今の中国を作りあげてしまったのは日本

習近平国家主席
中国共産党新聞HPより

何度か中国共産党の悪政について触れているが、究極のところ、今の中国を作り上げたのは誰か?という問いに一定の答えを導き出してはどうだろう?

そのルーツを探れば、中国との付き合い方が理解できるだろうし、欧米諸国への提言ともなるだろう。アジア人以外は、日本も中国も韓国も同じに見える。それは身体的特徴も文化的な特徴においてもそうだ。つまり、今、世界から疎まれつつある中国とどう向き合うべきなのか?を最も理解しているのは、日本ではないだろうか?

断っておくが、私は中国と仲良くしようと言ってるのではない。中国とどう付き合うべきか?を言ってる。同時に、朝鮮半島やロシアとの付き合い方とも通じる問題であると思う。

一般的に自称リベラルの人々は、隣国と仲良くすべきで戦争の可能性を高めるのは間違っていると言う。確かにその通りなのだが、私が言いたいのは、今の中国を作ってしまった日本の責任はどう捉えるべきなのか?を問いたいのだ。

歴史を紐解けば、今の中国共産党の源泉は日本にあることは周知であって、中国の近代史や政治学を研究している人には常識でさえある。ウクライナで生まれたソ連共産党が、アメリカに対抗する為に極東の地を共産主義化そうとして、清の皇帝国家を破壊して民主化という美名の元、国の形を作り変えようとした。

当時、中国の民主化を恐れた国民党と改革の衣を纏った共産党との内戦が起き、かたや日本は満州国を建国して中国の統治を目指していた。満州国建国については、日本が植民地化を目指したからだという今の中国国内に流布されている言説と、ソ連の影響を抑え込むため、帝国陸軍主導でその防壁を作るための満州国建国であり、日本は中国国民の真の民主化を目指していたという論調がある。

愛新覚羅溥儀を満州国初代皇帝に担ぎ上げた大日本帝国陸軍の真の狙いはそこだったという論が、正しいか否かは、私には分からないが、少なくとも日本も国民党もソ連共産党を恐れていた事実は間違いない。それほどに、極東アジアは混迷を極めていた。これら中国大陸の統治において皇帝を無くし、新たな政治体制を確立すべく動き出した時、巨大な国土と膨大な国民を束ねるに適当な在り方が模索されたのだ。

そんな時、中国の統治のあり方を模索していた当時の若者に福井準造の著した『近世社会主義』が大きな影響を与えることになる。まさに中国におけるマルクス・エンゲルスとの出会いがそこにはあった。そして日本の成城学園で民族主義に目覚め満州族の清朝を倒すべく立ち上がった陳独秀、早稲田大学で社会主義に触れた李大釗、日本の明治維新に強く影響を受け旧清朝で勃発した辛亥革命を経験した毛沢東らが中心になり、中国において満州国を倒して新たな漢民族国家を建設するべく、中国共産党が生まれた。

これら中国における共産主義革命の最小の胎動は、清朝から満州国を建国し次に日本の傀儡とも言うべき国民党を倒すことを目途として当時、全く新しい政治イデオロギーとしての社会主義国家の建設を目指すことになる。そこには、資本主義に対抗する革命思想があった。そして国民党が建国した中華民国は、日本を含む資本主義の傀儡政府であるとの考え方がそのまま革命思想と結びつくことになる。

中国共産党の思想的源泉はソヴィエト共産党であるが、社会主義革命、共産主義革命の胎動があった日本こそが、実は中国共産党が生まれる為の東洋における社会主義思想の源と捉えるべきだ。言い換えるなら、今の習近平指導体制も、元を糺せば日本の影響下にあると考えるべきだ。

明治維新以後の日本も、果たして、日本にとっての理想的な政治体制とは何か?が模索されてきた。そして、東京の名だたる大学には社会主義を研鑽する動きが高まり、その影響下にあったのが今の中国共産党を作った人々だ。彼らに言わせれば、日本は社会主義革命を達することは出来なかったと嘯くかもしれないが、では、今の中国が果たして、理想的な社会主義国家と言えるだろうか?

以後、続きはnoteにて(倉沢良弦の「ニュースの裏側」)。