90年代、日本の社会にリストラの嵐が吹き荒れ、多くの人が路頭に迷いました。当時はまだ終身雇用が謳歌した流れでしたので景気悪化、業績悪化に伴う企業の大規模リストラには多くの悲劇と涙の物語がありました。お父さんがさみし気に児童公園のブランコで下を向いているシーンはそれがイメージ動画だとしても哀愁が漂います。「パパ、リストラされたんだって。ママぁ、リストラって何?」と5歳の娘に聞かれたママも返答に困っていたでしょうねぇ。
リストラがなぜあれほどの社会的衝撃を与えたかといえば終身雇用という常識が崩れたからであり、多くの働き手にとって会社から「出社に及ばず」といわれるのは青天の霹靂だったのです。例えば私が勤めていたゼネコンのように経営が自転車操業でその自転車がいつバタッと倒れるか社員全員が見つめていたような場合とは明らかに違います。
私の勤めるゼネコンが会社更生法を出したと報じられた時、私たちバンクーバーの社員は家族ともども現地駐在員の団体のクリスマスパーティーに出席し、一つのテーブルを囲んでいました。主賓の挨拶の最中、私の携帯が鳴り、会場の外で取ると「更生法申請がヤフーニュースに出た!」と第一報。その場にいた現地法人社長に耳打ちだけして、私たちはそのまま知らぬ顔でパーティーが終わるまで皆さんと楽しみました。いよいよパーティーがお開きになるという時に「実は皆さん、…」と話を振り向けました。「ついにその日が来たか!」というのが声で、そのまま皆さんと二次会というか、やけくそ飲みに行ったのをよく覚えています。
今、日本で再びリストラが出てきています。東芝が5000人リストラと報じられていますが、ソニーが国内外900人、オムロンも国内外2000人(うち国内1000人)、資生堂が国内で1500人、イトーヨーカドーが国内700人などのリストラを実施中でまだ4月ですが今年だけですでにリストラ対象数は8600人に達すると見込まれます。
会社も生き残りをかけてリストラをやらざるを得なくなりましたが、従業員もそれを受け入れる素地は少し出てきているとみています。一つはリストラ=早期退職制度は結構なお金をもらえることが多く、目先の食い扶持が確保できること、次に現在の失業率を見てもわかる通り、雇用状況がひっ迫しており、再就職先の見つけやすさでは90年代当時とかなり違うことが挙げれらます。
もちろん、慣れた職場、親しくなった従業員仲間との別れは辛いものがありますが、昔のように「同じ釜の飯を食った戦友」というウェットな感じもなく、「またいつかどこかで…」ぐらいのものでしょう。また、肩たたきにあったとしてもそれが個人の能力を直接的に意味しているわけではなく、全社的、あるいは事業単位としての処遇ですのでむしろ、チャレンジ精神旺盛で今まで培ってきたスキルを活かせるという前向きの展開になると考えています。
カナダで32年、雇用関係もずっとやってきた中で思うのは会社と従業員は極めて対等な関係である、という点です。従業員の権利もしっかり守られていますが、義務=雇用条件に満たす業務遂行能力がなければ「クビ!」を言い渡されるのも従業員は覚悟の上だということです。特にカナダの場合、雇用初めの3か月は試用期間で雇う方も雇われる方もノーペナルティで雇用契約を破棄できます。よって経営側も2か月目頃に部門の上司や人事などと内部レビューを行うケースが多く、要注意マークないしフェイル(失格)となった新規採用者は3か月目で「悪いけどうちの会社とは相性が悪いようだね」とあっさり契約破棄をします。非常にドライです。
言われた方もあっさりしたもので、「わかりました」で終わります。では本人は傷つかないかといえばそれが社会のルールだという認識を持っているので「また探すさ」ぐらいのオープンマインドです。つまり、なんで俺はだめだったのだろうとグズグズせずにさっさと気持ちを切り替える術があるということです。これはどの人もそれなりに自分の自信があり、スキルがあり、売り込むものがあるということです。誰かが俺のことを見出してくれるさ、というバックグランドがあるというのが大事です。
よって日本でリストラが当たり前のように行われる時代となったならば従業員は十分なスキルを身に着けることが求められるのです。昔は社内営業に長けた人、社内情報に長けた人、社内技術に長けた人など組織内能力に秀でた方が多かったと思います。これからは組織外能力、つまり誰もが欲しがる私のチカラを売り込めるようにすべきでしょう。これがこれからの社会人人生を生き残る術だと思います。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2024年4月19日の記事より転載させていただきました。