旧皇族が現皇族の養子となる案への批判に反論する

安定的な皇位継承の確保について、政府の有識者会議が2021年末に打ち出した報告書にある、「女性皇族が結婚後も皇室の身分を保持する(「単独残留案」)」や「旧宮家出身の男系男子を養子縁組で皇族とする(「旧皇族養子案」)」に、自民・公明・維新・国民の各党が賛成。

立憲民主党は、野田佳彦元首相が佳子さまや愛子さまが結婚後に女性宮家を創設するという案にこだわってもたもたしているが、野田政権がもっと続いて女性宮家案が実現していたら、小室圭さんも皇族になり殿下と呼ばれるようになっていたはずで、おおいに不明を反省すべき所なのに、自説を撤回しないから困ったものだ。

この問題について、ダイヤモンド・オンラインに『「旧宮家からの養子」が皇族になるのはアリ?…反対する人が気づいてない“重大リスク”』という記事を書いたので、そのなかで「旧皇族養子案」に対する反対論についての反論を少し補強して紹介したい。

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旧宮家というのは11あるが、いずれも幕末の伏見宮邦家親王の子孫であるが、伏見宮家を継いだのは長男系でなく、正妻の子である貞愛親王の系統で、本妻の子が継いだのが伏見家である。

そこでこれらの宮家を復活させたらいいという人も多いのだが、どの宮家が優先かを決めがたいのも難点だ。本家である伏見家が優先ともいえないのである。

長男に近いところを優先するなら、庶長子系の山階家系だが、本家は断絶して次男以下は臣籍降下して筑波侯爵家などになっている。

そうなると次男系といえるのは、久邇家なのだが、これも長男系は賀陽家を名乗っている。

一方、女系で現皇室と近いことを重視すると、北白川、朝香、竹田、東久邇の四家が明治天皇の皇女の子孫だし、東久邇家は昭和天皇の長女である成子さまの子孫で、しかも男子が多くいる。さらに、血筋だけでなく、本人の資質や年齢、家族事情も無視できない。

そんなわけで、現皇族と旧宮家男子の個別の合意という形で、柔軟に対処するのが、政府の有識者会議が提案した「旧皇族養子案」であって、たいへん現実的でな妥当性が高い妙案である。

この案に対して、主として女系派の人々から難癖が付けられているが、まったく不勉強としかいいようがない。

①「果たして養子の希望者はいるのか」とか「希望する人は厚かましい」とかいう人もいるが、旧宮家の最大公約数的意見は、「自分たちから手を上げるべきことでないが、お声がかかれば、できるだけお受けするのが自分たちの義務だし、日頃から心がけてもいる」である。

かつて小泉内閣のときには、旧皇族養子案で急に話題になり始めたので、旧皇族には戸惑う人が多く、中にはネガティブな感想を口した人もいたの後、関係者のあいだで意見交換もされているし、子育てなどもその可能性も念頭においてしている人が多い。

② 民間人として育った人を天皇にするのは如何かという人がいるが、今議論しているのは、悠仁さまに男子がいなかった場合のあとで、今回の措置で養子になる人本人でなく、その子や孫は生まれながらの皇族である。

③ 伏見宮系については、室町時代中期の後花園天皇の弟の子孫に過ぎないためず、現皇室からは遠すぎる唐突だという人もいる。しかし、江戸時代の光格天皇即位時には、邦家親王の父親である伏見宮貞敬親王も有力候補だったし、仁孝、孝明、明治、大正と成人した皇子が一人ずつだった時期にも、1913年に断絶した有栖川宮家と並んで伏見宮家からの皇位継承は常に検討対象だった。

④ 女系論者が述べているのは上皇陛下の子孫だけで、なぜか昭和天皇など過去の天皇の子孫は対象にしないが、東久邇家は昭和天皇の子孫だし、北白川、朝香、竹田家は明治天皇の子孫だから、そちらはなぜ議論しないのか。

⑤ 旧宮家の人々が戦後の苦しい時期に起こしたスキャンダルを問題視する人もいるが、そんなこといったら、愛子さまの曾祖父である江頭豊氏は、チッソの元社長で被害者救済が遅れたことについての全責任を負うべき人物であることはどうなるのかということでも論じたらいい。

⑥ 民間人たる旧皇族を復帰させるのは、門地による差別を禁じた憲法に違反するという人もいるが、それなら、現在の皇族の子孫がいなくなったら天皇制は廃止になっていまう。そんな愚かなことを憲法は予定していない。