大統領は軍の最高司令官の立場だ。そのトップが「戦いは厳しい。ひょっとしたら敗北するかもしれない」と呟いたとする。軍関係者、側近たちはどのような反応をするだろうか。「大統領、大丈夫です。わが軍は必ず勝利します」と答えるだろうか、それとも「敗北した場合、われわれはどのようになるだろうか」といった後ろ向きの論議が飛び出すだろうか。
ウクライナのゼレンスキー大統領は7日、政府の資金集めイニシアチブであるユナイテッド24が主催したビデオ会議で、「米国からの更なる軍事援助がなければ、ウクライナは戦争に負けるだろう」と述べた。同大統領には「戦争に敗北する」といったシナリオはこれまでテーマにはならなかった。欧米諸国に武器の支援を要請する時も「戦いに勝つために・・」と説明するなど、強気を崩さなかった。その大統領が「米国の支援がなければ、ウクライナは敗北する」と嘆いたのだ。欧米諸国は大きな衝撃を受けている。
ゼレンスキー氏はオンラインネットワークで中継された演説で、「米議会の支援がなければ、われわれが勝利すること、さらには国として存続することさえ難しくなるだろう」と強調した。その上で「ウクライナが敗北すれば他の欧州諸国も(ロシア軍に)攻撃されるだろう」と警告している。
「戦略分析センター」議長の軍事専門家バルター・ファイヒティンガー氏は8日、ドイツ民間ニュース専門局ntvとのインタビューで、「大統領の表現は確かにドラマチックだが、内容自体は新しいことではない。ウクライナ戦争の勃発後、米国は欧州諸国と共にウクライナを支援してきた。最大支援国の米国が援助を止めた場合、ウクライナが厳しくなるのは明らかなことだ。ゼレンスキー氏はウクライナの戦場での現実を踏まえ、米国議会に再度、迅速な支援をアピールしただけだ」と解釈している。
米国に代わって欧州がウクライナ支援の主導権を握るという可能性について、同氏は「欧州諸国もウクライナ支援ではそれなりの役割を果たしているが、米国に代わることはできない」と説明、「欧州諸国は自国の軍事力をアップし、米国依存から抜け出すために努力しなければならない」という。
米議会の共和党は昨年以来、今年11月の再選を目指すドナルド・トランプ前米大統領の圧力を受けて、600億ドル(約550億ユーロ)相当の新たなウクライナ支援策を阻止してきた。目を戦場に移すと、ウクライナ軍はロシア軍の激しい攻勢を受け、守勢を強いられてきている。第26砲兵旅団のオレフ・カラシニコフ報道官は7日、ウクライナのテレビで、「激戦が続いているチャシフ・ヤル市付近の状況はかなり困難で緊張している」と証言している。
同時期、北大西洋条約機構軍(NATO)のストルテンベルグ事務総長はロシアと停戦交渉の可能性をもはや完全には排除しなくなった。同事務総長はこれまで「侵略国が報酬を受けるような和平交渉には絶対に応じるべきではない。和平交渉への条件はウクライナ側が決定することだ」と主張してきた。
ちなみに、紛争当事国が停戦や和平交渉に応じる場合、3通りの状況がある。①紛争国間の戦いが互角の場合、②紛争国の一方が圧倒的に強く、相手側を押している場合、③第3国が紛争国間の和平の調停に乗り出す場合だ。ウクライナ戦争の場合、昨年半ばまでは①だったが、現在はロシア側が戦場では有利に展開してきた。③の場合、米国、中国の2大国がウクライナとロシア間の和平交渉の調停役に乗り出すシナリオだ。
欧米の軍事専門家たちは「ロシア軍は今年5月以降から攻勢を再開する計画だから、その前の和平交渉は目下、考えられない」と見ている。「プーチン氏は国内の治安対策のためにも戦争が必要だ」というのだ。
ウクライナ戦争は長期化してきた。ロシア側だけではなく、ウクライナ側にも厭戦気分が漂ってきている。両軍とも兵力不足だ。ウクライナ側は動員年齢を下げる法令が採択されたばかりだ。ロシア側もこの夏以降、志願兵と新たな徴兵で兵力を増強する予定だ。戦時経済体制に再編したロシアには目下、武器、弾薬不足はないが、ウクライナ軍のフロントでは武器不足が深刻だ。
米紙「ワシントン・ポスト」によると、トランプ前米大統領が大統領選に勝利し、再選を果たした場合、ウクライナ側に圧力をかけ、領土の一部をロシア側に与え、迅速に和平を実現させるというのだ。ウクライナ国内ではトランプ氏の和平案に強い批判と反発の声が聞かれる一方、国力を削減する戦争を継続するゼレンスキー氏のリーダーシップに懐疑的な声も聞かれる。
いずれにしても、ゼレンスキー氏もプーチン氏も戦争の終結へのシナリオを描くことが出来ずにいる。その一方、両国国民の忍耐は次第に限界に近づいてきている。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2024年4月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。