに、「水」と「火」の表現は、非常に難しい。

私は40年近く前にハリウッドの特撮現場を何度も訪れ、米国が誇る特撮技術を目にした。今では当たり前の「ブルーマット方式」をみて感激した覚えがある。

当時の日本は、人間が着ぐるみの中に入るなどの古い技術を使用しており、数十年遅れているように感じられた。

若い世代は知らないかもしれないが、1968年に公開された「2001年宇宙の旅」というSF映画があった。監督のキューブリックが、ゴジラと同じ視覚効果賞を取った。通常は担当専門技術者が取ることが多い。山崎監督は55年ぶり2人目の快挙となった。

「2001年宇宙の旅」は、あの時点で既にAIが人類に敵意を剥き出しにするストーリーと宇宙の特撮が高評価を得た。

アーサー・C・クラーク卿(右)と筆者

私はその作品に物凄く感動し、原作を書いたアーサー・C・クラーク卿に話を聞くために2度もスリランカを訪れた。当時の日本映画の特撮レベルは全くかなわないと感じた。

(ここだけのお話。クラーク卿の周辺にはお小姓のような若い少年が数人いた。ジャニーズ状態だったのを後で知った。)

しかし、今回のアカデミー賞受賞作品である「ゴジラ」の水を扱うシーンは、本当に素晴らしい出来栄えだった。日本映画らしい低予算でありながら、個々の人々が米国では考えられないほどの努力と工夫で成功を収めた。日本には異常とも言えるような組合がないため、個々の意思で作品を高めることが可能だ。

善悪論は各種あるが、ハリウッドの映画組合は日本では想像し難い。私は30年以上前に照明と音声関連の仕事でプロを数人雇った。賃金はもちろん、働く時間に大きな要求と制約があった。自分のような日本人なら、もう少しやればここまで到達する。寝る時間も犠牲にしてもよいと思う状況でも、組合加盟の米国人の対応は違う。今回のゴジラが低予算でここまでのレベルに達したのは、ほぼ間違いなく、日本にはそのような制約がないからだろう。

同時に、日本の個人への負担が‘常識‘ 以上にならないことを祈る。特に今回の成功例が^ほら、安くてもこんなにできる^という考え方につながることを危惧する。

1980年代の日米摩擦。自動車産業の現地取材を数え切れないくらいやった。トヨタが組合が強いデトロイトを避け、ケンタッキーで事業を始めた理由の1つが、米国の組合だった。

また、表現方法は全く違うが「ゴジラ」と並んで、同じような「反核」映画である「オッペンハイマー」が、同様にアカデミー賞を受賞したことも、考えさせられる。

しかし「ゴジラ」には問題点もあった。それは「眼」だ。例えば、「ジュラシックパーク」では恐竜の「眼」が生き生きとしていたが、ゴジラの目は「ビー玉」のように感じられた。

いずれにせよ、ついに本場のハリウッドを追い越した今回の栄冠には、心からの拍手を送りたい。