「昔はよかった」という感覚の正体

黒坂岳央です。

「今より昔の時代の方がよかった」という人は少なくない。今は世の中は混沌としており、国内だけでなく世界はドンドン悪い方へと進んでいく感覚を持ってしまいがちだ。その感覚は間違いであることを覆して一斉を風靡したのが有名な「ファクトフルネス」という書籍である。データが示すのは世界は平和になり、豊かになっているという事実だ。

それでも「昔はよかった」という人は一向に減る様子がない。そして彼らがいう「昔」とは必ずしも社会的な意味合いではなく、主観的に人生を回顧した場合の話が多い。

個人的にこの感覚の正体が少しずつわかってきた気がするのだ。持論を展開したい。

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人生の知識と経験が可能性を潰す時

「知識や経験はあればあるほどいい」とされる。基本的に人は長く生きるほどいろんなことを知り、経験を積み重ねて少なくとも世渡りや処世術については賢くなるのが一般的だ。しかし、技術やスキルという分野を除けば、人生経験が増えることは必ずしも手放しに喜べるわけではないと思っている。

「将来ビッグになりたい!」「世の中を変えたい!」大きく考えるのは若者というのが常なるものだ。悪く言えば背伸び、よく言えばそれだけ向上心と可能性を追求する馬力があるといえる。良くも悪くも、世の中を知らないからこそ愚直に頑張れるといえよう。

起業や結婚、出産など、人生を大きく変える大イベントに踏み切るのは若い頃でないとなかなか難しいと言われる。小利口になるとあれこれメリット・デメリットや確証を求めてしまい、どうしても二の足を踏むからだ。ある種の勢いがあることで、えいや!で飛び込めるのである。

世渡りの知識や経験を積み重ねるほど、新たな人生の可能性が先細りしていき、結果として社会や周囲の環境に振り回される受け身になって発展性が消える。これが「(人生の可能性があった)昔はよかった」という感覚につながるのではないかと思っている。厳密にいえば「昔は」ではなく「若い頃は」だと思うのだ。

昔に満足する人、不満の人

自分のそれまでの人生にひたすら後悔ばかりする人もいれば、満足している人もいる。両者の差はなんだろうか?自分は必ずしも、その人物の願望成就したとは限らないと思っている。そうではなく、「挑戦したかどうか?全力でやりきったか?」だと思うのだ。学生時代、スポーツに全力投球した人と会話をするとそれがわかる。

それまでは人生のすべてを野球に捧げてきたが、夏の試合で逆転ホームランを打たれた時、「終わった」という感覚とともにホームランボールがスローモーションに見えたという。でも、そのおかげで「自分の人生は野球ではなく、仕事に生きよう」と割り切って考える起点になったと行っていた。競技を変えても、同じようなことを言う人は何人も見てきた。精一杯挑戦をして全力を尽くせば、仮に結果がうまくいかなかったとしても何も悔いはないのだ。

自分自身、人生に自己満足するように意識しているのもあって「昔はよかった」と思ったことはない。よく「学生時代に戻りたい」といった主張があるが自分はそう思わない。10代、20代は苦しいことばかりだったが30代、40代でドンドン発展した感覚もあり、今が常に人生のピークと考えるようにしている。昔はよかったというのは今が不満の裏返しだ。さらに将来で現在に戻りたいと思わないよう、不満の種は今すぐ取り除くべきだろう。

 

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ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。