若者の“ミッドライフ・クライシス”

欧州社会は“アブラハム文化”だ。アブラハムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信仰の祖だ。イスラム教では3月11日から5行の一つ「ラマダン」(断食の月)が始まっている。キリスト教では明日31日は復活祭(イースター)だ。十字架で亡くなったイエスが3日後に復活したことを祝うキリスト教最大の祝日だ(東方教会は5月5日が復活祭)。

日本庭園があるウィーンの世田谷公園(2024年3月16日撮影)

今年はイスラエルとイスラム過激派テロ組織ハマスの間で戦闘が続き、ロシアとウクライナの間の戦争は3年目に入った。世界は激動の時を迎えている。ユダヤ教徒、イスラム教徒、そしてキリスト者にとっても試練の時だ。

ところで、今月20日は「世界幸福デー」だった。それに合わせて慣例の国連「年次世界幸福度報告書」(調査期間2021年~23年、143カ国を対象)が発表されたばかりだ。同報告書を担当した専門家の1人は「西側諸国では過去、若者が最も満足しており、主観的幸福度は成人初期に減少し、中年以降に再び大幅に増加するというものだったが、今回発表された報告書は、この『U字カーブ』が当てはまらず、場合によっては若者の幸福度が低下している」と指摘し、「若者がミッドライフ・クライシス(中年の危機)のような状況を経験している」と述べていた。

その原因について、ソーシャルメディア利用の増加、所得格差、住宅危機、戦争や気候変動への懸念が若者の幸福度に影響を与えている可能性があるというのだ。未来に対する不安がソーシャルネットワークで増幅され、若者が希望を失っていく。

ローマ・カトリック教会の前教皇ベネディクト16世は2011年、「若者たちの間にニヒリズムが広がっている」と指摘した。欧州社会では無神論と有神論の世界観の対立、不可知論の台頭の時代は過ぎ、全てに価値を見いだせないニヒリズムが若者たちを捉えていくという警鐘だ。簡単にいえば、価値喪失の社会が生まれてくるというのだ(「“ニヒリズム”の台頭」2011年11月9日参考)。

人は価値ある目標、言動を追及する。そこに価値があると判断すれば、少々の困難も乗り越えていこうとする意欲、闘争心が湧いてくるものだ。逆に、価値がないと分かれば、それに挑戦する力が湧いてこない、無気力状態に陥る。同16世によると、「今後、如何なる言動、目標、思想にも価値を感じなくなった無気力の若者たちが生まれてくる」というのだ。

フョードル・ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」のカラマーゾフ家の次男イワンは「神がいなければ全てが許される」という。一方、ロシアの首都モスクワのコンサート会場を襲撃し、140人以上を殺害したイスラム過激派テロ組織「イスラム国」(IS)の戦闘士はアラーの神が唯一の「神」と考え、異教の神を信じる人間を殺害していく。イワンの世界とISテロリストの世界は全く異なっているが、両者とも自身の行動の正当化を「神」に置いている。

イワンの世界は神、道徳、倫理などを失い、自己中心の欲望を制限する手段のない社会の恐ろしさを物語る一方、イスラム過激派テロリストの場合、神を信じている者が「自分の信仰こそ唯一正しい」と独善的、排他的に考え、その狭い宗教の世界に生きている人間の怖さを示しているといえるだろう。

少し古くなったが、興味深い話を紹介する。独連邦議会の野党「左翼党」幹部のグレゴール・ギジ氏(Gregor Gysi)はZDFのマルクス・ランツ司会の娯楽番組に出演し、そこで、「自分は神の存在を信じていないが、神なき社会を恐れている。キリスト教会が主張するような価値観で構築された世界が全く存在しない世界に恐怖を感じるのだ。資本主義も社会主義もその恐怖心を取り除くことができるものを有していないからだ」という趣旨の話をしたことがある。

ギジ氏(76)は1989年に東ドイツの支配政党であったドイツ社会主義統一党が改組して結成された民主社会党の初代議長に就任し、東西両ドイツの再統合後も左翼党をリードしてきた政治家だ。典型的な無神論者だが、その無神論者が神なき社会の台頭に一種の懸念を有しているのだ。

無神論者はイワンのように「神がいなければ全てが許される」と考えても不思議ではないが、実際、神のない社会が台頭すると、「そのやりきれなさに耐えられなくなる」という声が彼らの口から飛び出してくるのだ。教会が生き生きしていた時、無神論者も多分、積極的に神を攻撃できたが、教会が勢いを失い、信者が脱会する時、無神論者は勝利の歌を歌うのではなく、教会の行く末、神の行く末に懸念し、神なき社会の台頭にひょっとしたら教会関係者以上に心配し出しているのだ。

イエスはパリサイ人のニコデモというユダヤ人の指導者に「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることができない」(「ヨハネによる福音書第3章1節~3節)と語った。新しく生まれ変わるためには、古い自分は一度は死ななければならない。そして古い自分を捨てることは誰にとっても容易ではないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年3月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。