「食の楽しみ」はいつか終わる

黒坂岳央です。

筆者は子供の頃から大変な食いしん坊である。20代までは牛丼特盛3杯食べた後に、ケーキを2個食べたりしていた。今でも食欲は人の何倍もあるし、おいしいものを食べるためなら多少遠くても頑張っていけてしまう。色々と人生経験を経て様々な飽きと直面してきたが、食の楽しみだけは今でも続いている。

だが食の楽しみは永遠ではない。そのことを人生の早い段階で理解しておくことには価値がある。

ChayTee/iStock

年をとると食べられない

筆者はビジネス柄、取引先は年代層がかなり高い人が多い。中には70半ばの経営者や農家もいる。

彼らと一緒に仕事で食事をすることもあるのだが、体と気力はピンピン元気でも、食がそれにおいついていないと感じることがある。

ある75歳の経営者は過去に胃がんで胃を半分なくしており、勢いに乗って量を食べるとトイレに数十分こもって出てこられなくなるそうだ。たとえ分量を控えても、脂分が多いとそれが消化不良のトリガーになることもある。元々、食欲が旺盛なので好きなものをお腹いっぱい食べられないのはとても辛いそうだ。過去に鉄板焼でステーキの機会があったが、この人物はせっかくの高級ステーキは手つかずで、ほとんど野菜とご飯しか食べていなかった。脂分を受付られなかったのだと後でしった。

また、体を熱心に鍛えていたり健康意識が高いビジネスマンは胃袋自体はOKでも、健康を意識して食べられないものが多いという。ジャンクフードはもちろん、食後のデザートなども一切なし。こうした人とゆっくり会話をする時は各々先に夕食を済ませて、ドリンクだけのお付き合いということもある。つまり、環境変化で食の制約が強まる。

筆者も健康意識はかなり高い方なので、空きっ腹に甘いものやジュースは飲まないし、日中甘いものは口にしない。パフォーマンスや体型を意識するので、食べたいものを好きに食べられないのだ。このように年齢とともに食べたくても食べられない事情がたくさん増えてしまう。

あえて思考停止で食べる時

あまりに摂生がすぎるとQOLが低下する。だからタイミングによっては何も考えずに食べるのもありだと思っている。

その1つが他の人との食事だ。子どもたちとお祭りの屋台へいくと、出店からおいしそうな匂いが漂ってくる。健康や衛生状態、コスパを考えると、普通にお店で食事をする方がよほどいいに決まっている。だが子どもたちはお祭りの雰囲気に乗って、出店のものを食べたいと言い出す。自分はこういう時はあえて考えずに子どもたちに付き合って食べる。その代わり翌日は一食抜くなどして調整する。

食べるものによっては、栄養どころか毒に近いが、それでも子どもたちとの思い出のリターンはあまりに大きい。トータルメリットを考慮すると、食の楽しみを共有することには、食本来の栄養価のパフォーマンス以上に大きな価値がある。

死ぬまで健康を優先しても、結局最後は100%死ぬ。人生の思い出が灰色になるより、多少寿命を削ってでも時にはありだろう。こうした思考停止で食べても良い日が作れるようにも、普段は摂生する必要があると思うのだ。

何も考えずに好きなものを好きなだけ食べる。その時は当たり前に考えていたことも、年齢を重ねると永遠ではないことに気づく。好き勝手に食べられる内に存分に楽しんでおくべきだろう。いつか必ず終わりが来るのだから。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。