NHKの人気番組『ブラタモリ』は予告もなく終わったようですが、私の『地名と地形から謎解き紫式部と武将たちの「京都」』(光文社知恵の森文庫)など地名のシリーズでは、世界中を標高を測りながら旅しています。
現場を歩いての調査もけっこうですが、Google Earthを使って世界中を標高を測りながら旅するといろんなことが分かります。
山城国では、近江の琵琶湖から宇治川、丹波から保津川、大和や伊賀から木津川、さらに、北山からは鴨川が流れ込んでいます。盆地中央には、宇治川の遊水池でもあった巨椋池という巨大な湖が昭和の初めに干拓で消えるまでありました。
だいたいの標高を言うと、琵琶湖の水面が約85メートルで宇治橋で10メートル、山崎の大阪府との境で3メートルです。滋賀県との府県境あたりは激流なので舟も航行できないのです。
桂川の場合は、保津川下りの乗り場の亀岡市で84メートルです。ただ、当時の土木技術では十分に制御できず、洪水の危険が高く、継体天皇が北陸から出てきて即位したばかりの頃に、京田辺市の丘陵地帯(筒城宮)や長岡京市(弟国宮)に一時的に営まれたことはあるものの大きな都は置かれませんでした。
なんとか、秦氏ら帰化人がもたらした優れた土木技術のお陰で開発が進みましたが、長岡京(標高28メートル)では桂川の洪水の危険が高いのが問題でした。
それに比べると、鴨川は比較的安全で怖くない川です。白河上皇が、サイコロの目と僧兵と鴨川だけは自分にとって不如意だと嘆いた話は有名ですが、北山から流れ出る鴨川の集水域は、それほど奥が深くないので、大洪水にはなりにくいのです。
平安京の東北の隅は、京都御苑にある迎賓館の少し東で標高四八メートル、西北は御室小学校のあたりで標高56メートル、東南は現在鴨川の東側になっている福稲柿本町で標高32メートル、西南は吉祥院堤外町の桂川左岸の河川敷で標高約20メートルです。大内裏の北側の一条通大路が56メートルほどで、羅城門が標高19メートルくらいですから、高低差は南北で36メートルです。
平安京の南西は桂川がよく氾濫する低湿地で条坊が造成されない区画も多く、西京極大路も部分的にだけ建設され、南東も低湿地なので開発は遅れました。それに対して、現在の京都御所に近い北東方面は住みやすく、『源氏物語』に出てくる邸宅の多くもこの辺りにありました。
豊臣秀吉が建設した御土居の範囲はほぼ九条通、西大路、鴨川で囲まれる範囲で、北は防衛上の配慮から標高が高い鷹峯あたりまで囲い込みました。京都駅のホームも御土居の跡です。いちばん北の長坂口は標高133メートルで、南の東寺口は19メートルです。